偶発性の表現とDTM

突然ですが、音楽は3つの要素から作られているという話があります。

・リズム
・メロディ
・ハーモニー(和音)

例えばギターの弾き語りを例にすると、リズム=演奏のリズム、メロディ=歌声、ハーモニー=楽器の響き(コード)になります。

ちなみにCDやYouTubeでお馴染みの歌物(POPs)は上の3要素を楽器の特性や表現したい世界観、メッセージに合わせて構築した形とも言えますね。

そんな音楽制作を楽しめるツールとしてDTMが登場してしばらく、僕もDTMでたくさんの曲を作ってきましたが最近は自分が納得できる音楽を作れているかというと言葉に詰まります。

楽器の音、音階、奏法などをシミュレーションした音源を使いながらも「最高傑作だ!」と言える物に到達できてません。
もし仮に生涯最高の作品が完成したらしばらく音楽やらなくなるかもしれませんが(笑)

じゃあ自分の作品が最高だと言えない理由は何か色々見直してみました。使っている音源が悪いのか、モニター環境が悪いのか、メンタルや制作姿勢が悪いのか。

でも多分そういうのじゃない気がして、最近色々試行錯誤しながら自分の音楽制作のスタイルと向き合っていて、ある時違和感を感じました。
「今の自分の音楽には感動も偶発性も無い。皆と同じ道具で、コピーされた資材の中で作っている」


少し話が変わりますが、去年実はエレキベースを新調しました。改めて楽器を弾く時の感覚や楽しみを味わいたいと思って購入したのですが、やっぱり弾いていると楽しい。

楽しいけどいざ録ってみるとまぁ良い顔にはなりません(笑)未熟なもんです。でも音楽として何か違う面白さを見つけた気がしました。その道何十年のプロでもないので技術的な問題は別として、録った音から「楽しんで弾いているな」という印象を受けたんです。

そりゃ自分が楽しんで引いた記憶や印象からそう思うところもあるんだろうと。僕もそう思います。それでも何か、普段のDTMで作る音楽とは異なる音楽をその音から感じるんです。


そのヒントは別のところにありました。
僕は幼少〜中学ぐらいまで絵を描く事が好きでした。好きな甲斐もあって写生会などで何度か賞を頂いた事もあります。

特に鉛筆と水彩が大好きで、描いていて心地よい感覚になれるのと、色の濃淡や滲み、掠れ、予期せぬ混ざり方が愛おしく思えるからでした。

自分で手に取り、自分で選んだ画材で、自分で表現したいと思い作ったそれは本当に楽しんで作った事を今でも感じ取れてしまうぐらいです。

ちなみにデジタルのイラストも手を出したことはありますが、描く感覚に慣れないのと計算で表現されたなんちゃって再現技術の具合が嫌いだったからです。もちろんデジタルイラストの良さはありますし、それ自体は好きです。

ただ自分が楽しく表現できるツールかと言えばそうじゃなかった。というだけの話です。その再現技術を否定したり貶しているわけではないので誤解のないよう。



話を戻します。
僕が今自分の作品に楽しさや満足感を見出せない理由、それはこの絵描きでの話のように表現したい事がデジタル特有の表現技術に合わなくなってきたからなのではないかと考えてます。

「技術の進歩で限りなくリアルな表現がPC上で可能になってきていますが、それで補いきれない違和感に嫌気が刺してる。」

これが今の自分に一番腑に落ちる言葉でした。


最近はYOASOBIの曲についての批評を見かけますが、音楽の表現において何を良しとするかの価値観は人それぞれです。そして明確に引こうとする必要もないものだと思います。

そんな事より自分が「良い」と思えた、感じたその感覚を「信じる」事の方がよっぽど大事ですよね。

そういう考え方も含め、今一度自分の音楽を改めて見直したいなと思いました。可能な事なら何かのレコーディング現場を見学したいです。


では、良い音楽ライフを

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