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真空パックして次世代に渡すのが武術、武道を修業する者の勤め

ジークンドーの事と関係するんだけど、試合をしないある伝統武道で、昇段審査の際、礼法を含めて技の解釈を毎年変えるような団体があるんですね。なんでそんなことするのか考えたんだが、「組織上層部の権威保持のためか?」と、うがった見方をせざるを得ないんだよ。

その道の先輩に「新解釈の講習出ないと昇段審査受からないよ」的なことを言われたことがある。俺の武道修業は昇段が目的ではないのでそんな講習は出たことないが、昇段が目的の人は出ないと確実に落ちるらしい。

何百年もかけて祖先が作り上げた技の解釈を易々と変えるというのはどうなんだろうか?細分化される前の大本の部分を近代化以降の世界に住む現代人が解釈を変えて、技術を付け足したり、変更したりすことが進化なのだろうか?

厳密な意味での完成というのはないのかもしれないが、究極の所までは行けてるんですよ。そのままそれを真空パックして次世代に渡すのが武術、武道を修業する者の勤めではないだろうか?

武道修行には伝承という意味もあるんじゃないですかね。


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