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名瀬のもうひとつの聖地。そして、泉芳朗が復帰祈願の断食をした場所だ。名瀬の聖地だけではな…
いわずと知れた名瀬の聖地であり名瀬のシンボルであるこの山。「拝み山」「御神山」「お上山」…
幕末、奄美の黒糖は薩摩藩の重要な財源だった。しかし内地の白糖(特に讃岐の白砂糖)の台頭に…
『奄美ワールド川柳』の表彰式と座談会があった。奄美の「通り」と「道」を題材にした方言川柳…
そこを発見したのはほんの偶然だった。柳町から屋仁川の雑踏を避けて抜ける一方通行の小さな裏…
愛加那は源吾の髪をすくときに、櫛に残ったわずかな髪を秘かに集めていた。いつかくるだろう離…
大熊には叔母の家があり、小さい頃から休みのたびに遊びに行ってた大好きな場所だ。浦上で岩崎バスを降りて、小学生の僕は三つ上の姉と一緒に大熊まで20分~30分くらいの道のりを歩いて叔母の家に行っていた。 大熊はもうだいぶ前に区画整備されて、あの頃の面影はぜんぜん残っていない。でもやっぱり僕は大熊が大好きだ。その大熊の旧道に入る手前にチボリの水がある。 古来より涸れることなく水が涌き出ている。その水は清んで冷たくそして輝いている。それを飲むと長寿になり子宝に恵まれるという。人々
例によって看板も説明板もないので、ここがどういう云われのお墓なのか何もわからない。これに…
「決して近づいてはいけないところ」だそうだ。地元の人もあまりそこには行かないらしい。そう…
慶長十四年(一六〇九年)三月七日 笠利間切津代港におこった 一発の銃声は 見えない鳥を撃ち…
三太郎トンネルがまだできる以前の明治時代から大正時代にかけて、「三太郎峠」は住用と古仁屋…
波穏やかな瀬戸内の 久慈の入江に佇めば あの日幼き母さんの おてんば姿が目に浮かぶ 辛いばか…
小学生のときに「マンカイ」というアダ名の1個上の恐い上級生がいた。恐いというのは暴力的な…
まだ夜が明けない薄暗いうちから、ショチョガマに乗ったグジたちがチヂンを叩き、静かに祭りの唄を歌っていた。 グジの後ろには捻りハチマキをした沢山の男たちが中腰でその時を待っている。僕も頭に手拭いをギュッと絞め、おそるおそるショチョガマの隅に乗った。 東の空が少しづつ白んできた。それにつれグジの唄も徐々に激しくなっていく。男たちは静かに東の空を仰ぐ。グジの唄と叩くチヂンの音が村中に響く。 空が焼けてきた。 稲魂がおりた。 グジたちの唄がピタリと止んだ。 僕は足を踏んば