意識の変化と音楽の力

 これは、私が見た夢によって気付かされた話。
 私は夢の中で誰かと話している。話題は「仕事観」であり、中々に堅い内容だ。私は熱弁していた。
「就職ってのは、席の奪い合いだと思うんです。私一人で就職活動しているだけでは気付きにくいんですよね。この企業は書類選考落ちで、この企業は一次面接まで行ったけどダメで、みたいに。でも、視野を広くしてみると、同じ職種を目指し、同じ企業に応募する人達が居て、その中で限られた人だけが採用される。椅子取りゲームみたいなものですよね。」
「そして、逆の視点で考えてみると、企業側にも予算があって、教育に裂ける人員にも限りがあって、割り振れる仕事にも限りがある。企業だって、先の先まで見据えたらたくさん採用したいけれど、数を絞らざるを得ない。だから席の奪い合いになるんです」
 ……と、こんな話を意気込んでしている。そして、これは夢の中なので、この話をしている私を俯瞰的な立場で見て、私は違和感を覚えた。
「席を“奪う”ーーー?」
 私はこんな強い言葉遣いをしていただろうか。そう思い悩むうちに、意識がはっきりしてくる。目覚めの時間だ。起きてみて、何故こんな言葉を使っていたのかと思案を巡らす。そして思い当たることが1つ。最近、私は家での作業中に音楽を聴いている。所謂懐メロに分類されうるもので、20年程前に流行した曲を作業用BGMとしていた。その中にあった曲、『カルマ』。
 そう、とあるゲームの主題歌としても使われており、ゲームの内容を凝縮したような歌詞になっている、あの曲だ。歌詞には「奪われない様に守り続けてる」「奪い取った場所で光を浴びた」と、“奪う”というキーワードが2回登場している。それに、曲の内容と限られたポストへの就任の話は近しいように思える。だから恐らく、この曲の影響を多分に受けて見た夢だったのだろう。

 私はこの『カルマ』という曲は好きだし、私の弟なんてこの曲の影響でアーティスト自体を気に入ってしまっていたと記憶している。これ程に、音楽の影響というのは大きい。勉強する際に音楽を聴くのは逆効果だが、勉強の合間や作業中など、気分を高めるために音楽を聴くのもたまには悪くないなと感じた。