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3歳田舎の貧乏育ち

いきなりの強烈タイトル!(笑)
私は両親の離婚で、3歳の頃に母の実家に住むことになりました。

3歳の頃から、米とぎなど家事を手伝い、内職も手伝いました。3歳の女の子の米とぎは、ほとんどの米を排水溝に流してしまうと言うずさんなお手伝い。
危なっかしい手つきでキュウリを切り、それでも母はお手伝いをさせてくれました。

当時は5歳年上の兄と田舎の早朝牛乳配達もしました。玄関先にブルドックを飼っている家があり、牛乳をポストに入れる役をどちらがやるか、兄と毎朝じゃんけんをしました(笑)

周りの友達がジェニー、リカちゃん人形、シルバニアファミリーのおもちゃをたくさん持っている中、私はジェニーちゃんとリカちゃん人形を一体ずつ。
洋服も1着しか持っていないので、いつも同じ服の人形たち(笑)
私自身もたくさんの洋服を持っていなかったので、気に入った水玉の3段のスカートを毎日お気に入りで履いていて、母にいつも「それしか持ってないと思われるから、違う服をたまには着ていって」と言われたものです。

小さい頃から好きなものへの執着が強く、人にどう思われても好きなものを身に付けました。

極端におもちゃを持っていなかったので
紙で作った着せ替え人形を自分で作ったり、軽石で道路に丸を書いてケンケンパをよくしていました。
おままごとも大好きで、雑草を詰んできてはお皿にしたり、お料理として切ってみたり。
お金がなかったからこそ、創意工夫の毎日でした。
それが今の私のルーツなのだと思います。

とにかく貧乏が嫌だった。
大人になったら絶対お金を稼ぎたいと思っていた。
そんな幼少期を今振り返ると
かわいそうというか、すごいというか
自分のことなのに何とも言えない気持ちになります。

それでも今の私が存在している。

その貧乏生活に今なら言える心から

「貧乏バンザイ」

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