見出し画像

変化する瞬間

これだけは無理!
これは変わらないだろうな。。

心の中にある大きな岩のかたまりのようなもの

願いが進まない、とてもやっかいなこと

この大きな岩がいとも簡単に

するりと動いたのです

その瞬間から違う世界に移行したような気分です。

人には、こうであればいいなという願望があったりしますよね。

でも、それと同じくらい硬く重たい無理そうな何かを感じていることもあるのではないでしょうか?

一人で生きてるわけではないので、私も到底ある事に対しての理解は得られないだろうと強く強く信じ込んでいた事があります。

そうなんです。
そんなふうに強く信じていたので
心のなかに、大きな動かない岩として、無理だというビジョンが育ち、それを勝手に現実だと思っていました。

ところがある日、その動かぬ岩だと思ってた人と打ち解けた会話を持つ時間が出来て

なんというか、隙間のようなものが見えたんですね。

そこで、今なら突破できる!と思えた瞬間があり
私はこうしようと思う、
と言うことを、スルリと伝えたのです。

その時、お伺いをたてず
相手の顔色も見ないで伝えました。

それは、私の生き方の選択肢として、こうしてみるという
当たり前の権利みたいに。

以前までは、そうすると根掘り葉掘り聞かれて反対されると思っていました。

理解できないだろうな。。という部分は端折って伝えました。
全てを伝える必要なんてまったくないな、という気持ちが自然に持てたのです。

おおまかに伝えた結果

いくつか質問に答えて

肝心なのは私の気持ちだということで理解してくれたんですね。


あり得ない。。。

と思いました。


物事にはタイミングがあると思いますが、

そのタイミングというのは一体何なのか?

多分ですが

タイミングとは自分で作り出せる地場のようなもの

余計なものを取り除き
結界を破った

そんな気がしました。

そう、環境とは、人の変化を待つのではなく自分で作れるのではないかな、と思います。

人は言葉で交流、伝達し合うだけではなく、
その言葉のなかにある波動のようなものを察知しているようです。

星の王子さまという本の中で
サン·ディクジュぺリはこう表現しています。

【大切なことは目に見えないんだ】

これは一見使い古された
心が大切。。。のような意味合いで受け取られることが多いと思いますが

実はもっととても大きな何かが隠されているメッセージだったような気がします。


目に見えない何かが実在していて、こちらの思いのあり方で世界に変化をもたらすこと。

強い思考や思いというものが、物理現象にまで影響を及ぼすこと。

人の思考や気持ちまで変化させること。

強い思考というのは、力学的な強さではなく、むしろ真逆で

ただ、信じ込む。
そうなのだと、当たり前だから力む必要も感じないという
感覚。

その瞬間、大きな岩だと思っていたものが簡単に動く、消える…
そんな感覚を体験された方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

実は私、日常において、なかなか開かない蓋(リアルなジャム瓶等)を開けるときにも応用しています。

なかなか開かないものに強い圧力をかけると益々開かず、ゆる〜い力で息を吐くようにして開けてみるとスルリと開いた、そんなことが数え切れないほどあります。

子供の時、たくさんスプーンを曲げていた時も全く同じ気持ちでした。

テレビの中で、あのお兄さん
❨ユリ・ゲラーのことです❩がやってるから、誰でもそうなるのだろうと、子供ならではの
単純さが昔の硬い丈夫なスプーンを簡単に曲げてしまう事になりました。

すべては、あれなんだな。。と思います。

今現在スプーンは、曲げれません。

曲がらなくなった理由は、その後成長するにつれ、生きていくのには沢山の色々な事が必要であり、スプーンを曲げるという行為に何の意味も見いだせないと思ってしまったからです。

この信じ込む力を優先順位の低いものとして、封印してしまったのですね。

誰にでも見える肩書や資格、地位や名誉、権力、経済力

そういうものが力を持ち、価値があることなのだという、
誰かの作った仕組みの中に組み込まれていったわけです。

これは、多分正しい社会人とされる認識だと思います。

この正しい社会人の流れは
どこかへたどり着くお金の流れでもあるのでしょう

今も、今更スプーンを曲げる事に強い興味は持てませんが

見えない力が存在していて、それはスプーンではなく他のことにも使えるのだという事を思い出したわけです。

そのことは、簡単であり
簡単ではありません。

修行とか瞑想とか特別な事は、何も必要としません。

悪意という重さ、強さを伴わず
偽善と言う罪悪感も持たず

相手を尊重し、かと言って自分を卑下せず

相手と自分がまったく同じ場所に立っている、そんなフラットな空間を作れた時に発動する力、交流する何か

自然現象のように当たり前の事という認識さえ持てれば
本当に可能なのだと体験的に察しています。

そして、この事に邪魔をしているのは、自分を取り巻く環境でもなく、他人でもないようです。

恐れや思い込みをしっかり握りしめている自分なのだということです。

これを本当に手放すことが出来さえしたら、あらゆるものがスルリと変化します。

とわかっている私自身、
そうそう簡単にできてはいませんが、

久しぶりに動かないと信じていたことが

非常に軽いながら
大変な強度を持つ鉱物のような気持ちをすっと投げかけたときに

開かぬ天戸が開いた!

そんな感じの体験をしました。


この事から言えることは
やっぱり、自分にとって都合の良い事も悪い事も

全ては自分が作り上げている世界のような気がしてなりません。

邪魔という幻は
自分が進む事を怖がり
理由をつけて何かのせい
誰かのせいにして

それを現実に生み出しているのだと思います。

なので、もうそれは要らないと本気で思った瞬間に

本当に消えます。

全ては自分が作り出す世界であり、絶えず映し出す世界であり、

観察者が見ている時にだけ存在する量子が織りなすバーチャルな世界なのかもしれません。

これは、全てにおいて実験してみる価値のある事です。

私達、一人一人がとても自由に楽しむために生まれて来てるのは間違いないと思います。

その楽しみ方が通り一遍ではないのでしょう。

そして私達の思考は想像以上に複雑、巧妙で

進みたくない気持ち、恐れというものは、それはそれは上手にそういう環境を作り出します。

まるで、自分以外のものに理由があるという環境を生み出して動きたくない自分を自己弁護します。

感心するほどの演出です。

それを、ほとんどの人が
自分以外の力による現象だと信じ込んでいます。

硬いスプーンが曲がらないのも、理想や願望を形作らないのも、実は自分なのだと気づかないようにして、自己弁護をします。

そして、その恐れが限りなくゼロに近くなった瞬間
自分が進むことを許します。

その時に変化や奇跡(のように感じること)が起きるようです。

その境地に至るのに時間も努力もいりません。

そうする、と決めるだけです。

恐れを手放すこと

これが全てを思いだす秘訣なのだと思います。


思っているのにそうならないじゃないか、と思う時は、自分の中へ深く入り込むと見えると思います。

まだ、進みたくない
幻の恐れを作っている自分がいます。

進みたくない時はそれで良いのだと思いますし

タイミングというのは
自分の内的環境が 

恐れもなく
高揚もなく

フラットに「そうする」と
決めた瞬間に整う世界

それがタイミングなのだと思います。

これは実験してみると面白いです。

せっかくこのキャラで生まれてきてるのだから
楽しんでストーリーを作っていきたいものです。












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?