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おいしいシチューをたべました

5月15日

雨。
退勤路が空いていたので早く帰れた。ポストを見ると、買ったCDが届いていたのでニコニコしながら回収した。
夕飯は家族が作り置きしていたシチューを一人で食べた。味はいつも通りだった。

夕飯を食べたので、パソコンを起動してCDを聴いた。
おいしかった。


というわけで予てから脅しをかけられていた、ミリオン一の問題作と名高い「誰ソ彼ノ淵」を聴いた。
つい昨日、「昏き星、遠い月」や「赤い世界が消える頃」「ラスト・アクトレス」などを浴びた瑞龍。なかなか弾丸だと自分でも思うが、買い物は欲しいと思った時にするのが後腐れが無くて良いとされる。

前置きはさておきさっさとドラマCDの感想に移りたいと思う。
今回の記事はそれほど面白くない自信があるので期待しないでほしい。


まず謝らなければいけないことがある

早速だが読者諸兄に謝らなければいけないことがある。
恐らく多くの人々はクルリウタの衝撃に恐れ狂う新人Pの感想を食みに来たのだと思われる。が、しかし。
今回自分はこの「誰ソ彼ノ淵」を滅茶苦茶楽しみながら聴いていた。
理由としてまず一つ、脅されていたこと。Twitterで散々先輩Pにクルリウタはヤバいということを聞かされていたので、かなり覚悟の準備をしてしまっていた。クルリウタの楽曲自体もアルバムで聴いてからかなりお気に入りだったし、MVも何度も見返していた。そのため、どういうコンセプトのドラマなのかはある程度理解していたのだ。ついでに言えばアイドルが死ぬのはシャニマスで慣れていた。
そして二つ目の理由として、このドラマが滅茶苦茶好みだったことが挙げられる。
そのため今回は新鮮な悲鳴は上げられない。本当にすまない。
というわけで、ウキウキしながら聴いた感想を書いていこう。


まずどう思ったか?

好き!!!!!!!!!

です。

何を隠そうぼくは蓬莱人形(初版)とリドルストーリーと女の子の悲鳴が大好物な人間なのだ。こういうド直球な救いの無いサスペンスホラーは普段の趣味嗜好と違うが、要素的には好きな部類に入る。
しかもこんなクオリティが高いものをぶつけられたら好きにならずにはいられない。
これをやってのけた制作陣にまず称賛を送りたい。

知らない人も多いと思うので一応説明すると、蓬莱人形(初版)とは東方projectで有名なZUNが20年くらい前に出した同人音楽CDで、その初版(僅か数十枚!)のブックレットに掲載されていた謎多きストーリーのことである。
桃の木の下のトンネルを通って楽園に辿り着いた正直村の八人の兄弟たちが、森の中の洋館で一人ずつ殺されて行くという、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」を意識したおはなしである。
ネット上にも全文が上がっているので、クルリウタが好きな人は是非探して読んでみてほしい。

ちなみにリドルストーリーについても一応解説しておくと、これは作中で提示された謎が解決しないまま終わる物語のことである。 物語の結末を意図的に伏せることで、読者の想像にまかせる作品を指す。
ぼくは芥川龍之介の「藪の中」でリドルストーリーに堕ちた。
作中、屋敷や千鶴、志保の正体、伊織や茜の顛末などについて何も語られないまま幕が降りる「誰ソ彼ノ淵」は、まさしくリドルストーリーと言えるだろう。

ちなみに勘違いしないでもらいたいのだが、別に瑞龍は女の子が酷い目に遭うこと自体が好きなわけでは全く無い
そこに至るまでの過程や渦巻く謎、また生きようと努力する姿が好きなのであり、決してグロリョナ愛好者ではない。そもそもリョナは苦手である。グロとリョナって似てるようで違うものだと思う。

では、何が自分の琴線に触れたのか?


誰ソ彼ノ淵のここが良い!!

・何も救いが無い
 
突き抜けすぎていて好感が持てる。下手に希望とか救いとか無いほど絶望に振り切っているのは豪快で好き。
 これをガチでやろうと思って企画を通した担当はすごいと思う。しかもミリオンライブで。

・迫真の演技(迫真)
 悲鳴が上手すぎる(美味すぎる)。特に一番好きなのは歌織さん。良い声で啼きやがる。
 あと全力で走って息切れしてむせる茜ちゃんすっごく好き。頑張ったね……。

・どこまでも一般人的な感性
 
こういう話が面白くなるかは登場人物(特に主人公)がどこまで一般的な感性を持つかによって決まる。
 怖いものを怖いと思う心、人を怪しむ猜疑心、ほんの少しの勇気、そして絶望。
 当然ながらヒロイックな主人公が狂気に立ち向かってもサスペンスホラーとしては面白くないのである。
 歌織先生の生徒を守らんとする心意気には彼女の教師としての矜持が表れて良かったし、最初は楽観的だったエレナが一番怯え竦むのは等身大の女の子な感じがあってとても美味しかった。
 そして後述するが、この点で一番面白いキャラクターはメイドの志保である。

想像力を掻き立てる構成
 
先程も書いた通り、この話は全くと言っていいほど謎が解決しないまま終わる。ただ、幾つかのヒントやピースが随所に散りばめられており、そこからある程度の(想像の域を出ない)考察をすることが可能となっている。
 そこに楽しみを見出せるのも本作の大きな魅力の一つだ。

・志保が可愛い
和装メイド似合ってるね。眼帯オシャレだね。


じゃあちょっと考察してみよう

別にする気は無かったけど書いてたら浮かんできたから、折角noteなんだしそれっぽい真似事だけしてみたいと思う。
たぶん何万回も擦られた話だと思うので後はもう読まないでもらって構わない。

まず舞台となる「島」の構造について整理しよう。
島は(おそらく)日本近海の孤島。登って降りるのに半日かかる山があり、住む人間はごく僅かな屋敷の関係者のみ。
屋敷には主人の二階堂千鶴とその娘の伊織、メイドの志保が住んでいる。
島の浜辺には海流の関係で、時折漂着物が流れ着くようだ。

何か大事なファクターとして伊織を囲う千鶴と志保。南京錠に閉ざされた部屋。ナイフで切り刻まれる伊織。
客人を逃がしたくない千鶴。次々と殺される漂流者たち。

色々と気になることはあるが、まず目をつけたいのは千鶴の目的だ。
まあこれはストレートに考えれば不老不死とかその類だろう。千鶴が身に付けているのは、不死や復活の象徴とされる蝶のアクセサリー。日本では縁起の悪いものでもある。
屋敷の築年数を考えれば、彼女がずっと昔からこんな惨劇を繰り返してきたことは火を見るより明らかである。

思うに、これはループ性が鍵となる不滅の魔法なのではないだろうか。
屋敷の中という特殊な環境下で、主人、娘、メイドという役割の三人が揃い続けることで、限定的な永遠性をその場に齎している、ということだ。
恐らくはもっと複雑な条件が絡み合った禍々しい術式であろうが、ともかくこれには生きた人間が必要だ。

“今の代”の娘役であった伊織は、かつて茜たちと同じように島に漂流した人間の一人だったのだろう。それが屋敷に囚われ、娘役を与えられ恐怖と狂気の中暮らしている。
おそらく最初は本当の娘がいたのだろうが、それが欠けたことが事件の始まりだったのではなかろうか?と漠然と思う。
伊織がどれだけの時間を娘役として過ごしたのかは分からないが、もし冒頭のラジオの沈没事故が伊織に関連することだとしたら、40年もの時間を狂える館の住人として生きていたことになる。それはさすがに無いか?長持ちし過ぎだもんな。


志保は、前述した通りこの話の中で一番面白いキャラクターだ。
そもそも、この話全体の語り部、裏の主人公と言っても差し支えが無い。この物語の最初から最後まで生きていた人物は、主人公である茜、黒幕である千鶴、そして志保しかいないのだ。

テーマ曲である「クルリウタ」は、明らかに志保の視点でこの島での惨劇を物語った歌だ(と考えている)。
先程伊織が元外来者であるとの考察を述べたが、志保はもっと簡単。自分の口で答えを言ってくれている。意外とお喋りだぞこの子。
彼女は逃げることのできないこの屋敷の構造に絶望し、正気を捨ててメイドとして生きることを決めたのだ。
その過程にある破滅が如き葛藤、針を呑むような恐怖、とめどなき絶望を思うと、なんかもう“良く”なっちゃう。

個人的にはこの物語の一番の被害者は志保だと思っている。無辜のまま殺された茜やエレナ、先生方、その他諸々の人物も勿論可哀想だが、彼女は本来殺人など望んでいなかったはずだ。
ただ生きるため、明日を得るために、本音をかき消してその手を血で染める。それは大きな罪であると同時に、生を望んだ彼女への罰でもある。

志保の心はもうとっくに心は死んでいるように見えるが、「クルリウタ」で歌っているように、彼女の本当の心はずっと苦しみ続けている。
生を望む事の何が悪いのか?自分は生きていてはいけない人間なのか?
そんなことはない。「昏き星、遠い月」でエドガーが叫んだように、ヴァンパイアだって幸せになっていい。生きたいと願うことは罪ではない。ましてや彼女はただの女の子なのだ。

では、どうすれば?
どうしようもない。それがこの物語の本質だ。
茜たちには最初から生き延びる道は無かったし、伊織は逃げられるはずもないし、志保にはもう選択肢が無い。
そして茜は次代の“娘”となり、やがてまた新たな船が難破して、漂流者があの屋敷を訪れるのだろう。
そんな凄惨なループ、どす黒い最低な味のシチューが、この「誰ソ彼ノ淵」だ。
最高!乾杯!


総括

さすが気狂い揃いのミリオンPがイチオシする最凶の一枚。
何の救いも無く、凄惨で、絶望的で、ただただ後味が悪い最低の物語だった。
茜ちゃんのその後を思うと悲しくて悲しくて仕方がないが、この物語が単なる劇中劇であるという点だけは大きな救いとなっている。

しかし、それを考えてもあの迫真の演出、身を引き裂くような悲鳴の数々、思わず目を覆いたくなるような惨劇には感服した。
これをぽっと出のOVAなどではなく、ミリオンのアイドルがやることにこそ、とても大きな意義があるのだろう(精神ダメージ的な意味で)。

今回を機に、これからもっと色んなCDを漁りたくなってきた。
ミリオンの奥深さを知るという意味では、最高の一枚だったと言える。
そんなわけで、瑞龍はおいしいシチューをペロリと平らげたのだった。

ごちそうさまでした!!


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