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二つの日記

母のことを書きたいと思った。しかし、いったい何をどのように書き始めたら良いのやら皆目見当がつかないのだ。ならばと古い日記を捲ってみることにした。それは10年以上前の出来事から始まる。


2012年05月25日:東京

 
朝、出社すると所長に呼び止められた。「昨日おばあちゃんから電話があったよ」 

所長の言うには、そのおばあちゃん(らしき人)はぼそぼそとか細い声で、何を喋っているのかよく聴き取れなかったそうだ。どうにか判ったのは、「イズミの身内の者です」 と 「孫がいつもお世話になってます」 という事だけだったらしい。

僕の祖母(母方の)は長生きした方だが、それでももう10年以上前に亡くなっており、父方の祖母は顔さえ知らない。祖父に於いては幼い頃からその存在すら意識したことはなかった。そんなわけで、ただの間違い電話だったのだろうと、所長も僕もただ首を傾げるだけだった。


ぼくの田舎の実家は龍郷のいちばん端にある。その実家とけっこう離れた龍郷小学校の奥の方に、祖母は当時ひとりで住んでいた。祖母の家の後ろにはおでもり山が聳え、おでもり山の麓には父の畑があった。

父の畑にたどり着くまでには長い道のりがある。田んぼの畦道があり、泥の沼があり、ススキや名も知らぬ雑草の生茂る藪道があり、ヤブ蚊に刺されクモの巣を顔面にくっつけながら、棘をもつ長い茎の草を掻き分けて入っていくと、畑はやっとその姿を現す。鬱蒼としたその空間だけひんやりとした冷気が漂い、そこに一歩足を踏みいれた瞬間、ぼくたちはいつも安堵ともつかぬ溜息をついていたものだ。

ぼくが小学生の頃、畑にはサトウキビが植えられていた。収穫の時季になると家族総出で「 ウギ刈り 」をしたり、定期的に草刈りをしたり、ピクニック気分でそこに弁当を広げに行っていた。そこは、また違う形の「 家族 」という宇宙があったように思う。

記憶が曖昧でよく覚えていないのだが、畑にはいつしかサトウキビではなくスモモの木が植えられていた。そしてその頃にはたまに兄と一緒に行く程度になり、父も姉たちももうそこへはあまり行かなくなっていた。なぜ足が遠のいたのか・・いつ、なぜ、サトウキビからスモモになったのか・・よく覚えていないのだ。そして、中学校に上がる頃にはもう誰も行くことはなくなった。そこは、もはやただの荒地であり、父の畑はいつしかおでもり山の一部と化したのだ。


あの父の畑。
今まで思い出すことさえなかった父の畑。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


謎のおばあちゃんの電話から一週間後、田舎の兄から電話があった。

あのおでもり山の麓にあった父の畑に、某ケイタイ電話会社がアンテナだか電波塔だかを建てるらしく、役所やら電話会社やら地権者やらの手続きの書類を作っているとのこと。それに際し、土地の所有者の名義を今は亡き父から兄へと変更するらしい。長年放ったらかしにしていたあの土地の所有者の確認をしたところ、名義は父ではなく、なんと祖父(父の父)名義のままだったのだ。で、その名義変更のために家族全員の同意書が必要だとの電話だった。


「 泉 安千代 」

兄から送られてきた書類の、所有者の欄に書かれた文字が目に飛び込んできた。祖父の名は「 安千代 」、たぶん「 やすちよ 」と読むのだろう。

やすちよ

見たことも聞いたこともない祖父のこと。なんの思い出もない人なのに「 安千代 」の文字が僕の目に深く侵ってきた。家族ではない人なのに「 やすちよ」が僕の意識を深く抉る。僕はじっと安千代を見つめた。

安千代

父の畑は時空を越えて祖父から兄のもとへ。そして近い将来その畑の上を飛びかうだろう電波が、時を跨ぎ海を渡り祖母の声となって僕の会社へたどり着いた。

 
と、色んな事が色々な何かが繋がっているような繋がっていないような、不思議なような関係のないような、考え過ぎなような何かの暗示のような、そんなどうでもいいような些細な出来事なのでした。

 

2016年02月23日:龍郷

 
4年前に書いた日記を読み返している。謎のおばあちゃんからの電話とおでもり山の麓の畑( 母はゴスコの畑と言っている )の事を書いた日記だ。その日記の最後に「何かの暗示・・」と確かに書かれていた。

あの出来事から2年後、僕は25年ぶりに龍郷に帰った。たった3日間だけの里帰りだった。おでもり山の麓に行くと、ゴスコの畑にはコンクリートで出来た電波塔が建っていた。畑までの道のりは、あの頃とは比べ物にならないくらいに整備されており、車で容易く行くことができた。畑は思ったほど荒れてはいなかった。たくさん生えている草の中から、背の低い向日葵が何本か顔を出している。その向日葵の競り上がった隅の方に、この畑とは不釣り合いな電波塔がひっそりと聳えていた。

 
そして更に2年後の今、僕は母と暮らすために龍郷へと戻ってきた。この2年で母は確実に老いていた。仕事が休みのたびに僕は老いた母と一緒にここへ来て、あの時よりも明らかに荒れ果てた畑の草刈りをしている。土は意外と柔らかく、ある程度の草なら簡単に抜くことができる。しかし地面中に何かの根が蔓延っていて、そのしつこい奴らを根本からひっこ抜くのに手間がかかる。ススキも大きいものになると容易には抜けず、鍬を入れるか根本から釜で切っていく。

母との共同作業はなかなか愉快だ。僕は無口で、母も多くは喋らない。ふたりはただ黙々と作業を続ける。淡々と草や土と格闘する。一段落つくと抜かれた草の上に座り込み、汗を拭い、ふたりはなにも喋らずペットボトルの水を飲む。荒れ果てた父の畑がそこにあった。もう決してあの日のサトウキビ畑には戻らない。スモモも実らない。しかし、それでも僕は母とふたりでこの草たちを刈っていく。かつて此処にひとつの宇宙があったことを知らない電波塔の下で、新たな歴史を創るためにふたりで大地に鍬を入れる。母は何も言わず、また土と格闘の続きを始めるために静かに立ち上がった。僕も母の後を追った。そんな、ふたりだけの作業がなんだかとても楽しく感じる。

 
刈り取られ積み上げられたススキの山に乗り、僕は灰色に聳える電波塔を見上げた。100年の時を越え、あの日、安千代はこのゴスコの森から電波に乗って東京にいたぼくを探してくれた。そしてぼくを再び此処まで導いてくれた。4年前のあの日の出来事。今日この日この時の暗示だったのだろうか。

あの日からは想像しなかった僕がここにいる。今、母と一緒にぼくは此処に立っている。


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