頬粘膜がん 267日目 平等と信用のはざま
頬粘膜癌 267日目。
血圧 105-82 mmHg
血糖 - mg/dL (朝食前)
酸素 99 %
脈拍 67 拍/分
体温 36.5 ℃
体重 70.0 kg
新しい州の始まりだ。
今日は、朝からやらかした。薬飲むの忘れた。バスに乗ってて”あっ、薬飲んでねぇ”って。まぁ後の祭りなわけですが。明日からは気を付けよう。
なんだか、今日はそのせいなのか違うのか、とにかく眠気のひどい1日だった。昨日の夜はデェビゴ(睡眠薬)も飲んで睡眠時間もそれなりだったはずなんだが午後からの眠気がヤバかった。とりあえず予備の薬を1セット鞄に入れておくことにした。
ちょっと前に正義の味方の話をちらっと書いたけど、正義の味方と同じぐらいにめんどくさいのが平等って奴。
コミュニティの平等って意外と難しいよねぇと思うわけだ。とかくいろんな世界で”古参”と呼ばれる人は煙たいものだったりする。なんせ、発言力が半端ないとか、態度がでかいとか、態度がでかくなくても周りの人に忖度されてんじゃねとか様々。新しくコミュニティに参加してきた人が、”平等に扱われない”と言う事が世の中にはよくある。
そして、新しめの人たちは”不平等だ!”と声をあげたりする。古参の人が”若い人たちももっと過ごしやすいように平等な世界にしましょう”って言うことも確かに少ないわけではあるが……。それは何故かと考えると、新しくコミュニティに参加した人というのはどのような人かわからない。そういう情報がまだないから。古くからいる人は、大体どんな人かわかってる。もちろん場合によっては長くいる人でコミュニティの雰囲気を悪くする人もいることはあるだろう。でもまぁ、そのコミュニティで生き残ってきたのなら、そういう最低限の振る舞いができているということだ。新参者にはそういう歴史がないから担保できるものがない。”俺は新しく入ってきたけれど、ただ長くいる人にくらべてよっぽどちゃんとしてますよ”と言ったところでそれを補完できるものがなにもないのだ。
そういう意味で平等ってのはある種の”信用”の上に成り立つものなのかもしれない。人の価値としてなかなかに大きなものが”信用”というものなのかもしれないなぁと最近は思ったりする。新参者でも古参の紹介で入ってきた人たちはそれだけである程度の”信用”を持っている。紹介した古参の人が保証する借り物の信用というか。その信用が本物かどうかはその後本人が示していくものなのだろう。
借り物の信用もなにもない新参は、地道に”信用”を積み重ねるしかない。積み重ねもしないで”扱いが不平等だ”と言ったところであたり前なのだ。
お金は、おそらくある種の信用みたいなものかもしれない。でも、人が人を信頼するに比べたら”お金”が持っている信用度は随分と低くなってしまうのかも。
”信用”は約束を果たす能力値を示しているかもしれないが、もしかしたらその上に”信頼”という誠実さを示す価値基準があるような気がしている。信用は金で買えそうだが信頼はそうはいかないのかもしれない。
ちょっと信用の事を考える日だったりした。
今日もいい1日であった。
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