自身の感性を頼りに

以前別の記事で、中学生の頃の部活は友人からの誘いで入ったということを書いたが、今回はその部活の話を掘り下げてみる。

入部して暫くの間は、ほとんどの間を球拾いで過ごす。休憩時間や、ローテーションで使える僅かな間だけ練習をする。中学生になって初めて触れた球技なのだから、そういったことはよくある話だろう。そして、3年生が引退し、練習出来るようになる時間が増える。1年生の冬頃には、自分自身のスタイルを考えるようになった。
ただ、ここで困ったことがあった。部活の顧問の先生はその球技の地方大会でも名を残したぐらいのプレイヤーだったらしいのだが、部活には大会の引率のときぐらいしか顔を出さない。というのも、その先生は当時学年主任をされていて、部活に顔を出す余裕が無かったらしい。だから、私はそれまでの知識だけで、私なりの路線で進むことにした。

私は運動神経が鈍い方だから、攻めは合わない。だからディフェンシブなスタイルだと自然に決まる。そして、本来攻めに使える部分をトリッキーにしたい。そうしてセッティングが決まっていく。専門的な内容になっても良くないので詳細は省くが、少なくとも中学生の頃には私と同じようなセッティングの人とは一人とも会わなかったぐらい個性的なものとなった。


それから約10年、私は教育実習で母校を訪れた。そこではあの頃と違い、顧問の先生がメニューを考えて指導していた。もちろん、当時と同じ先生は1人も居なかった。ディフェンシブなスタイルの生徒も居たが、オーソドックスなセッティングだった。やはり指導者が居る中で私のように独自路線を貫く生徒など、そうそう居るものではない。

その球技で私の感性が生み出したセッティングが芽を出すことは無かったが、スポーツや芸術など、幼い頃からやってきた子が己を貫いて大成する例もある。私は、特有の感覚を持つ子を否定しない人間でありたいと思う。