若気の至り

それは私が地元を離れ1年が経とうとしていた頃のこと。知り合いが居ない土地、人間関係が上手く行かず、もう人生を終えてもいいやと投げやりになり、原付を走らせた。
この土地に来てから約1年。遠くに出掛けたことなんてほぼ無かった。思うがままに隣の県へ足を運ぶ。そして橋の下で夜を明かした翌日。何だか大学の頃に中の良かったメンバーに会いたくなった。そうして針路を大まかに変える。
その道中で訪れることになったのは熊本市。着いたのは夜9時を回っていた。国道の標識を頼りに進むが、同じ場所に迷い込む。実は、熊本市で国道3号線は2つに分かれている。行先よりも道路の番号で覚えていた私は、まんまと罠に掛かった訳だ。
道に迷いつつ、本屋を見付け、そこで地図を開く。道路の番号を覚えて店を出る。しかし、抜け出せなかった。店は次々と閉まり、雨が降り始める。私は、店の軒下で雨をやり過ごした。

殆ど眠れぬ夜を明かし、早朝に雨はなんとか止んだ。そして私は原付を走らせる。今度は運良く抜け出すことができた。数字の記憶を頼りに道を進んでいく。

時刻は朝7時前だっただろうか。困ったことになった。ガス欠だ。原付はうんともすんとも言わない。少し押し歩くと偶然にもコンビニを見付けた。コンビニで最寄りのガソリンスタンドを訊ねる。数kmある上、この時間にはやっていないとのことだ。山間の道だ、当然だろう。とはいえ私も困っている。ガソリンを分けてくれる人が居ないか、コンビニの駐車場で声を掛けて回る。当然、見知らぬ青年に応じる人はーーー
「困ってるようだから。こっそりガソリン分けてあげようか?」
居た。ガソリンスタンドにたまたま止まっていた、陸上自衛隊の方だった。本来、自衛隊で使う為の燃料のはず。隊の規約にも反しているのだろう、ガソリンを少量分けてもらった。その時はその優しさが何よりもありがたかった。

それから、また原付を走らせる。雨が降ってきたので、カッパを着て、荷物は二重にしたビニール袋に入れた。少し行くとガソリンスタンドがあり、給油を済ませて更に先へ行く。
そうやって地元の県に着いた時だった。雨が止み、これからも降りそうにないので荷物をビニール袋から出すことにした。上に被せていたはずのビニール袋はきちんと荷物を覆えておらず、下のビニール袋には水が溜まっていた。中に入れていたガラケーは使い物にならなくなっていた。

これは非常に困った。しかし、まだ手はある。同級生の1人は大学院へ進んでおり、引っ越していなければまだあのアパートに住んでいるはずだ。幸いにも、彼は引っ越して居なかった。
突然の再開に驚きつつも、彼は私を迎えてくれた。そして、一頻り話し終えると、まだ生きていたいという思いが湧いてきた。

それから、私は実家を訪れた。両親も驚いていたが、優しく私を迎えてくれた。生きるのが辛くなっても、私には居場所がある。そう思わせてくれた出来事だった。
様々な所に迷惑を掛けたが、このことから反省し、学べたことも多い。自戒すると共に、感謝を忘れない為にも記録に残しておきたいと思う。