”語り合う”=”思い遣る”

Written by PR & Communication team Tam

私は幼い頃から本が大好きな少年でした。
友達と外で遊んだり、家でゲームをすることも好きでしたが、
どこへ行くにも本を持っていって、暇さえあれば読み耽っていた記憶があります。
その習慣は今も変わらず、鞄には常に何かしら本が入っていて、
通勤や移動時間、ランチタイムなど、隙あらばページを繰る活字中毒な大人へと成長しました。

本の中には、一度きりの人生では到底経験し尽くすことができない、
様々な現実的・非現実的な世界や、多種多様な登場人物のドラマが溢れています。

「余命宣告された男が200年後にタイムスリップしてウイルスの脅威から世界を救う話」
「不思議な力を持った少年が声を失った幼なじみのために”悪意”や”正義”と向き合う話」
「”伝説のスピーチライター”と運命的な出会いを果たした女性が”言葉”を武器に奮闘する話」
※他にも大好きな物語はいっぱいありますが、ほんの一部をご紹介。

このような数え切れない世界やドラマにどっぷり浸かることで、
まるで自分のことのように感動したり、熱くなったり、傷ついたり、怒ったり。
そんな感情の揺らぎが湧き起こることが、最大の魅力だと思っています。

そんな活字中毒な私ですが、活字ならなんでも良いという訳ではありません。
最近はオンライン小説なども主流になってきましたが、
どうしても”紙の本”でないとどっぷり浸かることができないんです。
(もちろんオンライン小説にも素晴らしい作品は多数ありますが…)
文章はもちろん、装丁や帯のデザイン、ページを繰る指先の感触、インクの匂い。
そういった五感への刺激が想像力や感受性を増幅して、
物語の世界に没入するスイッチになっているのです。

けれど、そんな世界やドラマに浸りきれないときもあります。
そんなときは文字が頭の中を通り過ぎていき、全く入り込むことができません。
「本は変わらず大好きなはずなのに、なぜだろう?」と、あらためて考えてみると、

ー疲れているとき
ー寝不足なとき
ー悩みごとがあるとき
ーイライラしているとき

など、心や身体のコンディションが優れず、想像力や感受性が鈍っていたり、
それらを増幅する五感への刺激を感じる余裕がないときがほとんどな気がします。


ということは…
”物語の世界にどっぷり浸かれているか” ”どんな感想を抱くか”が、
心身のコンディションを測る一つの指標として機能するのでは?

もしかして…
本に限らず映画や演劇、音楽やアート作品などをみて、
その感想や感じたことを友人や恋人などと語り合う行為は、
ある種相手を思い遣っていることに等しいのではないだろうか?

そう考えると、楽しみ方の幅が広がって素敵ですよね。
皆さんも、大切な人と語り合ってみませんか?

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