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薩摩剣八郎先生のチェスト―!

以前、ドラゴン魂で取材した薩摩剣八郎先生が亡くなられた。
大変優しく、そして奥行きのある方で、この取材時(2014年6月)色々な話をしてくれた。先生の話の中で一番私が心に残ったのが以下の下り。これは『ドラゴン魂2』の巻頭言に書いた文章の抜粋です。大山総裁、黒崎先生の『必死の力 必死の心』の話の流れで薩摩先生と私のやり取りが出てくる。文脈上先生の話の前の部分から引用しますね。
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 昔、極真会館の第一回世界大会前、大山倍達総裁は「日本が負けたら私は腹を切る」と明言した。第二回世界大会においては「万一、日本が負けたら、お前たち腹を切れ!枕を並べて死ね!」と選手たちに檄を飛ばした。
人命第一、人類みな平等、絶対的平和主義の世において、ここまで強烈な覚悟を持って試合に臨んでいる日本人が何人いる事か?これはすべての武道においてだ。生ぬるい平和に首までどっぷりつかった平和ボケ日本人は、何か忘れてないか?
 かつて黒崎健時先生が書かれた「必死の力 必死の心」という本。黒崎先生が説いていた「必死」とは何か?「必ず死ぬ」という事だろ。自分の命を追い詰めて、死ぬと決める。そこにパッと煌くもの、命のほとばしりが出てくる。ここの部分。
先日取材した元示現流の薩摩剣八郎先生との会話の中で、以前から疑問に思っていた事をぶつけてみた。
天骨  先生、示現流では斬りかかる時、「チェストー!」っていう気合を入れながら斬ると聞いたんですが、あれは何でですか?
薩摩  ああ、あれはね、色々な説があるけどね。「チェストー!」じゃなく、「チェー」って言うんですよ。「死ねぇー」っていうのが変化したんじゃないかな?
天骨  すごいですね、「死ねぇー」ですか。
薩摩  相手に言ってるんじゃなくて、自分に言ってるんじゃないかな?自分に「死ねぇー」って。勝負っていうのはそういうところあるでしょ。私はそう思うな。
天骨 ………自分の命を無にして打ちかかるわけですか。この一振りに命をかけるという………。恐ろしいですね。昔の薩摩の人は。その精神性は日本人独特なものですね~。
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人間いつか死ぬが、生きている間に「パッと煌(きら)めくもの、命のほとばしり」が出る。それが言葉となって人に伝わり、その思考、概念はその時生きている人を媒体に人類の文化の礎の中に溶け込んでいくのだろう。
先生の話していたことは先生の声で、今でも私の心の中に聞こえてます。
形も、匂いも、色も何もないけど、それは現実感として私の中にある。
それを想う。
供養とはそういうものではないかな。
そして私もいつか死んで、言葉によって誰かに伝わった念のようなものが、その時生きている人たちの生業(なりわい)の中に溶け込んでいけばいいな。


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