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音符も読めないド素人じじいが1年後に自作アルバムを世界に配信した詳細記録

すべての音楽が好きな人、これからギターを弾いてみたいと思っている人、自分だけの曲を作ってみたい人、そしてそれを録音してCDにしたり、配信したりしてみたい人。
ついでに、じじいの退職後に選んだ趣味をめぐる悪戦苦闘悶絶ぶりにちょっと興味がある人。
この記事を読んでみてください。

<目次>
 プロローグ
 ギターとの格闘だ
 曲を作るのだ
 機材をそろえるのだ
 録音するのだ
 CDを作るのだ
 ついに世界配信

プロローグ


おじいは仕事をリタイアしたあと、何して過ごそうかと考えた。
以前からテニスをやっている。しかし週イチだ。
野球を見るのが好きだ。しかし長いシーズンオフがある。
そうだ、ピアノが弾けたら素敵だな、と思った。(なんかよく聞くパターンですけど) 
ピアノの弾き語りで「Let it be」とか歌えたら、どんなにかカッコいいだろう。しかも「ボケ対策」にもなる。
だが、狭い我が家にピアノなど置くスペースはない。
じゃあギターだ。
三味線でも良いのだが、やっぱりギターだ。
おじいが若かった頃、フォークが大流行した。ギター1本で歌を作って歌うフォークシンガーに、強く憧れた一時期があったのだ。
級友の中には学祭でギターの弾き語りなどをしたやつもいて、ひそかに嫉妬に近い感情を抱いたりもした。ギターを弾けるやつが女子にもモテて、とにかくにかっこよく見えたのだ。しかし当時のおじいにギターを買う金はなく、手にするチャンスもないまま憧れただけで終わった。
そうだ思い出した。弾き語りをしたのは「やいづの」というやつだ。
そいつの本名はすっかり忘れてしまったが、当時人気の時代劇「素浪人花山大吉」に出てくる「焼津の半次」に似ていたので「やいづの」というあだ名を付けられていた。なんで「半次」ではなくて「焼津の」かというと、主役の「大吉」がいつも彼を「焼津の」と呼んでいたからだ。
どうでもいい余談になってしまったが、おじいは「やいづの」に対して悔しいがカッコいいなという、嫉妬にも憧れにも似た思いがあった。

音楽をやってみたい。ギターが弾けるようになりたい。
そんな願いはあるものの、おじいには楽譜はまったく読めない。中学の音楽の成績は2がレギュラーポジションで、好調時で3だった。(5段階相対評価による)
歌はどうにか歌えるものの、ハーモニカやリコーダーといった楽器の演奏はからきしダメだった。その楽器の演奏も中学のリコーダー以来やった事がない。会社勤めのつきあいで年に1、2回カラオケに行っていたのが、「最近の音楽体験」と言ってよい。
こんなおじいだけれど、今さら音楽の勉強をして楽譜をすらすらと読めるようになりたいとは思わなかった。なにせ老人にはあまり時間が残されていないのだ。とにかく手っ取り早くギターが弾けるようになりたかった。(本当は勉強が嫌いで音符を覚えるのがめんどくさかっただけだ)

そんなじじいが、まさか1年後に自作曲のアルバムを製作して、世界に配信してしまう事になろうとは。 
ほんとうに夢にも思っていなかった。
音楽ド素人、おまけにメカ音痴のパソコン音痴、ついでにスマホ音痴でSNSも使えない、札付きのなまけものにして究極のめんどくさがり。そんなじじいでもやれるのだから、世の中すべての人ができるのではないかと思う。
ただし、少しの情熱といくばくかのお金は必要となる。
ここではそのお金の明細や必要な機材、楽曲の作り方や録音・編集・配信方法も含めて、この一年の苦闘の歴史をお伝えしたい。

ギターとの格闘だ


まずはギターだ。
かっこよくギターを演奏したい。
昔あこがれたフォークギター。今で言うアコースティックギター。これを鳴らして歌が歌えれば、いにしえの日に嫉妬した「やいづの」に半世紀の時を経てようやく追いつくことができる。
おじいはショッピングモールに入る楽器店をさりげなくのぞいたり、ブックオフで楽器が並んでいるコーナーなどをチラ見したりした。こそこそと隠れるように行動するのは生まれついての性分だから仕方がない。
楽器店の店員に話しかけたりするのは少々照れくさくて勇気がいるのだ。
なにせ音楽ド素人なので。何を聞いて良いのかもわからない。
「初心者用の安いギターがほしいんだけど。」とでも切りだすか。
だが「こんなじいさんが、これからギターを始めるのだな。」と思われるのもこっぱずかしい。老後のボケ対策だな、というのが見え見えではないか。ド素人じじいが楽器を買うことはこんなにも敷居が高く、勇気が必要なのかと自分でも驚いた。
しかしこそこそと偵察した結果、まあ3万円ほど出せばそこそこのモノが手に入りそうだとわかった。
ただ、おじいには大きな心配事があった。
ピアノなら音が消せる電子ピアノみたいなやつがあって「音なし」で練習できる。しかしギターとなるとそうはいかない。指ではじくくらいならともかく、かき鳴らすとけっこうバカでかい音量がするのだ。最初からうまく弾けるわけもなく、たくさんの練習が必要だ。そうすると家の中はもちろん、外にまで下手くそな練習音が漏れ出すことになる。
おじいの家は地方の閑静な住宅街にある。
「この家の誰かが、下手くそなギターを練習しているね。」
「平日の真昼間だから、きっとあのじじいに違いない。」 などと、町内にたちまち知れ渡ってしまうことだろう。
どうしよう。
そんなときインターネットでギターをあれこれ検索していたら、むむっと目にとまるモノがあった。それがヤマハのサイレントギターというものだった。
「サイレントギター?」 聞いたこともないぞ。
ギターの音が出る仕組みくらいは知っている。「無音」になんか出来るの?という疑問が先に立った。
「サイレント」と言いながら、半分くらいの音は出るんじゃないの? または「エレキギター」の範疇に入るものか。「エレキ」なら電源を入れなければたぶん「無音」に近いのだろう。おじいが欲しいのはエレキの音ではなく、アコースティックの音色だ。
いずれにせよ眉唾ものだと疑いながら、さらに調べた。

いろいろとさらに検索してみると、問題の音量は「アコギの約18%」「エレキギターを電源OFFで鳴らした程度」とある。「エレキ」の電源OFFの音は実際に聞いた事がないのでわからないが、レビューによれば、かき鳴らしても「となりの部屋まで聞こえない」ともあった。
音はイヤホンで聴くようになっている。また、音質も調整が出来る。音はエレキ音ではなく、アコースティックだ。(クラシックもある)
これなら、下手くそでもいい音で鳴らせるのではないかという期待感が芽生えた。さらにはめんどくさそうなチューニングが、ディスプレイ表示で簡単にできるようなことも書いてあった。
「これ、使えるかも。」おじいは直感した。
べつに演奏をひとに聴かせようという魂胆などさらさらなく、自分の部屋でこっそりと楽しめれば良いと思っていた。
値段は? げっ、72,600円。 高いぞ!高い!
ケチなおじいは一瞬でびびった。
しかし、欲しい。
音が漏れずに練習できる。音質を変えられる。チューニングが簡単。
死ぬまであと10年あるとすると、1年7,260円。ひと月605円。1日20円。
「かっこよくギターの弾き語り」「余生を豊かな音楽LIFEで」
ゆめ、あこがれ、やいづの・・・・・・・・・
「よしっ、思い切ってこれを買おう!」
おじいは押し寄せる欲望に抗うことができなかった。
ナイロン弦のクラッシック仕様ではなく、スチール弦のアコギ仕様。  
色は赤みを帯びた光沢のやつ。販売店が、弦が押さえやすいように溝を削って調整してくれるというようなサービスがあったので、なんだかよくわからなかったがそれも頼んだ。
他のメーカー品で3万円台のものもあったし、中古品で半値近いものもあった。しかしあとから後悔して買い直すのもバカらしい。
まっさらな新品。
おじいは決意して購入ボタンをポチッと押した。
ピアノを買うよりはずっと安い。自分への退職祝いのプレゼントだ。胸の中でそう言い訳した。
おじいはけっしてYAMAHAの回し者ではないが、いま思えば、このサイレントギターこそがおじいの最大の武器になったといっても過言ではない。
(7万円はいくらなんでも高すぎる、という方。数千円の中古ギターでもじゅうぶん配信まで至る事が可能ですから、あきらめないでついてきてください。)

サイレントギターとギターケーブル

そして4,5日でサイレントギターはやってきた。本体と、何て言うのか知らないけど、ひょうたん形のカーブを描くやつの「半割れ」とが別々になっていて、簡単な組み立て式になっていた。ふつうのアコースティックギターに比べると、共鳴板の胴体が無い分だけずいぶんとスリムでコンパクトだ。 ローズウッドのつやも美しい。
いいね。むふふとおじいはほくそ笑んだ。
説明書も邪魔だとばかりに放り投げ、あわただしく電源コードをつなぎ、付属のイヤホンを耳に押し込んだ。
ポロロンと弦をはじいてみた。エコーのかかった音が響く。
すばらしい音色におじいはたちまち魅了された。

高額の投資をした手前、なんとしてもギターを弾けるようにならねばならぬ。おじいはそう決意した。(なにせウォーキングも筋トレも英会話も4日しか続かなかった前科がある)
ここで言う「弾ける」とは、メロディーを奏でるというのとはちょっと異なる。歌の伴奏に当たる「コード」を鳴らせるようになる、という意味である。けっしてクラプトンやナルシソ・イエペスのように弾くのではない。
「やいづの」のように弾きたいのである。
そのギターの演奏。どうやって覚えようか迷ってはいた。
手取り足取り教えてもらった方が当然確実で習得も早い。ただ、音楽教室に行くとなると、月謝はもちろん必要になるし、通うのも面倒くさい。それに、ギタリストとして目指す場所がギターの演奏者ワールドの中では非常に低い位置にある。
かつて「やいづの」が学祭の前に教室で練習するのを見た。周りを取り囲んだ連中に弾き方を教えていた。
左手で押さえる弦のパターン、いわゆる「コード」ってやつをいくつか憶えて、右手でジャラーンと鳴らせばよい。ただそれだけだった。
「そんなに難しくはないな」当時のおじいはそう思った。
だから独学でじゅうぶんだ、半世紀前の記憶でそう決めてしまった。
さて、その「コード」だ。
おじいにはコードで思い出すことがあった。
昔の話で恐縮だが、かつて「明星」や「平凡」という月刊のアイドル雑誌があった。それには必ず「歌本」と呼ばれる付録が付いていて、当時のヒット曲が楽譜やコード付きで載っていた。その巻末に、さまざまなギターコードの押さえ方が一覧表で表示されていたのだ。ギターの弦のイラストに、押さえる部分に黒丸が付けられたやつ。 
これらの雑誌はとうに廃刊になってしまっている。しかし、書店で見かける「2022年版 ヒット曲大全集」といった分厚い電話帳みたいな歌本には、ひょっとしてアレが載っているのではないかと思った。 
書店に行って探すと、予想通りそれは載っていた。そのうえ、かつての歌本は押さえる場所がただの黒丸だったのに、この本は㊥といったふうに押さえる指まで指定してくれていた。
本には古今のヒット曲が全曲コード付きで3000近くも掲載されている。
これはいいね。使える!
おじいは嬉々として1.980円でこれを買い求めた。そしてこの1冊がギターの教本となり、曲作りに際しては参考書となって、おじいの「音楽ライフ」には欠かすことのできないものとなった。

ギターと作曲の教本となったヒット曲大全集

ギターの教本となったヒット曲大全集をつぶさに見ると、昔の短い歌の中には簡単なコードを3つ4つ覚えれば伴奏が弾ける曲がいくつかあった。
Am(エーマイナー)、Dm(ディーマイナー)、E(イー)。これらのコードは左手の指で3カ所弦を押さえるだけですむ。この3つのコードで弾ける歌を選び、本のイラストを頼りに弦を押さえてみた。
それほど難しくははなかった。しっかり押さえて弦を指先で鳴らせば、きれいに和音がひびいた。そしてゆっくりとコードを順に進行させながら歌詞をつぶやいた。とぎれとぎれ、超スローだけれど、これがおじいの弾き語り初体験となった。
しかし、やっているうちに細いスチール弦はやわなおじいの指先に食い込み、指もすぐに疲れてしまった。練習は15分ともたなかった。
「こんなに指先が痛いものなのか。ちゃんと弾けるようになるのかな。」
早くも先行きに暗雲が垂れ込めた。
「世の中のギタリストたちは、どうやって弾いているのだろう。やっぱりこんなに指が痛んで疲れるものなのだろうか。でもそんなふうにはとても見えないな。じつに軽やかに指を動かしているではないか。コンサートではきっと何時間も弾くことがあるだろうし、子供だって弾いているのだ。ひょっとしてギターが悪いのかな、それともわしの指が弱すぎるのか? いやそんなはずはないぞ。何か秘密があるはずだ。ギター演奏には何か秘密が隠されている・・・」 いろいろなことが頭を駆けめぐった。
テレビでギター奏者の演奏場面に出くわすと、食い入るように指先を見つめた。「ああ見えて彼も秘密を持っているのだ。きっとギタリストだけの秘密の奥義を隠しているのだ。」 秘密の奥義とは何だろう。
秘密を探るために最初はスクールに通うのが正解かな、という思いも胸をよぎった。しかし、めんどくささがやっぱり優勢勝ちした。
とにかく、指が痛かろうが腕が折れようがケイゾクが大事だ。今度ばかりは4日で終わらせてはならん。
おじいは1日の練習時間を20分(それ以上指がもたなかったから)と決めて毎日練習に励んだ。なんとか7万円の元を取らねばならない。へっぽこじじいでも、金が絡むと多少の執念をみせる傾向はあるのだ。

サイレントギターの調音ツマミ

先に書いたAmを基準とするような曲は、短調、いわゆるマイナーコードの曲となる。暗めの、哀愁を帯びた曲調の歌だ。
それに対してC、F、G7といったコードを使う曲は明るめの曲調となる。
(マイナー、に対してメジャーコードと呼ばれる)
C, F, G7はギターコード全般の中では易しいコードだし、もっとも基礎的なコードとなる。そのため初心者には避けては通れない。しかしそれらのコードは人差し指から小指まですべて使ったり、離れた場所を押さえなければならなかったりと、初心者には最初の難関として立ちはだかった。
おじいは指の痛みと闘いながら、珍しく根気よく練習を続けた。
練習を続けて1週間もすると、弦を押さえる左手の指先の皮が厚くなってきた。2週間もするとさらに皮が厚くなり、カチカチに固まってきた。
ギターを弾くと、指先がこんなふうになるのか。これなのかな、と思った。
「ギタリストの秘密」の尻尾をつかんだような気がした。
指は相変わらず疲労して長くはもたないが、指先の痛みは皮が厚くなるとともに少しずつ和らいできた。
やがて不器用なおじいでもAm, Dm, Eといった初歩的コードはなんとかスムーズに押さえられるようになった。右手も、ぎこちないけどジャカジャカとストローク出来る。ありがたいことにいくら強く弾いても下手くそな音は誰にも届かない。家人も弾いていることに気がついていない。この時、サイレントギターにしてほんとうに正解だったと思った。(もし、生演奏を人に聴かせたい場合はアンプとスピーカーを付ければよいとのこと)
ギターに付属でピックが付いていたが、おじいはどうもこのピックを使った演奏が苦手というか、うまく出来なかった。引っかかったり、力加減がわからなかったりで、うまくストローク出来ないのだ。これが独学のかなしさかもしれない。
まあいいや、と思いながら右手の人差し指の爪を少々長めにのばしてそれでストロークした。たぶん正道ではないのだろうが、その方がしっくりきた。またサイレントギターの調音機能がカバーしてくれて、それほど悪い音には聞こえなかった。(気がする)
それから、アルペジオと呼ばれる演奏方法をネットで調べて学んだ。
右手の親指から薬指までを使って1,2,3,4と規則性を保って弦をつま弾く演奏方法だ。これも数種類、根気よく練習した。練習するほどに指が動きを覚えて、意識しなくても勝手に動いてくれるようになった。
アルペジオは静かな曲調のときによく合う。出だしの静かな部分はアルペジオで演奏し、サビにかけてはじゃんじゃらストロークで盛り上げたりするのだ。

そうした日々の練習の中で、高い壁と言えるのが「Fコード」だった。
ギターの「ネック」と呼ばれる弦の張られた棒の部分は、名称は知らないが川に例えれば堰のようなもので20以上に仕切られている。その一番上の仕切られた部分(第1フレットという)の、6つの弦すべてを人差し指を横断させてしっかりと押さえる。それと同時に中指から小指まで3本の指で第2、第3フレットの別々の弦を押さえる、というハナレワザを行わなければならないのだ。これを練習していたら、不器用なおじいの指はとうとうつってしまった。「指がつる」なんて、長く生きてきたが初めての事件だった。
Fコードというものは、どうやら人差し指の親指サイドの皮が厚くならないとしっかり押さえられないようだ。さらに練習して2週間。人差し指の横っつらの第二関節あたりがタコのように盛り上がり、ようやくちゃんとした音が出せるようになった。
こいつときたら1年たった今でもおじいの苦手なコードで、天敵といってもよい存在だ。
しかしFというコードは、アルペジオの奏法だと、Dm7(ディーマイナーセブン)という簡単なコードで代用出来るので、おじいはインチキしてアルペジオではDm7をもっぱら使っている。

これがFコードだ

コードについていえば、ここまでに書いた7つのほかに、Em(イーマイナー)、A7(エーセブン)、C7(シーセブン)あたりを覚えたら、まあほとんどすべての楽曲の伴奏は可能になるといえる。この10コのコードさえ覚えれば十分なのだ。自慢することではないが、現におじいはこれしか使っていない。
世の中にはおそろしいほどにややこしく、難攻不落、こんなん出来るの?っていうアクロバチックなコードがあるけど、それはマニアやプロが使うものと割り切って無視している。(あくまでモウロクじじいの言うことですからご容赦を)
そのかわり「カポタスト」、略して「カポ」という素人には心強い味方がいる。おじいはこれの存在をネットで知った時、思わず喝采を叫んだくらいだ。
前述の10コのコードはネックの一番上から3つめまでのフレットを使用する簡単なものだが、それだけではとうていさまざまな音程をカバーできない。つまり、歌う人のキーに合わせることができないのだ。
しかしカポという器具を付ければ、フレット1コにつき下にいくほど半音ずつキーが上がっていく。カラオケ屋にあるリモコンディスプレイに出てくる、♯、♭でキーを上げ下げする、アレと同じ役割だ。
カポは取り付けたフレットの6弦をすべて押さえつけるというちからワザで、キーを簡単に調整する機能があるのだ。だから「超絶技巧を要するあまたの高難易度コード」を覚えることは不要となる。
カポは安い。おじいはネットで980円のクリップみたいに挟み込むタイプを購入した。(カポタストには数種類あり、それぞれ弦を押さえ込む方法が異なる)それは1年経った今でも十分に機能を果たしてくれている。

カポタスト

2ヶ月も経つと、こんな不器用を人の形にしたようなおじいでも簡単な曲なら弾き語りが出来るようになってしまった。早い人ならたぶん2週間もあればここまでたどり着けるだろう。ちなみに、練習に使ったのはみんなスローテンポの曲ばかりだ。テンポの速い曲では、初心者はコードからコードへの指のポジション移動が追いつかない。
最初に練習に使ったのは、大昔の演歌「夢は夜ひらく」という曲である。
若い人は知るよしもないだろうが、宇多田ヒカルさんのお母さんもこの歌を歌ってヒットさせた。この歌はワンコーラスがとても短いのが特徴だ。
よってAm, Dm, E の3つの簡単コードだけで弾くことが出来た。
次いでこれも大昔のフォーク、吉田拓郎さんの「夏休み」という曲だ。この歌も短くてAm、C, Dm, E の4コードで事足りた。
で、その次がこれも大昔のフォーク、トワエモアの「誰もいない海」。コードはC, Am, Dm、G7、E の5つに増えた。
順番にコードを増やしながら、田舎の県道を行く軽トラのようにゆっくりとおじいは上達していった。
そして、いろいろと考えに考えて、次の1ヶ月の目標を立てた。最低でもここまでは行こうという着地点だ。それは藤井フミヤさんの「TRUE LOVE」とビートルズの「Yesterday」の弾き語りである。この2曲はスローテンポでコードの種類も少ない。その上「Fコード」が入っているのでちょうど良い練習曲になる。
「TRUE LOVE」はC, G7, Am、F だけで形になるし、「Yesterday」はC,  E,  Am,  F,  G7で格好が付く。
「形になる」とか「格好が付く」と書いたのは、これらは原曲のコード進行そのままではなく、おじいが適当に当てはめたからだ。何ヶ月もやっていると、この部分はCだな、ここはFだなというのがだんだんわかってくる。前に書いた、おじいの「10コしかないコードレパートリー」の中からその部分の音に合致したコードを選んだのだ。
このように、原曲では難易度の高いコードを使っていたとしても、「おじい10」の中から代替コードをあてがえば、不自然でない伴奏が出来上がる。
1,980円の「歌の大全集」に載っている歌には、すべてコードが記されているが、それはおそらく原曲のコードだ。大半がおじいの知らないものばかりだ。
それもそのはず、「大全集」の巻末に掲載されているギターコードの数だけでも150を超えている。コード全体では数百はあるらしい。うまい棒のようにスカスカなおじいの脳みそで、そんなものが覚えきれるワケがない。
だけど、それらはすべて「おじい10」に置き換えることが出来てしまう。
言い換えると、それが出来る程度におじいも成長していた、ということだろうか。
ともかく、「TRUE LOVE」と「Yesterday」の弾き語りができたら、それはそれはかっこいいことではないか!(誰に聞かせるわけでもないけど)

カポタストを取り付けたところ(クリップみたいに挟むだけ)

そして1ヶ月後、おじいは難関「Fコード」との戦いに明け暮れたすえ、どうにかこうにか50:50、ドロー程度には持ち込めるようになった。
「F」が見事に決まることもあれば、指がもたついて押さえ込みにしくじることもある。不器用な老人の指はなかなか言うことをきいてくれないのだ。
まあその程度のものだが、上手に弾けた時はやっぱりうれしいものだ。
「ギターは1本のオーケストラだ。」 などと自賛する。
楽譜も読めないド素人じじいが何ぬかすか、と怒られそうだが、ギターってやつは素晴らしい。素直にそう思った。
少なくとも、じじいの弾き語りの相棒としてはとても優秀だ。

曲を作るのだ


3ヶ月かけて「TRUE LOVE」と「Yesterday」を相手に引き分けに持ち込めるほどに腕を上げたおじい。すっかりハートだけはギタリストになってしまった。
そこでまた思い起こしてしまったのが、大昔に学祭で弾き語りをした級友の「やいづの」のことだ。
「わしはまだあいつにぜんぜん追いついていないな。」と、ふと思った。
あの頃は大、大フォークブームで、自作の曲をギター1本で歌うことが、何とまばゆくかっこよく見えたことか。
あいつは学祭のステージで、全校生徒の前で「遠い世界に」を演奏して歌ってみせた。おじいには逆立ちしてもあんな真似はできない。
仮に、ギターの腕がさらに上達して「やいづの」に追いついたとしても、自分には人前で演奏して歌唱することなど一生ムリだとわかっていた。
歌も「やいづの」よりもかなり音痴だと確信していたし、大勢の観衆を前にステージに立っただけで尿モレして歌うどころではない。
「しかし、待てよ。」と、おじいはひらめくことがあった。
「あいつは、既成のヒット曲を弾き語りしたにすぎない。わしがほんとうにカッコいいと思っていたのは、自分で作詞、作曲した歌を弾き語りすることじゃなかったのか?」
たしかに小中学校の頃に心底憧れたのは自分で作曲し、楽器も演奏できて、歌も上手で芝居もできてスポーツマンで英語もペラペラでハンサムな加山さんだったし、高校生くらいにはS&G(サイモン&ガーファンクル)にどっぷりハマっていた。
「そうだ、自分で曲を作ろう。世界で自分だけの1曲を。生涯かければ1コくらい素晴らしい曲が作れるかもしれないぞ!」
おじいは「やいづの」を超えるために、「やいづの」に憧れることをその時
からやめた。そして「やいづの」の面影を駿河湾にそっと、ふかく沈めた。(今となっては生きているのか死んでいるのかもわからないが、もし生きていたらあいつはばかでかいくしゃみをしているだろう)
そしてその時から「自分の人生を代表するオリジナルの1曲」を創る新しい戦いを始めたのだ。

「人生を代表する1曲」という目標をかかげてみて、最初にぱっと思い浮かんだのが「My Way」だ。日本の曲ではない。
「My Way」
こんな歌を作って歌えたらいいな、と思った。よくもまあ、センスのかけらも、歌唱力のカの字もないじじいがそんな事を思ったものだが、ほんとうに思ってしまったのだから仕方がない。
おじいは、加山さんがオーケストラをバックに歌唱するこの曲が大好きというか、もう聴くたびに「感動」してしまうくらいなのだ。(これは多分にトシのせいもある) 高校生のころ「明日に架ける橋」を聴いた時も感動したが、ほかに音楽を聴いてのカンドー体験はとくに思い当たらない。あ、クイーンの映画のウェンブリースタジアムも鳥肌が立ったな。でもあれは作られたドラマだし大スクリーンだから参考記録としておこう。

それと、おじいを「人生の1曲作り」に駆り立てた理由がもうひとつあった。
おじいは、片方の耳がほとんど聞こえないのだ。数年前、会社で仕事中に「突発性難聴」になった。
春先の陽気のいい日だった。突如として経験した事のない耳鳴りがした。
なんだコレは、と思って様子をみたが、あきらかに右耳の様子がヘンだ。
しかし、目の前に急いでやる事がたくさんあったので、そのまま仕事を続けた。
しばらく「経過観察」するつもりだった。するとやがて「平常」に戻った気がした。世に言う「正常バイアス」というやつだろうか。自分には異変は起こらない、という深層願望みたいなものが「平常なのだ」と認識させてしまったのかもしれない。その時は「突発性難聴」だなんて思いもしなかった。
片耳が聞こえないことに気づいたのは、あきれたことにじつに2週間も後になってからだ。家でテレビを見ている時、何かのはずみで、ほんの何気なしに指で左耳を塞いだ。
あれっ?  音が、聞こえない?
えっ、と思って交互に左右の耳を塞いでみた。 聞こえない。
たしかに聞こえない。おじいは愕然とした。
「アレだ・・・」
あの時のアレだ、とすぐに思いあたった。
翌日、耳鼻科に行った。しかし手遅れだった。「突発性難聴」は72時間が運命の分かれ目だと聞かされた。72時間以内に治療すれば助かる可能性がある。それを過ぎたらほとんど治療効果は無い。72時間どころか、おじいは300時間をはるかに超えていた。一応服薬とかしたものの、おじいの右耳は聞こえないままとなった。
だからある程度年をめされた方は、気をつけた方が良い。耳に異変を感じたら「突発性難聴」を疑い、「72時間」をすぐに思い浮かべるべきだ。
などと余計なことを書いてしまったが、おじいには恐怖心があるのだ。
片耳で起こったのだから、もう片方でも起こりうる。そしてこれが起きてしまったら、おじいはほとんど音を聞くことが出来なくなるかも知れない。
次はすぐに病院に向かうだろうが、原因不明の場合も多いと聞く。治療効果がなければ補聴器に頼る生活で、音楽を楽しむことが出来なくなるのではないか。それが恐怖なのだ。
だから片耳でもなんとか音が聞ける今のうちに、やりたいことをやっておきたい。その思いがおじいを突き動かしていた。
おじいはギターの練習を続けるとともに、さっそく曲作りを始めた。

「歌ってアレだな。やっぱりメロディーだよな。」などと、もはやじじいは音楽家気取りだ。
「メロディーの美しい歌は多少しょーもない歌詞が付いていても残るし、ヒットもするけど、いくら素晴らしい歌詞が付いていても、メロディーが悪いとまったく残らないな。歌ってそういうものだ。」
どのじじいが言うかと怒られそうだが、「歌は美しいメロディーありき」
おじいはこの怪しげな理論に凝り固まっていた。そしてこの「理論」に従って、いわゆる「先メロ」(メロディーを先に作って、後から歌詞をつけること)で歌を作ることに決めた。

おじいの脳内にメロディーが浮かんだとしても、音符がわからないため楽譜にして残すことは出来ない。しかし、スマホには録音機能がある。それくらいはスマホ音痴のおじいでも知っていた。初めてこれを使ってみたが、わりとかんたんに録音はできた。
「ふふん、ふふふ~ん」と浮かんだメロディーを鼻歌で入れた。
でも、何か歌詞があったほうがやっぱり作りやすいか。
そこでおじいは、ある裏技を編み出した。
教科書である「大全集」をテキトーに開き、まったく知らない歌の歌詞に独自のメロディーをのっけるというワザである。
知っている歌だと、どうしてもそのイメージやメロディーに引っ張られて、そっち寄りの歌になってしまう。だからあえて知らない歌の歌詞を借りることにしたのだ。もちろん「先メロ」なのでメロディー優先。ゴロが合わない歌詞は自由気ままに変えて使った。
しかし、なんだか、どうしても、おじいのメロディーは昔の「歌謡曲調」になってしまう傾向があった。子供の頃に聴いていた歌謡曲が、原風景として心の随にまで染みこんでいるのであろう。
当時はひばりさん、九ちゃん、ピーナッツ、御三家、加山さん、ピンキラ、GS・・・1960年代にテレビやラジオから流れてくる、ほとんどすべての音楽が歌謡曲(ポップス、演歌を含む広義での大衆歌謡)だったのだ。
当時はテレビをつければ歌番組をやっていた。バラエティーやコント番組でも、歌手がゲストで登場して歌を歌った。ドラマでさえ、配役された歌手や俳優が当然のごとく劇中で歌を歌った。
GS(ガソリンスタンドではなく、グループサウンズ)は空前の大ブームとなったが、カタチはロックバンドでも歌の中身は歌謡曲だった。
それから中学、高校と成長しても、フォークブームの裏では70年代の「アイドル歌謡」がどっかーんと大きな存在としてあった。南沙織に始まる清純派アイドルにもおじいは夢中になったから、それはそれで仕方がないのだろう。
ああ、そうだ。南沙織。 
南沙織さんこそ70年代から80年代まで続く「清純派女性アイドル歌手ブーム」の先駆者だった。それ以前に、歌も歌う「清純派アイドル女優」はいたけれど、「歌手」はいなかった。もちろん若手の女性歌手もいたけど、みな「つけまつげの際立つケバ目のおねえさん」だった。(当時の女性歌手のみなさんごめんなさい)南さんは「ケバ目おねえさん」の中に突如として現れた「清らなる妖精」だったのだ。衝撃的でありアイドル革命といっても良かった。
「南沙織以前」と「以後」では歌謡界のみならず芸能界、テレビ界の顔ぶれがガラリと変わることになった。その意味で南沙織さんの存在は、芸能史においてあまりにも過小評価されすぎている。(じじいごときが芸能史を語るか)
南沙織さんの登場以降、雨後のタケノコのように(という表現が失礼にあたるのならば、夜空を埋めるキラ星のごとく)「清純派女性アイドル歌手」が続々と現れた。南さんの登場した翌年、天地真理さんが大ブレイクした。
「まりちゃんブーム」はもはや「社会現象」と化したが、当時南沙織から天地真理に「寝返った」人も多かっただろう。しかし、以降もずっと続いた、アイドル歌手全盛時代の火付け役となったのは間違いなく南沙織さんだ。
南さんがすこし不運だったのは、すぐあとに天地真理というスーパーアイドルが現れたことと、デビュー曲「17才」のあと楽曲に恵まれなかった事だ。あの頃のおじいは、出る曲出る曲「なんでこの曲なの?」と失望を繰り返した。もどかしくもくやしい、忸怩たる思いでブラウン管の彼女を見つめていた。名前のとおり、南沙織さんは南の島(沖縄)から現れた妖精のようだった。おじいもご多分に漏れず、青春期のやわい心を根こそぎ持っていかれていたのだ。
とはいってもレコード1枚買ったわけではないし、コンサートにも行ったことはない。またマルベル堂のブロマイドを買い集めたわけでもないし、ファンクラブにも入ってはいない。これでファンと呼べるのかどうか、はなはだ疑問ではある。南さんの収入に1円も寄与していないのが申し訳ないくらいだ。
おじいはレコードは買わないが、ラジオの前に置いたテープレコーダーでカセットに録音して彼女の歌を聴いた。当時カセットテープレコーダーは出たばかりだったが、「英語の勉強に必要だから」と、うそをついて買ってもらったものだ。(今は無き「アイワ」の売り上げには貢献した)
今でも思い出すが、彼女が紅白歌合戦に初出場したときには、「上手に歌えるだろうか」と手に汗にぎり、はらはらしながら見守ったものだ。本人以上に緊張していたかもしれない。なにせ当時の紅白は、現在と比較にならないほどの国民的行事で注目度が高かった。
その頃のNHKには歌のオーディションがあり、それに合格しなければNHKの番組で歌を歌うことが出来なかったのだ。新人歌手たちは皆その洗礼を受けた。人気があるだけでは出演できず、実際に「実力不足」として落選させられた若手アイドルもいた。NHKは今よりずっとお堅く、お役所的性格で、「地方の真面目なお年寄り御用達」みたいな国営放送局だった。どんなへたなタレントでも平気で歌わせている現在からすると、本当に隔世の感がある。
そんな紅白の舞台で日本中が注目する中、歌唱力抜群のベテラン歌手や、貫禄十分の大御所たちに混じり、弱冠17才の新人歌手が歌うことがどれほどのプレッシャーだったか想像に余りある。南沙織さんを見守るだけのおじいでさえ緊張で固まっていたくらいだ。
紅白といえば、おじいが一年を通して唯一見る歌番組だ。家族が見るから一緒に見ているのだが、その目的はほとんど「ぼろくそにけなす」ために見ているようなものだ。それはそれでとても楽しい鑑賞方法ではある。
しかしあの華美な演出に、いったいどれだけの金をかけているのだろう。NHKよ、もっと質素倹約につとめよ。さすれば高額な受信料をぐっと減らせるだろう。年金暮らしのおじいから1万2千円以上も(年間地上波のみ)奪って行くのは酷な所業だぞ。金をジャブジャブつぎ込んでいる番組が多すぎるのだ。あんたんとこに娯楽番組は一切いらん。今の世は娯楽も多様化しているのだ。時代は変わっている。大河も朝ドラも紅白もいらん。報道と良質なドキュメンタリーと知識・教養番組だけで充分だ。頼むからそうして受信料を年間3,000円にしておくれ。NHKのくせに視聴率を気にしすぎているよ。「番宣」が民放みたいにやたらと多いではないか。それは高額な受信料を取っているから視聴率を気にせざるをえないからだ。タダにせよなんてことは言わないから、3,000円にしておくれ。たのむ。
いかん、話がそれた。何を頼んでいるのだ。
おじいは南沙織さんを語っていたのだ。 続けよう。
一般に「清純派アイドル歌手」は容姿はきれいで可愛いが、「歌はへた」だと認識されていた。南さんが「歌のへたな歌手」として、大御所や先輩歌手から一段下に見られることもおじいは悔しかった。たしかに歌のへたなアイドル歌手は掃いて捨てるほどいたし、名前は挙げないが中にはもうれつにへたな人もいた。
しかし南沙織さんは絶対にへたではなかった。抜群に上手くはなかっただけだ。彼女は英語がネイティブなので、日本語の歌がわずかに「舌っ足らず」な発音になってしまう。それがまた魅力でもあったのだが、その分英語の歌を歌わせると生き生きとして、解き放たれたような歌唱力をみせた。
またおじいは、ロイ・ジェームスがMCをしていたラジオの「不二家 歌謡ベストテン」のランキングにも一喜一憂したし(にもかかわらずリクエスト葉書は一度も送った事がない)、後発の「清純派歌手」が南沙織さんよりも売れてしまったり人気が出てしまうと嫉妬を覚えたりした。
何が言いたいかといえば、とにかくおじいは南沙織さんの「もぐりの隠れ大ファン」だったのだ。(じじい、さては南沙織を語りたいためにこの「音符も読めない」を書いたな)
長い人生で、歌手の「ひいき」、今でいう「推し」は青春期の南沙織さんと、S&G、遡って少年期の加山さんだけだ。
おどろいたことにおじいが所有しているレコードは、たった2枚。 
小6の時、床屋の帰り、今は亡きおやじに買ってもらった加山さんのアルバムと、高校時代に小遣いで買ったS&Gのアルバムだけなのだ。あ、それと就職後に横浜中華街でアグネスチャンの「中国語版」のアルバムを買った。その時はすごい掘り出し物を見つけたような気がしたのだ。この3枚だけだ。CDに至ってはなんと1枚も持っていない。
悲しむべきことにその後半世紀、他にはハマった人がいないのだ。邦楽洋楽の好きな「曲」は出てきたが、ファンと呼べる「アーティスト」はいない。
コンサートにも35年くらい行ったことがない。
その35年前というのも、友人がタダでくれたチケットだったから行ったのだ。2枚くれたので、うちのかみさんと二人で行った。それは誰もが知る有名アーティストではあったが、とくに好きというわけではなかった。今やもうどんなコンサートにせよ、お金を払ってチケットを買い、電車を乗り継いでまで行きたいとは思わない。いや、正直なところ、タダであっても余程のことが無い限り行きたくない。それにコンサート会場で立ち上がって手拍子をしたり、ノリノリダンスをすることがおじいにはできないのだ。それを考えただけでコンサート会場には近づきたくない。(じじいよ、そういうコンサートばかりではないぞ)
クラッシックもジャズもK-POPもラップも都々逸も興味が無い。
今大はやりの「字幕がない限り何を言っているのかわからない」歌の数々にもついて行けない。驚くべき歌唱力とテクニックだと思うけれど、おじいの脳みそに歌詞もメロディーも植え付けられる事は無い。このような曲が50年経った先でも愛され歌い継がれているとはどうしても思えない。巨額の富を生んで時代に消費され、短いサイクルで消えていくかなしささえ感じるのだ。(楽しんでいる人がいるのだからそれで良いのだ。音楽とはそういうものだ。じじいごときが音楽を語るな!)
それに比べると、荒井さんや桑田さんの作ってきた曲は必ず時代を超えて行くことだろう。二人の天才とおじいは、青春期からずっと同時代を生きてきた。尊敬しているしもちろん好きな歌もある。何年か前に紅白で二人が共演した場面などは落涙ものだった。しかし、強いシンパシーは感じるもののファンとは違う。荒井さん(ドリフの荒井注ではない)はブレイクする前、おじいの学校の学園祭に来てくれたので、尊敬を込めていまだに「荒井さん」と呼ばせてもらっているけど。(じじいが勝手にそう呼んでいるだけで決して知り合いではない)
こんな具合だから、おじいはまっとうな「音楽ファン」からすると音楽好きの風上にも置けないやからだ。「音楽不毛じじい」「音楽砂漠化じじい」とそしられても仕方あるまい。音楽界に何ひとつ貢献することなく、1円の金も落とさないただの野次馬じじいなのだ。こんな人間ばかりでは世界の音楽産業は成立せず、音楽文化そのものも衰退してしまうだろう。
しかし、こんなおじいでも音楽が好きなことだけは認めてもらいたい。好きな「曲」についてならたくさんある。ありすぎてどれが特に好きだと言えないが、今すぐ上げろと言われたら・・・REOスピードワゴン(ハンバーグ師匠のコンビではない)の、名前が出てこないけどえーと、「Fight」の付く曲だ。もうかれこれ25年くらい聴いていないので聴いてみたい。
ああ、これはいかん。 
じじいの音楽の好き嫌いなど、誰も興味も関心もないだろう。ついつい「南沙織」でコーフンして余計な事を書きすぎた。どんどんどうでもいい方向に外れていってしまった。過ぎた余談をお許しいただきたい。

とにかく、染みついた心の模様は簡単にとれるものではない。曲作りをする上で、歌謡曲マインドはひとつの個性として尊重していこうと思った。
     

1週間、2週間と、時にはギターのコードを鳴らしながら曲作りに奮闘したが、思うような成果は得られなかった。自分でも凡庸でつまらないと思うメロディーしか浮かばない。当然である、才能など皆無のぼんくらじじいなのだ。
イライラしたぼんくらじじいは自分に才がないことを棚に上げて、こんなふうに思った。
「70年以上にわたる現代音楽史において、もはや「人が聴いて美しい」と感じるメロディーは掘り尽くされてしまっているのではないか」と。
「わしは、ほんのわずかに残された鉱脈を見つけるために、やみくもに土くれを掘り返しているだけではないのか」と。
そこで、一度立ち止まって考えることにした。
「テーマだ。自分が世の中に訴えたい、伝えたいテーマから入ったほうがいいんじゃないだろうか。それに沿ってイメージを膨らませてだんだん形にしていくのだ。そうだ、それこそがフォーク魂だ。」
なにやら本物のアーティストみたいなエラそうなことを言い始めた。
「先メロもいったんナシにして、「テーマ」のイメージから想起したメロディーを作るのだ。」
じじいにそんな芸当が出来るとは思えないが、気分だけはアーティストになってしまっていた。
「そうだ、わしが世の中に言いたいこと。それなら長らく生きてきただけあって山のようにあるぞ。恨みつらみの多さなら人には負けない。」
完全にあやしげな雲行きだ。
「ロシアのウクライナ侵攻はどうだ、こんな暴挙が許されて良いのか!  香港の民主派弾圧はどうだ、罪なき人がどんどん刑務所に放り込まれている! ミャンマーの軍事クーデターはひどいもんだ、巨大な暴力が民主主義の芽を踏み潰しているではないか! 日本はあんなに原発でひどい目に合ったというのに、喉元過ぎたらまた再稼働だ増設だ? これだけ非正規を増やして貧しい若者を都会にあふれさせて、少子化は当たり前だ! それなのに国の借金ばかり増やして子や孫の世代にツケを回しやがって! 金と票づるにしか目を向けない政治業者たちにこの国をまかせていいのか! 見てろ、この国は必ず滅びるぞ! いや、世界もだ。このままでは人類は必ず滅亡する!」
とうとうとんでもない世界にまでじじいの憤りは広がり、とどまることを知らなかった。
「よし、これを歌にしてやる!」
「My Way」は早くもどこかへふっ飛んで行ってしまった。
フォーク魂だけは認めてもらうとして、はたしてこのような歌が「人生を代表する1曲」になるのだろうか?
当然、このじじいの「叫び声」を並べたところで歌詞にはならない。これをもっと「詩」に寄せていかなければ話にならない。それは頭でわかっていた。だが、「詩心」なんてものはガサツなじじいが持ち合わせているはずもない。詩だって小学生の時に授業で無理矢理書かされて以来作ったことはない。(じじい、それでよくまあ作詞作曲しようと思ったものだな)

「まずはイメージだ。イメージするんだ。」

最初に、あの独裁者たちや権力を私物化した政治家たちの顔が思い浮かんだ。彼らだって最初からあんなふうではなかっただろう。若き日、澄んだ目を輝かせて社会を良くしていこうと志したはずだ。それが金にまみれ権力の暗闘を繰り返すうちにいつしか変わっていってしまったのだ。彼らは人びとが目をそらし気づかないでいるうちに、じつに巧妙に強大な権力を手中に収めていった。人びとが声を上げずにいるうちに、やがて声さえも取り上げて、柵の中の羊のように飼い慣らしてしまった。柵の中の羊は外へ出ようとして初めて気がついた。外に出られないことに。それどころか外に出ることを「考える」事さえも禁じられていた。禁を犯せばとんでもない暴力が待っていた。権力に逆らうと命さえも簡単に奪われ、自分のみならず家族友人にまで危害が及んだ。こうなってはもう手も足も出せない。従順な羊のフリをして生きるか、死を覚悟して逃亡を企てるしかなくなった。だから人びとはそんなふうになる前に常に権力者を監視し、不適格者はその座から引きずり下ろさねばならない。腐敗しない権力など無いと知るべきだ。どんな国でも、この日本でも自由や民主主義は権力者にとっては邪魔くさい目の上のたんこぶだ。権力者は誰でも自分の思うがままに権力をふるいたくて仕方がないのだ。話し合いもすっ飛ばし、制度も法律もないがしろにしてやりたいことをやりたい。それに待ったをかけてまっとうな道を歩かせるのがわれわれの武器、自由と民主主義だ。失ってはじめてその尊さに気づくのだ。だまされていてはならない。見るのだ。耳を澄ますのだ。考えるのだ。声をあげるのだ。立ち上がるのだ。柵の中の羊になる前に。見よ。あちこちで戦いや殺し合いが絶えない世界を。この国だってもはや戦後ではなく今や戦前だ。国の舵取りを政治屋たちに丸投げし、目をそらしているとやばいことになるぞ。問題は争いごとばかりではない。世界で、この国で、今も海は汚され埋め立てられている。開発の名の下に森林は無残に削られて農地と化し、コンクリートで覆われていく。いったいどれだけの植物や動物の命が失われていったのだろう。それらの行為が自分の首を絞めることだと、ようやく地球人は気がついたようだ。もう遅い。遅いけどなんとかせねばならん。孫やひ孫たちがこの世界で生きていかなければならないからだ。はたして50年100年後の子供たちは、美しい世界を見ることができるのだろうか。平和な世界で暮らしているのだろうか。自分が子供だった頃は、科学が発達して未来は明るいものだと思っていた。みんなが豊かになり幸せになるのだ、そう信じて疑わなかった。未来は戦争もなくなり、国境さえなくなって平和な世界ができると夢見ていた。しかし自分が大人になる頃にはそれが幻想で夢物語だったことに気がついた。争いはいつもどこかで必ず起きていた。いつもどこかでたくさんの人が殺され、飢えに苦しみ、悲しみが渦巻いていた。外に目を向け、考えれば考えるほど心が沈むような世界だ。だからみんな自分の身の回りのことしか見なくなった。自分だけ無事であればまあいいか。小さい歓びをみつけてそれで良しとした。まるで柵の中の羊がエサを与えられたときのように。もし、わしが宇宙人で今の地球人を発見したら「スマホだけ持たされた哀れな生命体」という学名を付けるだろう。この100年で、自分は、この国は、世界は、いったい何を手にして、どれだけのものを失ったのだろう。そして、どこへ向かう気なんだ。

おじいはそんなことをだらだらと思った。
珍しく、世界のことを真剣に考えてしまった。
こんなイメージで詞とメロディーを作ろう、そう思った。
それにしてもテーマが大きすぎて広すぎる。
「オマエにはムリだ、もっと易しい歌を作れ。」心の声はあった。
だが、おじいはこの歌をなんか作ってみたくなった。こんな歌は聴いたことがないからだ。
タイトルは「FREEDOM」(自由)と決めた。
どこまで表現できるか、まったく予想もできなかった。
この内容からは、決して明るい曲調にはなりえない。
暗い曲調の歌は現代では流行らない。明るいPOPな感じの曲が圧倒的に多い。それは当然だと思う。だけどこれ、人に聴かせるわけでもなく、世に出すわけでもない。じじいが趣味で作る歌だからそんなことはどうでもいいのだ。

まず、上記のような「イメージの書きなぐり」を短くして「詞」の原型みたいなものを作った。いらない言葉を捨てて、残したい言葉を残す。「詞」に近づけるために、荒い言葉を婉曲な表現に置き換える。そんな作業をスカスカの脳みそで1週間ほど頑張った。
次にそのイメージでメロディー作りを開始した。
食事の最中も、ふと良い感じのメロディーが浮かぶと、ちょっと急な用事を思い立ったフリをして席を立ち、自室でスマホに録音した。
入浴中にはよくメロディーが降りてきて、風呂から上がるまでの間にそれを忘れないように、ずーっと頭の中で反復し続けた。途中でそのメロディーを見失うこともよくあって、とうとう完全に忘れてしまった時は、なんだか宝物を逃したような気がした。「ああ、世界はすばらしいメロディーを失った。」おじいはそうつぶやいた。
なんの拍子にか、夜中に目が覚めて眠れなくなってしまう事は誰にでもあると思う。そんな時には、おじいはずーっとメロディーを考えた。
良いモノをゲットしたと思って歓んでスマホに録音したものの、翌日聴いてみると、たいていそれは、がっかりするほどつまらないものだった。
さらにおじいの頭を悩ませたのは、メロディーの次の展開が無数にあることだった。出だしのワンフレーズを作って、これがいいと確定したとする。その続きをどうするか、どんな展開にしてゆくか、いくつもいくつも続きのメロディーを考えるのだ。もっと良いのがあるんじゃないかと模索する。これだ、と言うモノが見つかるまで何日も考える。出てこなければしばらく放置して間を取る。そんな事を繰り返していた。
才能のある人はきっと、感性のおもむくままにさらっと短時間で書き上げてしまうのだろう。しかし才能のカケラもないじじいは、そんな暗がりの尺取り虫のようなやり方で作り上げるしかなかった。

そんなこんなでメロディーを作るのに2週間をかけ、さらにメロディーにうまく歌詞をのっけるための調整にさらに1週間。およそ1が月かけてようやくなんとか自分の中で納得できる、人生初のオリジナル曲が完成した。
いろいろなテーマを詰め込みすぎたうえに、「詞」にするために抽象化した表現もある。それがこの歌にとって正解なのかどうかは分からない。
聴くひとには「何やコレ」という感じで、思いが伝わらないかもしれない。だけど、ひとに聴かせるものではなく、自己満足の「生涯の1曲」だからこれでいいのだ。
完成したときは、やったぞ、という満足感でいっぱいだった。

  FREEDOM         詞・曲 じじい

 この世界にあまねく朝は来る 目に見えないラインを光が射貫く
 浮雲は流れてゆく 水鳥は渡ってゆく 臆病な者だけが影に立ち止まる
 ちいさな幸せの祈りを捧げる 透明な水をたたえた泉に
 何を守ろうとして濁り水を落とすの 
 これ以上何を手に入れたいのだろう
 FREEDOM FREEDOM 目をそらせるたび
 FREEDOM FREEDOM 窓は閉ざされて
 FREEDOM FREEDOM 飼い慣らされてゆく
 FREEDOM FREEDOM 声を上げないのは
 FREEDOM FREEDOM  服従の意味だ
 FREEDOM FREEDOM 夕闇は近づく
 歩き始めたあの頃のことを 思い出してみてごらんよ
 光を宿す澄んだ瞳と 無口な情熱のあなたを
 饒舌?富?名誉? それとも何が変えてしまったんだろう
 偽りに浮かぶ楼閣を築き 明日を犠牲に差し出して

 あれほど寒かった冬の日々を ひとはすぐにも忘れてしまうんだね
 何が大切だったのか どこへ行きたかったのか
 旅を行く理由さえ道草に捨てて
 何が正しいのか正しくないのか 
 言いくるめられる権力(ちから)を手にした
 そんな自分をあなたは 誇りに思うのかな
 清濁を呑み込んだオトナだからと
 FREEDOM FREEDOM 軛(くびき)を外して
 FREEDOM FREEDOM 立ち上がるときだ
 FREEDOM FREEDOM 夜明けは訪れる
 FREEDOM FREEDOM こぶしに握った
 FREEDOM FREEDOM ひとかけの希望
 FREEDOM FREEDOM 大空に放とう
 戦いに勝ち残るためには 少しくらいの犠牲なんて
 仕方ないのだと背を向けて言う 鈍色の空の下で
 潰されてゆくちいさな命 引き裂かれる愛も絆も
 悲痛な魂の叫び声 幾千もの涙のSTORY
 戦うって何のためだろう? 勝利者なんていないのに

 明日という日は今日よりもきっと 必ずいい日になると信じていた
 貧しかったけれどとても煌めいていた 空の果て夢色で塗りつぶしていた
 手にしたものの手に余る大きさ そして失ったもののその重さを
 どうやって量ればいいの? 何が幸せなんだろう?
 答えなど出ないままに 旅をつづける

しかしこの歌、長くて重い歌だな。しばらく時間が経つとそう感じるようになった。「人生を代表する1曲」を作ることで始めた作曲作業だったが。
「ちょっと違うな・・・」
完成した時には満足感でいっぱいだったが、1週間もするとこの曲を人生唯一とすることに早くも疑問を抱き始めてしまっていた。こんなじじいでも頑張れば1曲できた、という少しの自信も生まれていたみたいだ。
「もっと明るくて軽快で、都会的なセンスにあふれた、さわやかな歌を作りたいものだ。」
軽快で、都会的なセンスにあふれた、さわやかな歌だと? じじいにそんなセンスがあるのか?  ない。
しかしどうやら、おじいの「作る気」に火がついてしまっていた。じつをいうと、前曲を作っている時に、ワンフレーズだけ気に入ったメロディーが浮かんでいたのだ。それは「FREEDOM」には使えなかったが、このまま闇に葬るのは惜しいと思っていた。なんとかカタチにしてやりたいという思いがあった。 「よし、やるぞ!」
こうなったら、またあの「イメージ戦略」だ。
おじいは若かった頃のきらめくような経験を思い起こそうとした。
ところが、いくら若い日を思い返しても輝く想い出など出てこない。
日陰の道を背を丸めて歩いていたせいで、ろくな想い出がないのだ。
おじいは、想い出に頼ることをやめて、妄想することにした。
こんなことがあったら良かったのにな、というやつである。それだったらいくらでも出来る。
「やっぱり、海だな・・・」
暑苦しい夏の海ではなく、ちょっと季節外れの砂浜。
80年代に流行ったいわゆる「デートカー」(当時のプレリュードやシルビア)に乗ってのドライブデート。
携帯の出現するはるか前の時代だ。家の電話で呼び出されて、彼女を迎えに行って、お気に入りの曲を集めたカセットをかけながら都会を抜け、海辺へ向かうのだ。
キラキラ光る海。大きく広がる空。さわやかな渚を渡る風。
はしゃぎながら波を追っかけて靴を濡らす。流木を拾ってハートの絵を描く。貝殻を探して渚を歩く。わがままな彼女に手を焼きながらも、心は揺れ動く、わし・・・
じじいは青春時代に戻っていた。
関根さんほどではないが、おじいの妄想はどんどん膨らんでいった。
そして前作と同じように、妄想のイメージから、歌詞の元となる散文をたくさん書き出した。そしてそれらを凝縮し、詞にした。
今度はメロディーの一部をすでにゲットしていたので、それをつないでいってワンコーラスを紡いだ。
今度はたった2週間くらいで「渚のSTORY」という曲が完成した。思い描いたイメージに奇跡的に近い歌が出来上がったので、おじいはいたく歓んだ。

曲作りをする人はそれぞれのやり方や流儀があるのだろうが、おじいに関して言えば、こんな作り方をした。
1. テーマを決め、それについてのイメージを膨らませる。
2. そしてそのイメージをたくさんの散文として書き出す。
3. 散文を集約して、仮の歌詞を作る。
4. それを参考にしてイメージに近いメロディーを作る。
5. メロディーに仮の歌詞を当てはめて調整する。
6. 正式な歌詞がメロディーに乗って完成。

じじいのやることだから参考にならないが、これが才能もテクニックもないじじい方式の作曲法だった。
あの1.980円の「大全集」も、ワードにつまったりしたときに大いに役にたった。電話帳みたいなページを開けば、ヒントやインスピレーションを与えてくれる歌がどこかで見つかったりするのだ。
知っている歌でも、あらためて並んでいる歌詞を見てみると、「ふーん、こんなんだったんだ」と思うことがよくある。不遜にも、これなら自分にも書けるな、と自信をもらったりもした。
まあ、歌詞についてはあとからいくらでも手直しができる。何も出てこないような時は適当な言葉を仮置きしておけばよかった。
一方、メロディー作りにはおじいは渾身のエネルギーを注いだ。前に書いたけど、「しょーもない歌詞の歌でもメロディーが良ければ残るけど、すばらしい歌詞の歌でもメロディーが悪いと残らない」という傍若無人な「おじい理論」によれば、ここが勝敗を分かつところだと思っていた。加えてもともと才能のカケラもないので、ふつうの人の100倍くらい考えなければならなかった。メロディーを「考える」というのもへんだな。「思いつく」のほうが近いか。とにかく何千ものろくでもないメロディーが生まれては消えていった。
しかし、どんなに「良いメロディ」を思いついても、自分が歌えない音域だと、泣く泣くそれを変更しなければならないことが多々あった。自分がミーシャだったらなと、何度思ったことだろう。
それから、メロディーに歌詞をあてはめる作業もえらいこと苦労した。
これはボケ防止にはもってこいという、パズルみたいな作業だった。
メロディーに、なかなかうまく言葉がはまらない。
そんなときは、ちがう言葉に代えたり、角度を変えて異なる表現を探したり、英語のワードを使ったりしてみた。逆にどうしても残したい言葉や表現だったら、メロディーのほうをやむなく変えることもあった。

2作目を完成させたおじい。これで終わりにするかと思ったら、まだまだ「叫びたい」ようなことがいっぱいあった。
新聞をひらけば、いやな、悲惨な記事ばかり目に付いた。じじいになると、「これではいかん。なんとかせねばならん。」という思いが強くなる。
自分はもうすぐ死ぬからいい。だけど自分が死んだあとも、若い人、子供たちはこの世界で生きていかなければならないのだ。年を取るとたとえ他人の子供でも、たからもののように見える。愛おしくて仕方がない。
戦後の平和な時代に生まれ、高度成長期に育ち、貧乏だったにせよ先人に比してたいした苦労もせず生きて来たおじい。自分にも、世界をこんなふうにしてしまった責任があるように思えてならなかった。(じじいよ、そんな影響力などおまえにはない)
それから、第1作目でまだ書き足りないと思ったミャンマーやウクライナのこと。隣国の民主派弾圧のこと。また震災で命を落とした人や、大切な人をなくした人のことも歌にせずにはいられなかった。
おじいは歌作りを続けた。
ずっと昔の記憶を思い起こして曲を作ることもあった。
それは缶を振って、ゼリービーンズやサクマ式ドロップスを取り出すように懐かしく楽しい作業だった。輝くような青春を経験していないおじいだったが、少年時代の想い出は色とりどりあざやかに蘇った。それはレモンのように、ぶどうのように、時にはハッカのように記憶の鼻腔をくすぐり、老人を子供の頃に連れ戻した。そこには、今はもう会えない人がたくさんいた。皆、笑っていた。
楽しさを覚えたおじいの曲作りは、次第に加速していった。
しかし「生涯を代表する1曲」はモノにしていないな、といつも思っていた。おじいの「My Way」はまだ遠い存在だった。それがひとつのモチベーションとなり、気がつくと半年で9つの歌が出来ていた。

機材をそろえるのだ


サイレントギターを相棒に、ヒット曲大全集を教科書として、5ヶ月あまりでなんとなく9曲の歌が出来てしまった。
おじいはちょっとした感慨にふけった。生涯で「作品」と呼べるモノを作った経験がなかったからだ。音楽を聴くだけよりも、演奏したり歌ったりした方が楽しい。ましてや自分で曲を創り出して、それを演奏したり歌ったりすればより楽しいものだ。
こうなると、ろくな歌はないものの「カタチ」にして残したいという思いが次第に芽生えてきた。
ある時、こんなストーリーを思い浮かべた。

じじいが死んだあと、家族が遺品を整理していたら1枚のCDが出てきた。
「なに、これ?」
「CDじゃん。またエロいDVDかと思った。」
「なにか書いてあるよ。」
「FREEDOM? 渚のSTORY? 歌みたいだね。」
「ほら、詞・曲 じじいだって。」
「えっ、まさかじいちゃんの歌?」
「そうみたいだよ、押し入れにギターやマイクもあったじゃん。」
「聴いてみよか。」
「うん。」
パソコンで再生する。
「じいちゃんの声だ!」
「・・・・・」
「へったくそな歌・・・」
「でも意外と、やる・・じゃん・・・」
ほろりと落涙。

生前はさんざん小バカにしていたじじいでも、死んでみるとすこしは良いところもあったね。そう思わせるのだ。
そう思いつくと、いてもたってもいられなくなってしまった。なにせ、じじいには先がない。いつ死んでもおかしくはないのだ。早くやらなきゃ、という思いが先走った。自分の能力では、CDを作るなんて何年もかかる大作業だと思ったのだ。
さっそくネットで調べた。
自作曲をCDに録音するには、どうすれば良いのか。
必要なものとして、まずパソコン。そしてDAWなるもの。オーディオインターフェイスという機材。マイク。とあった。
DAW? 調べると「音楽製作ソフト」の事だった。CubaseとかStudio oneとかいろんな製品が書いてある。初心者は無料版で十分という記事もある。
おじいは当然無料がいい。じゃあ、無料では何があるんだ?と調べると、Cubaseにも無料版があるし、なんと、Appleのパソコンには最初からGarageBandというDAWソフトが入っているというではないか! 
ラッキーと思った。うちのかみさんが仕事で使っていたお古のMacが家にはある。去年大きい画面の新型らしきものに買い換えていた。よし、あれを頂戴しよう。
それから「オーディオインターフェイス」というやつだ。
調べるとこれは、マイクや楽器をパソコンにつなぐための機材だとある。
いろいろなものがあるが、ヤマハの「AG03」ってやつが記事のおすすめとして挙げられていた。サイレントギターも同メーカーだし、きっと相性が良いに違いない。よしこれにしようと即決してしまった。13.800円だ。(誤解のないように繰り返し言うが、おじいはYAMAHAとは関係がない。昔、娘をヤマハ音楽教室に通わせていたことはあるが。)
それと、サイレントギターをオーディオインターフェイスにつなげる、ギターケーブルも必要なことがわかった。3mで1.600円くらいの適当なやつをついでに注文した。

オーディオインターフェイス

あとはマイクだ。
これも調べてみると、録音に使うには、カラオケとかで使う「ダイナミックマイク」より「コンデンサマイク」が良いと書いてあった。スタジオとかで見かけるあの平たい形のやつだ。何より音質が良い。しかしデリケートなため、湿気や衝撃は厳禁とある。(おじいは乾燥剤を入れたジップロックに保管している)
これは調べるとたくさん候補があった。上をみるときりがないくらい上級製品がある。安いモノで数千円。高いモノでは10万を軽く超えてゆく。
記事によると、マイクに関しては音の善し悪しを決定づけるので、あとで後悔しないように「そこそこ良いもの」を買ったほうがいいとあった。
それからさらにいろいろな記事を読み、悩んだ末、「そこそこ」な感じがしてコスパもいい「RODE NT1A」というマイクを選んだ。

コンデンサマイク

マイクを取り付ける台座にあたる防振マウントと、あの、よくテレビで見かけるマイクの前の金魚すくいのポイみたいなやつ(ポップガードというらしい)。それと6mのマイクコードがセットになって36.800円。
6mものマイクコードは狭いアジトには長すぎると思ったが、セットものなので仕方がなかった。短すぎるよりかはマシだ。

左から防振マウント ポップガード コンデンサマイク マイクコード

あと、もうひとつ足りない物に気がついた。セットの中にはマイクの「台座」はあるが「マイクスタンド」が入っていないではないか。
ネットショップに並ぶマイクスタンドは、位置を自在に変えられる「アーム型」が多かった。しかしおじいは円盤状の台から棒が突き出した、シンプルな卓上に置くタイプを選んだ。座卓に置いて使おうと思っていたからだ。3,000円程度だったと思う。後から考えたら、この卓上タイプにしてほんとうに良かったと思うことがあった。
さらにもうひとつ。サイレントギターにはイヤホンが付属しているので、これを使ってもいいのだが、これではカッコがつかんなと思ってしまった。
身の程も知らず、あの、プロがレコーディングの時に付けている「ヘッドフォン」が欲しくなってしまったのだ。これも調べるとピンからキリまであるが、どれでも大差ないだろうと思って3,980円のものを購入した。(後で知ったが、安いのと上級品では格段に音が違うらしい。)
以上。
ドケチなおじいがよくぞ一気にこんな散財をしたものだ。まるで死へのカウントダウンと競争するかのようだ。

マイクスタンドとマイクセット+LEDライト

さあて機材はそろった。
しかし、おじいには気がかりなことがあった。
メカ音痴でパソコン音痴のおじいが、オーディオインターフェイスとか、DAWとか言うものを、はたして操作することが出来るのか。
おじいはとにかくまず「取り扱い説明書」とかを読むことが大嫌いで、今まであらゆる「説明書」を避けて通ってきた。
めんどくさく、わずらわしい事がどうしても苦手なのだ。いつだってどんなものだって取説とか組み立て図とかをポイと投げ捨て、おおよその「見当」でモノをさわってきた。そんなふうだから、組み立て式の家具を失敗して最初からやり直す、なんて事はしょっちゅうだったし、スマホだって宝のもちぐされだ。ごくたまに通話やメールはあるものの、ほとんど「時計代わり」で持ち歩くだけだ。ましてやパソコンとなると言わずもがな、である。
トシを取ってこまかい文字が見えなくなると、その性癖はさらに加速した。
もともと脳の働きが悪いので、「説明書」の説明が何を言っているのかワカラナイというのも多分にある。ナイショだけど、このnoteの始め方についての説明書きもすべてすっ飛ばしてこれを書き始めている。(ご安心あれ、あとからちゃんと読みました)
こんな具合だから、オーディオインターフェイスも「つまみ」や「ボタン」をいじりながら「これをこうするとこうなるのか」てな感じで、触って操作を覚えることになった。幸いなことにAG03には、ギターやマイク、ヘッドホンのジャックがイラストで表示してあるため、それで迷うことはなかった。
しかし、今でさえ使途不明なボタンや使った事のないジャックがいくつかあることも確かだ。まあそれはおそらくだが、一生使わなくてすむような、いんちき音楽家には無関係のものと割り切って使っている。

問題はDAWだ。これの操作には不安しかない。
DAWと言うモノをネットで調べていると、DTMという言葉が頻繁に現れた。
「デスクトップミュージック」とやらの頭文字という事だが、今の人はこのDTMで、つまり音楽製作ソフトだけで音楽を製作しているらしい。
ギター、ピアノ、ドラム、その他さまざまな楽器の音色、おまけにボーカル音声までも自由にパソコンで作り出し、楽曲を製作してしまうのだという。これには心底たまげた。時代は変わったものだ。ギター1本、生歌だけで録音しようなんて、もはや化石じじいじゃないか。
少々興味をもってDAWでの作曲方法を解説する動画をのぞいてみたが、15秒でムリだと悟った。
DAWの画面は複雑怪奇でワケがわからず、脳波がぐちゃぐちゃになるような地獄絵図にしか見えなかった。早口の解説も何を言っているのかさっぱり理解不能だ。これを使いこなす人は宇宙人だと思った。
じじいは早々にあきらめて、自分の演奏と歌の道を歩もうと固く決意した。
下積みの演歌歌手みたいだが、それの方がたしかな自分の「歌の道」だと思った。

先ほど機材はそろった、と書いてしまったが、じつはまだ足りないものがあることに気がついた。後に歌を録音する段になってやっと気づいたのだ。
「防音設備」もあった方がいい。いや、なくてはならない。
おじいの家は、幸いなことに比較的静かな住宅街にあるから、外部からの騒音はあまりない。冬場に灯油の移動販売カーが鳴らしていく「雪やこんこ」の歌とか、ゴミの収集車のエンジン音とか、たまに救急車のサイレンが聞こえてくるくらいのものだ。
気になるのは外部の騒音よりも、おじいが出す騒音なのだ。
そう、ドヘタな歌声である。
これはひと様からすれば迷惑千万、騒音以外の何ものでもない。家の中はもちろんのこと、外にまで漏れ出す危険性は大いにある。
「あの家のじじい、何か声を張り上げてやがる。忘年会に向けてカラオケの練習でもしているのかな。」
「ホント、同じ歌ばかり歌って嫌になっちゃうね。しかも聴くに堪えない下手くそさだ。」 などと、町内の噂になることは必至だ。これだけはなんとしても避けなければならない。
どうするか。
自宅録音時の防音対策についてネットで調べた。
すぐに思いついたのは「防音室」だ。安価で簡易的なものがありそうな気がして検索した。すると楽器の演奏やボーカルトレーニング用で、人ひとり入れるような、イメージに近いものがあった。しかし、安いものでも10万円台。一般的なものは普通に数十万円した。こりゃだめだ。
ほかに手はないかと調べると、部屋の壁や扉に防音材(吸音材)を貼りまくって録音ブースとしている人もいた。これを我が家でやったらとんでもないことになる。かみさんにボコボコにされて追い出されるだろう。
つぎに思い浮かんだのが、テーブルの上にのっけて使う小さい箱形の録音ブースである。こんなのがあれば理想的だと思った。
再び、ネットでつぶさに調べた。
しかし、あるにはあったが、それは企業がコロナ対策で導入するような「隔離」用のもので、肝心の防音機能はなかった。ネット上で調べ尽くしたが、思い描くようなものはありそうで、なかった。
なければ仕方がない。作ろうと思った。不器用なおじいでも、箱型のものなら簡単に作れそうな気がしたのだ。
さっそく大きなホームセンターに行って、使えそうな材料がないか見て回った。ウレタン製の、片面が凸凹の形状になった防音材。それを使って60cm角くらいの箱型を作り、テーブルに置いて録音ブースにしようという魂胆だった。
探してみたところ、45cm角のものはあった。しかしそれでは小さすぎる。
残念だがホームセンターは諦め、家に帰ってまたネットで検索した。
そしてようやく厚さ5cmx50cm角のウレタン防音材を見つけた。60cmはほしいと思ったが、それより大きいサイズはない。少々悩んだがほかに選択肢がなかった。5枚購入して、意外と高くて4.000円台だった。
おじいはそれを両面テープで張り合わせて、1面だけ開いた箱を作り始めた。
ところが、製作に取りかかってすぐに計算違いに気がついた。内部の上下左右全部に凹凸面がくるようにと漠然と考えていたが、それだと接合部分に凸凹が来てしまい、接着出来ないのだ。やってみたところで、あまりにも強度が弱い。
結局、完成したモノの内部の凸凹面は左右両側だけになってしまった。
なんだかふわふわして頼りないので、おじいは家にあった段ボールを外側に貼り付けて補強した。
こうして録音BOXは完成した。サイズが小ぶりなことと内部の凸凹問題を除けば、だいたいイメージに近い物が出来上がった。しかし、これでどれほどの防音効果があるのかな、と少々不安にもなるシロモノだった。(実際の「防音効果」については後に記します)
ちなみに、この一文を書く際に再度「防音室」について調べてみた。
するとどうだ、1年前にはどこを調べてもなかった「卓上用の防音ブース」が、売られているではないか。うーん、1年前に作ってほしかったなあ。
80cm角の折りたたみ式のやつで、当然ながら内側全面に凸凹があり、値段は1万6千円台。
まあいいや。1万2千円得したことにしておこう。わしの録音BOXのほうが高性能かもしれないし。

手作り感満載の録音BOX 外形55cm角くらい

前に書いたが、卓上の「台から棒がのびる」タイプのマイクスタンドを購入しておいたのが正解だった。購入時には、防音設備とか、ましてや卓上録音BOXの事などまるで頭になかった。
もし、テーブルの端っこに設置する「アーム式」を選んでいたら、苦心の録音BOXは使うことができなかった。または、アーム式マイクスタンドがムダになっていたかもしれない。

さて、ここまでにそろえた機材についてあらためて確認してみよう。

サイレントギター       72,600円
カポタスト               980円
ヒット曲大全集          1,980円
オーディオインターフェイス  13,800円
ギターケーブル          1,600円
コンデンサマイクセット    36,800円
(防振マウント ポップガード
 マイクコード付き)
マイクスタンド          3,000円
ヘッドフォン           3,980円
手作り防音ブース         4,000円
       合計  138,740円

げげっ、やばい。
あらためて見てびっくりだ。月の年金が一気に吹っ飛び、通帳の残高がドカンと減る。かみさんにはこれを絶対に知られてはならんと思った。

しかもこれは、パソコンありの金額だ。ゼロから始めようとすれば、あと数万円は余分にかかる。また物価高騰のおり、現在ではこの時の価格よりも高くなっているものもあるだろう。
しかし、このうちの半分以上を占めているサイレントギターを3万円台の他社品にしたり、ふつうのアコースティックギターにすればずっと安く収まる。中古のアコギなら数千円で売っている。
でも、あまり安い中古ギターは割れやヒビに注意した方が良い。とくにネックと呼ばれるあの棒の付け根あたり。
昔、友人が親戚からもらったというクラシックギターは、付け根にほんの少しヒビが入っているだけで、弦が押さえられず使い物にならなかった。
また、ほかの機材についても、もっと安く手に入れる方法はいくらでもある。まさかいないとは思うけど、じじいに追随してみようという奇特な方がおられたら、世界デビューの夢をあきらめないでいただきたい。

録音するのだ


歌と機材はととのった。さあいよいよ録音だ。
おじいにとっての難敵、まずはMacの無料音楽製作ソフト「GarageBand」との戦いが待っていた。これに勝利しなければ前に進むことができない。
お古のMacを開き、ギターのマークのGaragebandのアイコンをポチる。
(ふだんWindowsしか使わないので、少し画面の様子が違う。いつものように「勘」だけで操作している。)
「プロジェクトの選択」なる白い画面が出てきた。プロジェクトとは大げさな。都市の再開発でもやるみたいだ。
「空のプロジェクト」しか選択の余地がなかったのでそれを選択した。
すると「トラックのタイプを選択」という画面が出てきた。
意味は分からねど、4tとかウィング車とかを選ぶのではない事はおじいでもわかった。今度はマイクやギターのイラスト付きで4つの選択肢がある。それぞれのイラストには数行の説明が付いていた。
「USB MIDIキーボード? オーディオファイルをドラッグアンドドロップ?
バーチャルアンプをペダルエフェクト?」書いてある事がさっぱりわからない。説明にならんな。
4つの選択肢のうち、「鍵盤」と「ドラム」のイラストは違うことが明らかだ。となると「マイク」と「ギター」のイラストの2択だ。
しかし両方とも選択して比較してみたが、ド素人のおじいにはどちらが正解なのかさっぱり分からなかった。
仕方が無いので「マイク」を選択した。「なんとなく」なのでそれが本当に正解なのか、じつを言うと1年使った今でもよくわかっていない。しかしこれで不具合は出ていないようなので、まあいいやと思っている。(どちらが正解なのかご存じの方がおられたらぜひ教えていただきたい)

トラックのタイプを選択する画面

マイクのイラストを選択すると、ついに「GarageBand」が、本性を現わす。
それは以前、動画でDAW(音楽製作ソフト)の使い方を見たときの、地獄絵図にしか見えなかった画面と比べると、ずいぶんシンプルに見えた。それだけですこしだけ希望が見えた気がした。
画面は大まかに、4つの枠に分かれていた。左側に「ライブラリ」なる枠。
中央から右端にかけておそらくこれがメーンとなると思われる、「オーディオ1」とだけ書かれた枠。そしてその下に「録音設定」と書かれた枠と、何やら音の調整に使用するらしき時計型(ダイヤル式?)の針と目盛りが並んでいる枠。
おじいはとりあえず、パソコンにオーディオインターフェイスをつなげてみることにした。
その時、オーディオインターフェイスにはコンセントにつなぐケーブルがないことに初めて気づいた。しかしパソコンにつなぐと電源が入った。
へえ、そういうモノか、とメカ音痴のじじいはすこし感心した。
さらに、サイレントギターにギターケーブルをつなぎ、ケーブルのもう片方をオーディオインターフェイスのプラグにつないだ。プラグにギターのイラストが書いてあるから、これで間違いはあるまいと思った。
なるほど。わがサイレントギターはアコギなんだけど、ここではこんなふうにエレキギターみたいなことになるのだな。
おじいは見るもの触るものすべてにいたく感動した。何もかも「初モノづくし」だ。
こうしてラインがつながって、たぶんギターの音はこのパソコン画面の「オーディオ1」という部分に録音される。そしてこれもたぶんだがギターの音以外、つまり周りの雑音とかはいっさい録音されないのだ。
ふつうのアコースティックギターだったら、大きな音が家の外まで鳴り響き、マイクが余計な外部音も拾うことになっていただろう。マイクなしで
演奏が録音できるのは大きなメリットだ。
「やった、すごい仕組みだ。サイレントギターにして良かった!」
おじいはまたしてもコーフンした。(しつこく言うが宣伝ではない)
だが実際にやってみないとそれが事実なのかどうかわからない。
おじいは禿げた頭にヘッドフォンを生まれて初めて装着し、サイレントギターをポロンと指で弾いてみた。
「ありっ? 鳴らんやないかい。」
なんでやねん、と関西人でもないのにつぶやきながら画面やオーディオインターフェイスをあちこち確認した。 「あ、これや。」
ギターケーブルを差し込んだプラグの下のボタンをONにしていなかったのだ。
再度、弦をはじく。
今度はきれいな音色がヘッドフォンから響いた。それと同時に画面の「オーディオ1」の棒グラフみたいなところに、音を現わす光のサインがはしった。 やった、と思った。
たしかにギターが鳴った音をパソコンが認識したのだ。どういった仕組みなのかはまったくわからないが、弦をはじくとその音がパソコンに届いている。
「よし、録音してみよう。」
画面の上部に、テレビのリモコン等によく使われる、三角をヨコにしたマークが並んでいる。そこに「赤丸」印があった。ポイントをそこに持って行くと、予想通り「録音」という表示が出た。こいつを押せば録音が始まる。そして「四角」を押せば停止だ。
おじいは緊張しつつ「赤丸」を押した。
そしてぎこちなくアルペジオで「Yesterday」のコードを弾いた。
C E Am ワンフレーズだけで止める。 ギターから手を放し停止ボタンをを押す。
そして、スタートに戻してから「右向き三角」の再生ボタンを押す。
わずかな沈黙の後、ヘッドフォンから音が流れた。
「おお! なんという美しい音だろう。」
その響きは、おじいのギターテクニックのなせるワザではなく、サイレントギターのサウンド技術によるものだった。しかしおじいは大いに気を良くした。
たったこれだけで、明るい未来が待っているような気がした。
画面の「オーディオ1」の右側に棒グラフが水平に伸びて、いま弾いたワンフレーズが録音されていた。そして、音の進行とともに「タテ棒」が進行方向に移動して「現在地」を表示している。
こういうモノなんだ。すこしだけDAW(音楽製作ソフト)による録音の仕組みがわかった気がした。

わが家にいた犬(本文とは関係がない)

おじいは本腰を入れて楽曲の録音に入った。
「楽曲」などと呼ぶにはおこがましいような、はなくそをほじりながら作ったただの「うた」なのだが、ついについに「レコーディング」に突入するのだ。じじいにはじじいなりの高揚感があった。
録音はまず、伴奏を録音してから歌を入れる。
ギターをフルコーラス入れる必要がある。その録音のやり方はいろいろあるのだろうが、パソコン音痴のおじいはやっぱりこう考えた。
「面倒な操作はごめんだ。まったくわけのわからんGarageBandの操作を誤ってぐちゃぐちゃにしてしまうくらいなら、真っ向直球勝負でいこう。」
つまり、フルコーラスを最初から最後まで一気に録音してしまおうと考えたのだ。
今思うと、なんと無謀で、くそ真面目なやり方をしていたのだと涙が出てしまう。強大な敵に何度も何度も突っ込んで叩きのめされた、あの頃のおじいが愛おしくさえなる。

最初に録音することにしたのは、「あの日ペニーレインで」という歌だ。
演奏や歌の難易度が低いと思ったからだった。
しかし始めて見ると、それは想像を絶するような困難な作業だった。
2コーラス半にわたる曲を、ノーミスで一気に弾かなければならないのだ。ふだん町内の散歩しかしていないのに、いきなりK2に登るような無謀な挑戦だったと言ってよい。(その例えの方が無謀だ)そこには高難度「Fコード」の絶壁がいくつも立ちはだかっていたのだ。
当然、失敗に次ぐ失敗。失敗の死屍累々。
2コーラス目まで無事に通過して、あともうちょっとだ! と意識したとたんにミス。そんな事を何度繰り返しただろう。
指が痛くなるので、せいぜい朝と夕1時間程度しかチャレンジ出来ないのだが、それでも100回、150回はくやしい思いをしたに違いない。
「やった! 上手くいったぞ!」 喝采を叫んだのはアタック開始から4日目のことだった。
だがそれは、多分ににあやしい部分のある、大甘でムリヤリの「成功」だった。野球の「リクエスト」やテニスの「チャレンジ」みたいにリプレイ判定されたら、たちまちアウトにされてしまうだろう。まあ、白状すれば、失敗した部分も歌を重ねてしまえばごまかせると思ったのだ。
おじいはこれ以上同じ事を続けることに、すっかり嫌気がさしていたのだ。

さあ次はいよいよ歌入れだ。
あの、「アーティスト」や「シンガー」がやってるアレだ。
スタジオに籠もり、ヘッドフォンを装着し、高性能マイクとその手前に付けられた黒い金魚すくいの前で歌う、アレをとうとうやるのだ。
場所は快適な「音楽スタジオ」ではなく、ガラクタに囲まれた4畳の物置。しかも「手作り卓上録音BOX赤ちゃん毛布掛け」(「赤ちゃん毛布」については後述する)という奇妙な録音体勢だ。
しかししかし、音楽ド素人歌ヘタ一般人じじいが、「一流アーティスト」や「有名ゲーノージン」と同じ事をやろうとしているのだ。加山さんもミーシャも左ト全もやった「歌のレコーディング」をやるのだ。
これがコーフンせずにいられようか。

コーフンする前に、まずやることがあった。
歌を録音するためのGarageBandの操作だ。
その画面から推察すると、ギターを入れた「オーディオ1」の下に、「オーディオ2」というバーを登場させなければならないことは明白だ。
「うーむ」と、ここでもおじいはうなった。
それはどうやれば出てくるのか、ちょっと想像が出来ない。
いつものようにテキトーにあちこちいじって見つけることはできるかもしれない。しかし、今はあの「どえらい苦労」をして録音した「オーディオ1」が人質に取られている状態である。ヘタにイジって失敗すると、それを台無しにしてしまう可能性があるのだ。「立てこもり犯」を刺激してはならない。
おじいは、ピーマンと同じくらい大嫌いな「説明書き・マニュアル」に頼ることをとうとう決断し、ネットでGarageBandの解説をさぐった。
するとどうやら、あの「オーディオ1」とかいうバーが「トラック」と呼ばれていることがわかった。パソコンで楽曲を作る人は、この「トラック」をたくさん積み重ねて作っていくのだ。それぞれにギターやピアノやドラムやその他おじいの知らないような電子的なサウンドや、ボーカルを入れるのだ。なるほどね。
で、「オーディオ2」の登場のさせ方はといえば、まず画面の上部に並ぶ「オーディオ」をクリックする。そして、いちばん上に出た「新規トラック」を選ぶ。すると、前にも出てきた「トラックのタイプを選択」の画面が出てきたので、前と同じく「マイク」のイラストを選択、と。
おお、出てきた。「オーディオ1」の下に「オーディオ2」が出現した。
これに歌を吹き込むのだ!
おじいは喜び勇んで手作り感満載の「録音BOX」を座卓の上に持ってきた。
そしてずっしりと重量があり、鈍く銀色に光るコンデンサマイクをマイクスタンドにセットした。すごい。これだけを見るとプロみたいだ。
オーディオインターフェイスとの接続もOK。スイッチボタンもOK。「オーディオ2」への録音サインもOK。まちがって「オーディオ1」に録音してしまったら、リカバリーの方法をおじいは知らないので、また大騒ぎになってしまう。 そして、最後にヘッドフォンを装着。
あとは歌うだけ。というところでおじいはある不具合に気がついてしまった。「録音BOX」の正面のカベに歌詞を印刷した「カンペ」をピンで留めたのだが、それが内部が暗いために読めないのだ。意外な盲点を突かれた。
「自分が作った歌詞ぐらい覚えろ!」と言われるだろうが、それがじじいともなると覚えられないのだ。もともと記憶力が悪い上に少々ボケも入って来ている。歌も「フルコーラス一気録り」でやるつもりだったので、「カンペ」なしでは途中で必ずトチる自信があった。100回やったら100回トチる。
仕方がないので、いちばん近い100均に走って、マイクスタンド(正確には防振マウント)に引っ掛けるようなタイプのLEDランプを購入してきた。
これで万全だ。
赤ちゃん毛布を被り、録音BOXに顔を突っ込んだ。
「アー、アー」と声を出してみた。 ヘッドフォンに響く。
声は悪いが、音響はすこぶる良い。さすが3万円台で買った「そこそこ」のコンデンサマイクだ。
おじいは「赤丸」の録音ボタンをポチり、緊張の面持ちで「オーディオ1」のイントロが始まるのを聴いた。
しかし音が小さすぎて聞き取れない。歌えない。
おじいは耳が悪いため、テレビの音量がでかいと家人に苦情をよく言われている。 画面で音量のバーを調整するが、最大にしてもまだ小さい。
オーディオインターフェイスの「MONITER」と書いてあるツマミをいじると、やっと音が大きくなった。
歌の練習もなしで録音を始めるのかと言われそうだが、おじいはその「練習の歌がいちばん良い出来だったら悔いが残る」ことを怖れて、ぶっつけ本番でやることにしている。(なんというアホな論理だろう)

これが録音BOXの内部だ

「ファーストテイク」はひどいものだった。
録音され客観的に聴く自分の歌声は、想像をはるかに上回る下手くそさだった。声そのものも悪いし、音程も不確かで危うい。カラオケとはいえ、今までの人生、よくぞ人前で歌を歌っていたものだ。
わがままなじじいにありがちだが、歌を歌うことは好きでも、ひとの歌を聴くことは好きではない。思い出すのは、若い時分の上司に連れられてのカラオケだ。毎度同じへたくそな演歌を聴かされて辟易していたものだ。
あのおやじのせいで、おじいはすっかり演歌アレルギーになってしまったし、ひとの歌を聴くことが嫌いになった。
そんな経験があるから、きっと他の人もおじいの歌に対して同じ思いをしているに違いない、そう思っていた。だから中年を過ぎた頃からは、カラオケも付き合いで年に1、2度しか行かなくなった。今思えばそれは大正解だった。

カラオケで思い出してしまったが、若い頃「夢芝居おじさん」がいた。
その頃おじいは神奈川県に住んでいたのだが、給料日あとにはたいてい最寄りの駅前のスナックへ同僚たちと歌いに行った。
当時はまだカラオケBOXなどなく、飲み屋で「8トラ」とかでのカラオケが流行り始めたころだ。
初老の夫婦が営む、いつもあまり客がいないスナックだった。店に入るとよく「夢芝居おじさん」はひとりカウンターでダルマ(オールド)をロックでちびちび舐めていた。
50くらいの痩せた寡黙な人で、何度も会っているが一度も話をしたことはない。
客の少ない店だが、おじさんは新しい客が店に入ってくるたびに「夢芝居」
という歌を歌った。おじいが同僚たちとこの店に入ると、「待ってました」とばかりにこの歌をリクエストして歌い始めるのだ。そして、時をおいてまた新たな客が来ると、何度でも「夢芝居」を歌った。
まだこの歌が世に知られる前のことで、おじいはテレビでもラジオでも、この歌を一度も聴いた事がなかった。また、「夢芝居おじさん」が、この歌以外の歌を歌うところを目撃したことがなかった。店のマスターも奥さんも他の歌を聴いたことがないと言っていた。
「夢芝居おじさん」のことが何十年も強烈に脳裏にこびりついて離れないのは、歌い方にものすごい「くせ」があったからだ。
なんと形容してよいのか、真夏のアスファルトに落ちたキャラメルを踏んづけたような極度に「ねちっこい」歌い方をし、それに大友康平のモノマネの10倍くらい「わざとらしく不自然なビブラート」を加えるのだ。
おまけに「過剰なエコー」をリクエストしているので、地下トンネルでゴッドファーザーのクラクションを鳴らしたくらいボワンボワン響きまくった。これを日によっては何度も聴かされてしまう。だから、当時のおじいは(もちろん同僚たちも)「夢芝居おじさん」を大のニガテとしていた。
店の扉を開けて、「おじさん」がいないとホッとしたりしたものだ。
ずっと後になって、このおじさんは梅沢さんの親戚で、この歌が売れるようにと毎晩あちこちの店に出没しては歌いまくっていた、という噂を聞いた。
あくまで噂だから、本当かどうかはわからない。

またしても横道にそれてしまったが、とにかくじじいのファーストテイクは自分でも聴くに堪えるものではなかった。
どうだ?と思って聞き返すと、「4分の1音」くらい音が外れている箇所がいたる所にあった。はっきり言って、大音痴だ。こうしてみると本物の歌手はほんとうに大したものだと思う。
それと、ある致命的な大問題に気がついてしまった。
ギターの伴奏のテンポが一定ではないのだ。
GarageBandには「メトロノーム」の機能が付いていて、例のカチカチ音でテンポを刻んでくれる。(あたりまえだがカチカチ音は録音されない)
その数字を変えることによって、早さを変えることが出来る親切な機能なのだ。
それなのに、おじいはそのメトロノームのカチカチ音が耳障りで、邪魔くさく聞こえて仕方がなかった。だからそれを消して録音してしまったのだ。
「自分で歌いながらギターの拍子をとれば、それほど狂いはないだろう。」そう思ったのだ。
ところが、そんな簡単なものではなかった。実際には曲が後になればなるほどテンポが速くなっていった。あれ?アレレ、おかしいぞ。歌いながら思った。終盤になる頃にはとうとう1.3倍速にまで加速していた。
ストロークでジャカジャカやっていると、ノリで知らず知らずのうちにスピードアップしてしまうのだ。初心者にはありがちな事かもしれない。
「しくじったあああ・・・」 おじいは頭をかかえた。
ちょっとどころではなく、誰の耳にも明らかなくらい最初と最後ではテンポが違う。
おまけにもうひとつ、この伴奏では「キーが低い!」という欠点も明らかになった。これでは出だしの方の低音が苦しいし、もっと高音で歌うべきサビが死んでいる。
「もうだめだ。やり直すしかない・・・。」
おじいはこの精神的ダメージを癒やすのに数日かかり、やる気が起きるまでにさらに数日かかった。

この失敗によって、曲のテンポとキーの高さの大切さを、おじいは痛切に思い知った。これだけは最初の最初に、慎重な上にも慎重に決めなければならないのだ。
まずはキーの高さ。
これまでの人生で、あたりまえかもしれないが「自分の出せるいちばん高い声」や「いちばん低い声」について、考えたことも、実際に試してみたこともなかった。
今回人生初のレコーディングを行なって、生まれて初めて録音された自分の歌声を聴いた。そして自分の出せる声の音域の狭さを知った。
そのうえで歌全体を俯瞰してみたとき、こんなふうに感じたのだ。
「サビとかの聴かせどころは「自分の出せるいちばん高い声」の一歩手前くらいがいちばん「聴き映え」するな」と。
当然のことながら「高音の限界域」では苦しいし、聞き手にもあからさまに苦悶が伝わってしまう。それが伝わらない程度の「一歩手前の高音」をサビにぶつけると歌唱が最も「映える」と感じたのだ。そうすることでおじいは歌のへたくそさを、どうにかしてごまかしたいと考えていた。
もうひとつ、「低音の限界には厳然たるカベがあるが、高音というものは頑張ると意外にカベを超えることができる。」こともわかった。
「出ない」と思っていた高音が、「録音BOX」の中で頑張って声を張ると出たりした。これが「高音はひと皮むける理論」である。(なにが理論だ)
おじいはこの「高音はひと皮むける理論」に基づいて限界値を確認し、「一歩手前理論」に従ってキーを決定した。そしてギターの伴奏の方も「カポ」を移動させながら、そのキーに相当する音を決定したのだ。

もうひとつ、重要な「テンポ」。
これについてもおじいはGarageBandのメトロノームの数字を変えつつ、何度も何度も歌をつぶやいて速さを決定した。
メトロノームの数字の変え方も最初は分からなかった。画面に表示されている数字がメトロノームの速さに「関係している」事は想像できた。しかしその数字の変え方がまったく分からない。
なんだこれは、とイライラしながらポインターでいじくっていると、なにかの拍子に数字が変わった。
そしてようやく、「ポインターを数字のところに置いてクリックし、そのまま上方にぐいっとずらすと数字が大きくなり、下へずらすと減っていく」ということに気がついたのだ。数字が大きいほどテンポは速くなる。この数字を何度も変え、試行を繰り返してテンポを決定した。
遅すぎず、早すぎず、その曲をいちばん「生かす」テンポを選ぶことは、意外に難しい事だと思った。このとき最終的には10曲を録音したが、今もってテンポの正解がわかっていない。

さて、ようやくキーとテンポが決まってギターの再録音を始めた。
今度はメトロノームのカチカチ音が響く中での演奏である。
やってみると、これさえも意外に難しい事が分かった。リズム感のある人には至極簡単な事なのだろうが、じじいの指や腕はどうしても勝手なテンポを刻んでしまう。最初は合っていても、次第に速くなってしまったり、ヘンに緩急ができてしまったり。これはもう、今まで自分勝手な生き方をしてきた人生がそうさせているとしか思えなかった。
「音楽やっている人はたいしたものだ。」 また、ため息をつく。
メトロノームもなしで一定のリズムで最初から最後まで演奏できるなんて、すごいことなのだ。おじいは世のあらゆるミュージシャンをあらためて尊敬した。

そんなこんなで、ドロ沼を這いドロ水をすするような悪戦苦闘のすえ、伴奏の「一気録り」に成功したのは3日後のことだった。(といっても前と同じような「大甘」印の成功だ)
続いてボーカルの録音に突入。「ボーカル」と言うにはおこがましく、あまりにもお恥ずかしいような気がするので、「うた」としよう。
「うた」「声」というのは、おじいだけかもしれないが、日によってはっきりと好不調があった。また、1日のうちでも声が変わったりした。
おじいの場合だと、朝方は低い声がよく出て、夕方となるとかすれて出なくなった。逆に高い声は夕方になるほどよく出るような気がした。
また、年寄りにはありがちなのかもしれないが、「声のざらつき」「かすれ」「イガイガ」「タンのからみ」のようなものも多い。さらっときれいな声が出るときの方が少なく、たまたまそんな日があるとラッキーとばかりまとめて録音したりした。
年寄りは苦労するのだ。ボイストレーニングも発声練習も当然やらないし、喉のケアなんてしたことも無いので、そんなものかもしれないが。
困ったあげく「せきこえのどに浅田飴」か「ゴホンといったら龍角散」でも試してみようかと思った。

「龍角散」で思い出したが、子供の頃にこんなくだらないクイズがあった。
「日本で5本の指に入る山は?」という問いかけだ。
「富士山と、槍ヶ岳と、えーと木曽の御嶽山と・・・」子供ではそのあとが続かない。
「わからない。」と言うと、
「五本といったら龍角山。」 というオチだ。
龍角散は「のど飴」をよくコンビニやスーパーで見かけるけれど、おじいが子供の頃は、粉だった。丸いカンカンに入った白いコナ。すごくこまかい粒子で、専用の小さなさじで口に放り込んだ。どこの家にもあったような気がするが、あれはきっと漢方薬なのだろう。今でもあの缶に入ったコナは売っているのだろうか。
そういえば、「仁丹」というのもあった。
昔の人、おじいの父親の世代はやたらと「仁丹」を口に放り込んでいた。
癖のある味のちいさなつぶつぶ。目薬を入れるような小さなガラス容器に入った銀色のつぶ。おじさんたちはみんなこれをポケットに入れ、思いついたように取り出しては何粒か口に放り込んでいたのだ。 
昔は「森下仁丹」の広告もよく見かけた。ヒゲを生やした「明治の大将軍」みたいなマーク。あの「仁丹」とはいったい何だったのだろう。
喉とかの薬だったのか、ただの清涼剤みたいなものだったのか、よくわからない。おじいもよくもらって食べていたが、「おいしい」とも「まずい」とも思っていなかった。「仁丹」の味だった。
それと、食べているのは決まって「おじさん」で、「おばさん」は食べなかった。昔の「おじさん」はたばこを吸いまくっていたので、その「匂い消し」だったのだろうか? もうひとつ気になるのはあの「銀色」。銀色のものなんか食って大丈夫だったのだろうか? 金箔を食うくらいだから銀箔も食っていいのかな。わからない。じつにわからないことだらけだ。
あれも今でも売っているのだろうか。あるのならもう一度懐かしいあの味を確かめてみたいものだ。 
また余談にはまってしまった。こんなことを書いているから長くなるのだ。
とにかく、うたの録音をするようになってから、おじいは喉の調子を気にするようになった。「イガイガ」や「かすれ」を気にして、のど飴を常備するようになったのだ。(結局のど飴かよ)

GarageBandの機能に、声を様々な音質のものに変化させてくれるものがある。
「Classic」だの「Dance」だの「Natural」だの、実に10数種類。その中でおじいはもっぱら「Bright Vocal」というの使った。これを使うとじじいの声でも若干若く聞こえるような気がするからだ。(気がするだけだ)これにエコーをすこし強めに効かせれば、下手な歌もすこしごまかすことが出来る。(気がする)
ともかく、自分の中で合格点を与えられるような「うた」が歌えるまで、おじいは何度も繰り返しトライし続けた。 これも真っ正直にフルコーラス「一気録り」でやっていた。
そして歌い続けて3日。ついに最初のレコーディング曲「あの日ペニーレインで」が完成した。
「んー、歌も演奏も下手くそだが、まあまあこんなもんだ。」
ひとりそうつぶやきながらも、おじいは満足感でいっぱいだった。誰に聴かせるわけでもないのだが、おじいの密かな趣味がちいさな果実をつけた。そんな感慨だった。

「しかし、このような録音方法では身が持たんな。」とおじいは思った。
まさにそのとおりだった。ギターも歌も全コーラス「一気録り」ではあまりにもあまりにも時間と労力のムダが多すぎる。これでは死ぬまでに全曲の録音が間に合わないかもしれない。
もとはと言えば、パソコンの操作を極度に怖れ、マニュアルを読むのが大嫌いというくだらない理由からである。
そこでおじいが考えたのが、「リレー方式」の録音方法だ。
「一気録り」で散々辛酸をなめた反省から、ワンコーラスををAメロ、Bメロ、Cメロに3分割して順番につなげていこうと考えた。こうすればかなりリスクを分散出来る。歌の後半までうまくいって、あと少しだというところで
ミスり、地団駄を踏むようなことがなくなる。
「トラック1」でまずAメロを仕上げて、「トラック2」を作ってBメロをつなげ、さらに「トラック3」でCメロだ。こうすれば2コーラス半の楽曲なら7つのトラックを作れば1曲の伴奏は仕上がる。そして歌も同じように録音する。伴奏と歌、合計14のトラックで完成というわけだ。
1回で録音する時間が大幅に少なくなる分、ミスる割合も減る。おまけに短いパーツに集中して取り組めるので、全体の完成度も上がるに違いない。おじいは我ながら良いことを思いついたと思った。最初からこうしていればどんなに楽だったろうか。
しかしおそらくだが、世のミュージシャンたちはこんなことは当たり前にやっていることだろう。ひょっとすると、もっとこまかく細分化して何十というトラックでやっているのかもしれない。そうも思った。
そりゃそうだ。フルコーラス「一気録り」なんて冒険はやらないだろう。「一気録り」したものをいくつも集めて、「いいとこ取り」でつなぎ合わせる事はするのだろうけど。 だけどそんな技術はおじいにはない。あっても超めんどくさそうだからやらない。(ところが1年たった今では、良いところだけを切り取って使ったりしている)
そんなことを考えると、ライブをやるミュージシャン(ほとんどのミュージシャンはライブをやるが)はすごいものだ。よくもまあたくさんの曲を正確に歌ったり演奏したりできるものだ。すごいとしか言い様がない。

さあ、リレー方式での録音だ。
ここでポイントとなるのは「つなぎ目」だ。「つなぎ目」が不自然にならないようにうまくやらないと行けない。
ギターだとAメロの最後の音にかぶせるようにBメロを弾き始める。リレーゾーンでなめらかにバトンを受け渡すようにだ。
テンポを合わせてジャストのタイミングでBメロ演奏を開始する。
これには数回のチャレンジで成功した。
この部分さえ上手くいけば、今度は演奏範囲が短いのでミス無く完了。
聴き返しても違和感が感じられない。 うまくいった。

GarageBandの画面

上部「赤マル」が録音ボタン。「175」がメトロノームのテンポ。右上青いバーが「トラック」。画面のトラックは「リレー方式」と「2トラック競争方式」を示している。また、左側にはボーカル音の選択肢が数多く並び、右下には高音・低音・エコーなどの音の調整ツマミが並んでいる。

おじいは2曲目以降はこの「リレー方式」で録音をしていった。
さらに、4曲目5曲目となるとこれをさらに進化させ、「2トラック競争方式」というのを編み出した。けっして陸上競技ではない。
これは、例えばギターのAメロを録音するとき、2つのトラックを用意しておいて、それぞれに演奏を録音する。そしてその二つを聴き比べて、良い方を残し、悪い方に再度録音する。それをまた聴き比べして良い方を残していく、という取捨選択方式である。納得のいく演奏ができたら終了し、2位を消去する。こうして2つのトラックを競争させることでどんどん完成度が上がった。
さらにさらに、6,7曲目の録音ともなると、トラックの「コピーとペースト」を覚えて使用した。
これはさすがにネットの解説に頼る事となったが、このトラックの「コピーとペースト」によって、1コーラス目で録音したギターの伴奏が、2コーラス目にそのまま使えてしまうのだ。うまく繋げる作業が少々手間になるが、演奏の労力が省けて大いに時短になった。
うたの録音に関しては、あまりの下手くそさにイラだったおじい、一度に歌う範囲をどんどん短くしていった。1年たった今ではほとんど歌詞を1行ずつ歌って録音しているていたらくぶりだ。
ああ、歌が上手だったらどんなにか素敵だろう。どんなにか幸せだろう。
布施明か尾崎紀世彦のように生まれたかった。

ここで、手作りの「録音BOX」の効果について触れておこう。
おじいは2階の8畳間とそれに付随する4畳くらいのクローゼットをひとりで占有している。けっこう贅沢だなと思われるかもしれないが、8畳間は3分の1くらいは物置代わりになっていて、ほとんど使わないガラクタやら布団やらがうずたかく積まれている。そこにおじいの粗末なシングルベッドもある。
おじいの「居場所」といえるのは4畳のクローゼットの中だ。そこも半分は物置きだが、2畳分のフリースペースがあり、昔使っていた120x90cmくらいの「こたつテーブル」を置いている。「録音BOX」はそのテーブルに乗せて使い、録音機材もサイレントギターもその周辺に置いてある。これがおじいの「アジト」なのだ。

特別におじいのアジトを公開する

こんな部屋の状況だから、2階の廊下に出るまでにはクローゼットと8畳間の2つの扉がある。「録音BOX」はそんな環境の中で使っている。
で、家人にそれとなく部屋の物音について訊いてみたところ、まったく気がついていないようだった。おじいはサビの部分で血潮がたぎると相当でかい声を張り上げたりもするが、聞こえていない。
また、「録音BOX」の中に手を入れて「指パッチン」をしてみると、箱の外で鳴らす音のおよそ3分の1程度の音しか聞こえない。効果はかなりあるのだ。
おまけに、「録音BOX」の内部(凸凹のない壁)に、がらくたの中から見つけたフェルト材をあとから貼り付けた。これの効果はまったく分らないが、少なくともカベの厚みは増した。
さらに念には念を入れ、おじいはマイクが外の音を拾わないように、家にあった小さめで軽い「毛布」で開口部を覆って歌の録音をしている。子供が赤ちゃんの頃に使っていたやつだ。かんたんに言えば、後頭部から背中にかけて「赤ちゃん毛布」をかぶる格好で、「録音BOX」に顔を突っ込んで録音しているのである。イメージしていただけたであろうか。
ド素人スタジオは不格好で滑稽な見た目だが、これでかなり高性能なのだ。
確かめようがないが、家の外にも音は漏れていないと思う。

      録音BOX赤ちゃん毛布掛け

それから、おじいの前に大きく立ち塞がる壁となると思われた音楽ソフト「GarageBand」の操作にも少し触れておこう。
「トラック」に名前をつけたり、ギターや歌声の音質を数ある種類の中から選択する方法は、おじいでも画面から容易に想像出来た。また、エコーやリバーブ(残響音)を調整する「ツマミ」や低音・高音を調整する「ツマミ」も一目で分かるので簡単に使える。(いまだにエコーとリバーブの違いが分からないし、何に使うのか分からない「ツマミ」もいくつか存在する)
また、失敗した「トラック」を消去する方法も右クリックで簡単にわかった。
しかし一番重要な、操作を誤ったとき、たとえば消去してはいけないトラックを消してしまった時などの「取り消し方法」はネットの解説に頼らなければならなかった。(「編集」をクリックして「取り消し」を選ぶだけの、あっけなくも簡単な方法だったが)
同様に、トラックを分割したり他のトラックに移動する方法、それから完成した曲を「書き出す」方法も必要に迫られてネット解説で覚えた。
もうひとつ、録音した音の音程を変えられるという事も書いてあったので試してみた。これが使えればものすごく便利だ。ギターで録音した伴奏のキーが低いと思ったら、簡単に半音ずつずらして上げていける。「再録の悪戦苦闘がなくなる素晴らしい機能ではないか!」とおじいは興奮した。
ところが、これを使って音程を変えたギター音は、あきらかに音質が劣化してしまった。なので期待したけれどこの機能は使えなかった。ただ、これも外部からの録音による時のみの障害で、DAW(音楽製作ソフト)内で作られた音ならこんな劣化現象はないのだろう。
マニュアルに頼ったのはこのくらいのものだろうか。
とはいうものの、今でも操作の分からない事はたくさんあって、何の拍子か、見たことのない画面に突如変わっていたりもする。ナンダこれはと驚いて、いろいろといじくり倒すが、結局元に戻す方法が分からない、なんていう事はしょっちゅうである。むしろ、普段使う簡単な機能以外はまったく分かっていないと言った方が正しいだろう。GarageBandの機能が100あるとしたら、おじいはきっと10くらいしか使えていないのだ。
しかしまあ、それほど大事に至ったことはないのでまあいいや。
おじいのスキルはこの程度のものである。


わが家から見えた壮大な夕焼け雲

CDを作るのだ


作った歌9曲をひととおり録音し終わったおじい。季節は真冬からすでに桜の開花する時期になろうとしていた。
いよいよ次はCD製作だ。
CDにしておけば、形のない音楽が少なくとも「モノ」となって残る。それはおじいが生きた証しだ。そしてそれは、前に書いた「おじいの遺品を整理する家人」の妄想ストーリーにもつながってゆくのだ。
この時、あることを思い出した。
以前会社勤めをしていた時、おじいがよく仕事をサボって無駄話をした守衛のおじさんがいた。そのおじさんからある日突然、CDを渡されたことがあった。自分の歌を録音したから聴いてみてよ、という事だった。
えっ、いやだな、と思った。おじいはひとの歌を聴くことが大嫌いだ。
しかし、生きていく上での「つきあい」というのもある。仕方なく(表面上はおだやかな笑顔で)受け取って聴いてみた。聴かなくても良いかと思ったが、後から感想を求められたりすると困るので、飛ばし飛ばし3曲聴いた。CDには10曲くらい入っていて、ほとんど聞いたこともないような演歌ばかりだった。
聴いてみてCDに録音しようという気持ちもわかった。人は見かけによらないもので、プロ顔負けの歌唱力だったのだ。守衛をやめて地方の温泉ランドでも回ればひと稼ぎ出来そうに思われた。
なんでも、そのCDは知り合いのカラオケ屋が録音してくれたのだという。
その時に、カラオケ屋によってはCD録音のサービスもやっているのだと知った。
これを思い出したのは、録音したデータだけ持ち込んでCDにしてもらえないかと思ったからだ。
しかし、やってくれたとしてもやっぱりわざわざカラオケ店まで出かけるのは面倒くさい。それにけっこう金もかかることだろう。
じつにおじいらしい判断で、このアイデアは1分30秒でボツになった。

「CDを作る方法か・・・。」 と大事業に取りかかるようにおじいはつぶやいた。
当然、CDをパソコンで使用した事は無い。知っている人なら、たぶん鼻歌まじりの1分作業なのであろう。しかしおじいは、高い岩壁を見上げるように立ちつくした。
どうすれば良いのか手も足も出ない。まず、驚いたことにMacにはCDやDVDの装置が内蔵されていないではないか。ということは、「外付け」の機械が存在するのか? それを買わねばならないのか?
それでは余計な金がかかるから、Winの方のパソコンになんとかデータを移動させてCDに焼くか・・・。そこでおじいはもしや、と思ってお古のMacを譲ってくれたかみさんに聞いてみた。
「Macのさあ、外付けのCDの機械ってある?」
「あるよ。」
「あるんかい!」 あっさりの即答に驚いた。
「何かに使うかもと思ってパソコンと一緒に買ったのさ。結局使った事ないけどね。1980円。」
箱に入ったまま、というか、あきれたことにかみさんはまだアマゾンの箱に入ったままのやつを取り出してきた。
「はい、1,980円。」と言ってかみさんは片手を突き出した。
「ううむ・・・」おじいはフクザツな思いで口から出そうになる言葉を押し殺した。そして財布から千円札を2枚取り出し、峠の茶屋のお武家様のように言い放った。
「つりはいらん。」
こんな成り行きで、おじいは外付けCDの機械を買うことを余儀なくされてしまったのだ。
さっそくアジトに戻ってそれを開封してみた。
なんだか、平ベったい小さな黒い箱が出てきた。
CDを一回り大きくしたくらいのサイズしかない。これで本当に録音が出来るのかと不安になった。「まさか再生専用ではあるまいな。1,980円というのがあやしい。もしそうだったら返品だ。」 機械音痴のおじいはそんなことまで考えた。
とりあえずそれをパソコンに接続してみようと思った。
USB端子付きの短いコードが2本のびている。なぜ2本あるのかよく分からなかったが、当てずっぽうでそのうちの1本をパソコンにつないだ。
すると小さい電源ランプがついた。 操作するボタンを探した。
ない。 上下にひっくり返して見た。うすっぺらな側面も見た。
ないのだ。
操作ボタンがいっさい付いていないではないか。
「なんだこりゃ、どうすれば中が開くんだ。」
おじいは手に持った黒いプラスチック製のハコを、前後左右にスライドさせてみた。おろかにも手動で開けるものかもしれないと思ったのだ。
当然、開くわけがない。
「不思議なハコだ。」 いつも通り説明書を見ずにおじいは謎解きに入った。
「今のハイテク製品は、わしの知らない間に技術革新を繰り返している。
車のキーがなくなってしまったように、最近の電気製品もスイッチがなくなっているのかもしれん。」 おじいはそう考えた。
黒いハコの入っていた箱に、何かリモコンのような付属品が入っているのではないかと探してみた。 予想は外れた。何もない。
「そうか!」 おじいのひからびた脳みそに突如ひらめくものがあった。
「プリンターのようにパソコンの操作で動かすようになっているのだ!」
正解を突き止めたような気持ちだった。パソコン画面をおじいの貧しいスキルであれこれさぐってみた。しかし結局、糸口すら見つける事ができなかった。
捜査は行き詰まった。
しょうがない。かみさんに訊いてみよう。
ところが一階に降りてみると、かみさんがいない。近くのスーパーに買い物に出かけたようだ。 
諦めてアジトに戻り、黒いハコを前にため息を吐いた。そして思い直した。
「現場100回と言うではないか。もう一度振りだしからやり直そう。」
呆れたことにここに至ってもまだ「取説」を見る気が起こっていなかった。
おじいは菊川怜のCMにつられて買ったハズキルーペを取り出した。そして鑑識係のように黒いハコを一面ずつ、舐めるように観察した。
上面と推定される面は完全な平面だ。疑いようがない。
下面と推定される面には、わずかな突起が4か所ある。ボタンにも見えるが、これは位置関係からゴムの脚だろう。押してみたがヘコまないからシロだ。
最後によくよく側面を観察すると、本体と同化して目立たないが、小さい四角い部分を発見した。むむっ? 本体面と高さは同じで、老眼では「押しボタン」と気づかないようなものだった。「違和感」があるのは、わずかにこれひとつしかない。
指先で押した。 「シャッ」と言っていきなりトレイが飛び出した。

おじいを悩ませた外付けCDの機械

その後880円で10枚入りの音楽用CD-Rと言うやつも購入した。これですべての機材と準備がととのった。
おじいは、途方もなく険しい道を踏み出す覚悟で、「曲をCDに録音する方法」というのを調べた。
まずは、音楽ソフトに録音した曲を、「書き出す」ことが必要らしい。
「なんや?書き出すって。」おじいはそうつぶやきながらGarageBandを起動し、1曲目に予定した歌の画面を開いた。
画面の上部に並ぶ「共有」を押して、「曲をディスクに書き出す」を選択する、とある。 「ん?」と疑問が生じた。
「曲をディスクに書き出すだと? ディスクってCDのことだよな。これを押したら、いきなりCDへの録音が始まるのか?」 おじいは警戒した。
こんな安易にCD製作が出来るとはさすがに思っていない。なにか落とし穴が
待ち構えていて、いきなりドツボに放り込まれるような気がした。
警戒しつつ、とりあえず「曲をディスクに書き出す」を押してみた。
おっと、「曲をディスクに書き出す」という同じタイトルの小画面が飛び出した。
その最初に「場所」を選択するようになっている。
「書き出し」をする「場所」の選択肢がいっぱい並んでいた。ところが、何度見わたしても「ディスク」とか「CD」という項目が無いではないか。 
いったいどういうことだ。「ディスクに書き出す」とアンタが言っていたじゃないか! おじいはパソコン画面にむかって思わず文句を言った。
これだからパソコンは嫌いだ。
選択肢は「GarageBand」「ミュージック」「user」「ユーザ」「Mac HD」・・・その他いろいろ。
わからない。なじみのないお方ばかりだ。どれを選んだら良いのか、途方にくれた。「GarageBand」でやっているのに「GarageBand」に書き出すというのも理解できない。
仕方がないので、おじいは並ぶ項目の中から、唯一なじみのある「デスクトップ」を選ぼうと思った。もしへんな場所に「書き出し」されてしまったら
もうお手上げだ。捜索に半日がかりとなるだろう。
その点「デスクトップ」であれば、何か出ていれば、さしものおじいも気がつくにちがいない。
「デスクトップ」を選択、と。
それから、その下の欄を見ると。
「AAC」「MP3」「AIFF」「WAV」の中からどれかを選択することになっている。
なんの事かこれもまったくわからない。見たこともないアルファベットの羅列だ。この中で、直感で選ぶとしたら「AAC」か「WAV」のいずれかだと思った。なんとなくだ。2番目の選択肢には唯一数字が使われているし、3番目の選択肢は唯一4文字だ。そんなところにわずかな「異物感」を感じたのだ。これはもはや「ババ抜き」に近い。 
この二択は目をつぶって「WAV」を引いた。WAVWAVWAVWAVWAVW・・・・・
文字が躍って楽しげな感じだったからだ。
次に進む。
次は「音質」とあって、「非圧縮16ビット(CD品質)」と「非圧縮24ビット」のいずれかの選択だ。意味は分からないが、イメージ的に「24ビット」の方が高音質のように思えた。だが、ここはあえて前者を選ぶべきだと思った。
ハイテクハイクオリティーで最先端を気取る「24ビット」くんよりも、長年CDひと筋で頑固一徹職人かたぎの「16ビットCD品質」さんに仕事を頼もう。そんな気持ちだった。 「16ビット」を選択。
そして最後の設問は、
「サイクル範囲、または選択したリージョンの長さ(サイクルがオフの場合)を書き出す。」
これにチェックを入れるか否か、という選択だ。日本語で書かれているのだが、何を言っているのかさっぱりわからん。
これにはおじいは、きっぱりとチェックを「入れない」ことにした。
「わからないことにハイと応えてはなりません。」
死んだおふくろが、おじいが子供の頃によく言っていた教えだ。

どれもこれも、どう転ぶかわからないバクチのような選択だった。
最後に、右下の「書き出す」ボタンをえいっと押した。
おおっ! いきなり画面が動き始めた。トラックの水平棒グラフをタテ棒が高速で走り始めたのだ。そして、数十秒でそれはストップして静寂がおとずれた。どうやら「書き出し」が終わったみたいだ。
おじいはすぐさまデスクトップの画面を開いてみた。
そこには、音符マークの付いた正方形のやつ(アイコン)が、曲のタイトルとともにぽつりとひとつ浮かんでいた。
「これが書き出されたデータなのか・・・」
で、これがどうなるんじゃ? 
何気なしに動かしたポインターが正方形のやつに触れると、「右向き三角」あの「再生」ボタンが突如現れた。
おっ? もしや・・・と思いそれをクリックした。
・・・パソコンのスピーカーから小さな音で曲が流れ始めた。
「おおっ」
おじいはあわててイヤホンをパソコンにつないで耳に押し込んだ。
それは、今し方「書き出し」た「五月の空に」という曲だった。

書き出された9曲

おじいは、同じやり方で9曲すべてをデスクトップに書き出した。
画面に9コの白い正方形が並んだ。
ここからどうやればCDになるのか、まだまだ先が長く続きそうだ。しかしおじいはまたふと立ち止まってしまった。
この9コの正方形を目にしたら、先に進もうと思うよりさきに、「あと1コ増やしてキリの良い10曲にしよう」と思ってしまったのだ。
9曲ではどうにも収まりが悪い。アルバムという体裁をとるなら最低10曲にしなければならないと思ったのだ。
今はどうなのか全く知らないが、昔はどういうわけかアルバムといえば12曲入りが一般的だった。LPレコードのサイズからして、片面に6曲入れるのが限界だったのかもしれない。ともかく、あと3曲増やすのは時間がかかりすぎるので、せめてあとひとつ加えて二桁には乗せておきたいと考えた。

さっそくテーマを探して昔の記憶をたどり、あっという間に曲作りが進んだ。そして、思い立ってからじつに1週間で録音まで終了してしまったのだ。ほんとうに自分でも驚くほどの速さだった。
少年の海辺での出逢いと別れを歌った歌で、「虹色の魚」という名前をつけた。
歌もギターも、相変わらず聴くに堪えない下手くそさだが、これでとにかくキリの良い10曲がそろった。
さあ、CDへの録音だ。いよいよ山頂へのアタック開始だ。
気まぐれで1曲追加の寄り道をしてしまったので、デスクトップに「書き出し」たところで作業が中断してしまっていた。
また、マニュアルをさぐる。
「書き出し」が終わりましたよ。次は・・・
まず、CDの機械に新品の「CD-R」を入れる、と。 はい、入れました。
すると、デスクトップの画面に「ポッ」という感じで「CDの絵」が浮かび出た。それには「名称未設定CD」という文字が付いている。
これはたぶんだが、「名前を付けろ」と言っているのだ。おじいは勝手にそう解釈し、右クリックして名前をつけてやった。「FREEDOM」。怒りにまかせて最初に作った曲のタイトルだ。
そしてそれから、その「CDの絵」をダブルクリック、と。
おおっ、「録音可能CD」という、ヨコ線の入ったノートみたいな画面がいきなり現れた。おじいの「パソコン操作史上」始めて見るたぐいの画面だ。
説明書きではそのノート状の部分へ、データ(つまりあの「白い正方形」)を「ドラッグ&ドロップ」とある。
「なんや?ドラッグ&ドロップて。」 
「薬とアメ」ではなさそうだ。 おじいは調べた。
ポイントを左クリックで押さえたままぐいっと引っ張ってきて放す、みたいなことだと分った。
えっ、そんな簡単でいいの? と思ったが、画面では肝心の「正方形」がノートの下に半分隠されてしまっている。
「おい、どうすりゃいいんだよ。」
次々に分らないことが現れる。
いろいろと画面をいじくっていると、ノートの端っこの線にポインターを置いて左右に移動させればノートのサイズが変更出来ることに気がついた。
ぐっとノートを小さくすると「正方形」のアイコンが10コ視界に入った。
よおし、解説どおり、ドラッグ&ドロップだ。
押さえ込んで、ぐいっと引っ張ってきて、落とす。
おおっ、本当に曲名がノートに表示された! これはすごい。
こうなればつぎつぎにドラッグ&ドロップ。ドラッグ&ドロップの連続攻撃だ! プロレスの実況みたいだが、またたく間に10曲のリストがノートに書き込まれてしまった。すばらしいテクニロジーだ。
だが、これだと曲順がアイウエオ順になっている。自動的にそうなってしまうみたいだ。もし、この曲順でCDに録音されるのであればこれを阻止しなければならない。おじいが予定していた曲順に並べ変えたい。曲順を変える方法が必ずあるに決まっている。しかしその操作方法を探して説明を見るのはじつにめんどくさい。
そこでおじいは無い知恵を絞って考えた。そうだ、曲名のアタマに数字を入れてしまえば良いのだ。そうすればきっとアホでも番号順に整列するにちがいない。
はたしてその作戦は当たった。
おじいはいつしか覚えた得意技、「名前の変更」を駆使して曲順を入れ替えることに成功したのだ。

それからそれから、次は、と。
えっ? これであとは右上の「ディスクを作成」を押すだけでいいの?
「ほんまかいな。」 まだまだ「落とし穴」があることを警戒していた。
疑心暗鬼のまま「ディスクを作成」を押した。
するとまた選択肢が現れた。それはどうやら、作成スピードを選択するものであるらしかった。10x、16x、24xとある。おそらくは10倍速、16倍速、24倍速といったところだろう。
おじいは「そんなに急がなくていいよ。ゆっくりでいいからきちんと正確に仕事をしておくれ。」とつぶやいて、10xを選択した。24xでは急ぐあまり、つまづいて転ぶこともあるだろうと心配したのだ。
今度は右下に出た「ディスクを作成」を押す。 「おっ」
わずかな間を置いてCDの機械が「ぶーん」と小さなうなり声をあげた。
作動している。たしかに動いている。
なんだか薄っぺらでちっぽけなくせに、えらく頑張っているみたいだ。この中できっとCDの円盤が高速で回転しているのだろう。そして、たぶん、おじいの涙と苦労の結晶が録音されているのだ。どういう仕組みかは分からないが、「ガンバレ」と心の中で応援せずにはいられなかった。
そして、待つこと約10分。機械が静止した。
「終わったのか? 録音できたのか?」
おじいはまだ信用していなかった。聴いてみるまでわからない。
イヤホンを耳に付けて、画面上のリストから1曲目を選択してクリック。
すこしの緊張と沈黙のあと、前奏のギター音がやかましく鳴り響いた。
「やった!」
「虹色の魚」のへたくそな歌声がその後に続いて聞こえた。
ついにおじいの大きな目標であり、ささやかな夢であったCDが完成したのだ。
10曲を収めたアルバム「FREEDOM」。これでわしも安心してあの世へ行ける。おじいはふかく安堵の息を吐いた。

完成したCD「FREEDOM」

が、しかし、おじいには一抹の不安があった。
それは、「あの妄想」のように家人が遺品整理でこれを発見して、聴いてくれるとは限らんぞ、という事だった。他のゴミと一緒にあっさりと捨ててしまうことも大いに考えられる。それではこのどえらい苦労が水の泡だ。
くだらないテレビを見て馬鹿笑いしているだけのじじいではない、世の中の事も少しは考えていたのだ。その事を子や孫に知らしめる必要があった。
このCDこそがおじいの生きた証しでもあるのだ。
おじいは芥川龍之介のように苦悩したすえに、かみさんだけには「これ」の存在を伝えておこうと決断した。それは、月光仮面がやむなく自らの正体を打ち明けるかのごとき決断だった。

「あのさ。コレ、あげるわ。」
おじいは新聞を広げるかみさんに、ぶっきらぼうに差し出した。
「何さ、ソレ。」
「CD。」
「見りゃわかるわ、そんなん。何のCD?」
「わしのCD。わしのアルバム。」
「アルバム? 写真が入ってるの?」
この中からおじいの遺影を選ぶのか、かみさんは一瞬そう思ったみたいだ。
「いや、音楽だ。わしが作った曲だ。」  
月光仮面の告白だった。
んんっ?といういぶかしげな表情をして、かみさんはそれを受け取った。
「聴いとくわ。」 とだけ言って。

これについて根堀り葉堀り訊いてこないことが、かえって不気味であった。
女の勘で、じじいが何やらあやしげな事をたくらんでいるのを、うすうす感じ取っていたのだろうか。日中、クローゼットの中に籠もってごそごそやっているのを、扉の外で聞き耳をたてていたのかもしれない。
そうだ、サイレントギターを通販で買った時に、配達のドライバーから受け取りをしたのはかみさんだった。そこそこ大きい荷物だったので、貼られたシールの品名くらいは見ていたかもしれない。おまけに、機材をいろいろとそろえている時期、ふだん届かないじじい宛ての宅配がたびたび届くことも、きっと不信に思ったことだろう。お古のMacをくれ、なんて言ったことも、最近になって外付けのCDあるか?なんて訊いたことも、すべてが怪しい出来事だったに違いない。
「じじいはいつも昼間から「月曜から」とか「水曜の」とかの録画したアホなバラエティ番組を見て、テレビの前でバカ笑いしていた。それが、しばらく前から自分の部屋に引きこもる事が多くなった。絶対に何かやっている。
しかも秘密にしなければならない、もうれつに怪しい何ごとかをやっている。それも、どうやら音楽に関係しているようだ。」この程度のことをかみさんが思っていたとしてもおかしくはない。

「聴いたかな。あれ、聴いてくれたかな。」心でつぶやきながら、数日の間、おじいはなんとなくそわそわしていた。かみさんの感想が聞きたかった。しかし、それを聞くことが怖くもあった。自信のあるようで無いテストの答案を待っているような心境だった。
そんなことも忘れかけていた1週間後くらいに、突如かみさんが言った。朝、起きがけに顔を合わせた時だった。
「ギター、こんなに上手なの?」
えっ、と思った。聴いたのだな、アレ。
実際のところ、ギターはまだドヘタな初心者クラスだ。
本当に上手な人が聴けば、たちまちドヘタがばれる。しかし、ギターを弾いたことの無い人にはあれで「上手」に聞こえるらしい。
「上手くはないさ。」
「そうなの?これで。」
「ああ、まだへたくそだ。」
「せっかくだから配信すればいいのに。」
「ハイシン?」(背信かと思った)
「今は、CDとかじゃなくて配信する時代だよ。」
「なんだそりゃ。」
それで会話は終わりとなった。
結局、曲がいいとか悪いとかの評価は聞けずじまいだった。しかし聴くだけは聴いてくれたのだ。おじいはそれで良かった。曲の評価を言わなかったのは、メロディーも歌詞も歌声も、哀れなくらいへたくそだったからだ。
だから、ギターだけなんとか誉めることにした。それはかみさんのせめてもの情け、といったところだろう。
これでおじいが死んだあとも当分はこれが残るであろう。うまくいけば、子々孫々代々残され、いずれ家宝となるかもしれない。おじいは愚かにもそう思った。そして、「ハイシン」なんて言葉はそれっきり忘れた。まったく関心がなかったからだ。おじいにとってはCDが最終到達点だった。

ついに世界配信


CDアルバムが出来た。(おじいは1枚ではいずれ無くしてしまう可能性があると思い、念のため3枚作成した)
こんなことは、ギターを始めた10ヶ月ほど前には想像もしていなかったことだった。
音符が読めず、楽器が出来ず、機械音痴、パソコン苦手、しかも歌ヘタ、
音楽センスなしの6重苦のじじいなのだ。あるものといえば、死ぬまでのヒマな時間とごくわずかの退職金、そして狭いクローゼットの中のアジトくらいだ。
それがまさか、自分で作詞作曲をして、それを録音し、CDまで作ってしまうとは。駿河湾に沈めた「やいづの」も、これを知ったらさぞかし驚くだろう。
ところが、そんな達成感は2、3日もするとすぐに消えていった。
これで終わりでは、また、やることがなくなる。それに、歌を作ろうと思った時に、「人生を代表する1曲」を作ろうと心に決めたのだ。その思いはまだ達成されていない。自分の「My Way」はまだ遠くにあるかげろうだ。
じじいにそんな才能があるわけがないのだが、自分の「My Way」を作りたいという胸の火はくすぶったままだった。
なにかの拍子に、奇跡的に出来てしまうってこともあるかもしれないではないか。現に、10曲目の「虹色の魚」はたった1週間で録音まで出来てしまった。また、世の中に「一発屋」の歌手やアーティストはたくさんいるけれど、中にはそれが本当に能力を超えて偶然出来た「生涯の1曲」だった人もいるにちがいない。
おじいは前を向いた。そしてまた心の日記を書くようにぼちぼちと曲作りを始めた。
満開の桜を見て1曲。夕暮れのテニスコートで1曲。すこし心が動くと、それをテーマとし、イメージを膨らませた。

おじいの地元の花畑

そんなある日、かみさんが突然聞いてきた。
「配信できたの?」
「ハイシンなんかするわけないじゃん。」
「なんで? 簡単みたいだよ。」
「んなわけ無いだろ。」
おじいは言っている意味がよく理解できぬまま、「いい加減に」受け答えしていた。
「音源があればさ、誰でもできるってノブちゃんが言ってたよ。」
ノブちゃんというのは、かみさんの「平井堅」仲間で、よく一緒に「ケンズバー」とかへ行っていた人だ。ピアノの講師をしている立派な「音楽家」でもある。
「ほら、あのヘビとかトカゲとか出てくる歌があったでしょ。あれとか、サヨナラサヨナラって歌なんかいいと思うけど。」と、かみさんは立て続けに喋った。
おじいの歌に蛇と蜘蛛が出てくる歌はあったが、トカゲは登場しない。
しかし「この歌がいい」と評価されたのは、このときが世界初だ。どんなことにせよ世界初はうれしい。「記念日」といってよい。俵万智なら一つ歌を詠んだことだろう。
おじいはちょっと気分を良くした。
このトシになって誉められることなどまず無い。ずっと日陰の人生を歩んできたのだ。けなされこそすれ、誉められることなどめったにあることではなかった。
「そうかなあ。」
と、とぼけたフリをしたが、内心「ちょっとだけ、ハイシンとやらを調べてみようかな。」という気になった。
ノブちゃんの言うことを信用したとして、それは「ふつう」に音楽をやっていて、「ふつう」にパソコンとかを操れる人の事だろう。譜面はもちろん読めるし、音楽用語(ひょっとしてギョーカイ用語とかも)も当たり前に理解し、かつ音楽製作ソフトなど意のままに操って画面の上だけで「ふつう」に曲作りできてしまう。そんな人ならば「簡単に」ハイシンができる、という意味に違いない。おじいはそう解釈した。
まずは「音楽配信」なるものがおじいにはよく理解できていなかった。耳では聞いたことがたしかにある。最近の人はCDではなく、音楽配信される音楽をスマホで聴くらしいということは何となくは知っていた。
おじいが若い頃は、FMラジオで流される歌をラジカセで録音して、「カセットテープ」で聞いていたものだ。それ以前のラジカセがまだ無い時代など、AMラジオの前にただのカセットテープレコーダーを置いて、付属の粗末なマイクでスピーカーから流れてくる南沙織の歌を「生録音」していた。
録音中にもかかわらず家の外を「竿竹売り」や「豆腐売り」などが通りかかると、「くそっ!」と舌打ちしたものだ。
その後、レンタルビデオ店が現れると、それに併設されたCDコーナーで借りたCDを家でカセットに録音するようになった。(「CDラジカセ」が登場していた)
アルバムCDを借りても、その中で気に入る曲はたいてい1,2曲しかなくて、おじいはそれらを寄せ集めて「お気に入りカセット」を作った。それを聴くのは100%車の中。仲間たちとドライブや旅行に出かける時だけだった。
おじいの「音楽を楽しむ」体験はほぼそのあたりで終了している。
その後は、世のヒット曲とかにはほとんど関心を示さぬじじいと化した。1960年代から、せいぜい80年代までの曲さえあれば、一生事足りると思っていたのだ。(なんてじじいだ)
話がまたまたそれてしまった。「音楽配信」というものについて調べなければならない。
おじいは「音楽配信とは」で検索した。
すると、なんと総務省がこれについて書いているではないか。
これによると「インターネットから好きな曲をダウンロードできるサービス」とある。「利用するには、音楽配信用のサーバーにアクセスしてダウンロードすればよい」、か。
「1曲ずつアルバム/シングル単位で買えるサービスや、1ヶ月の料金が決まっていて聴き放題のサービスがある」、とな。
ウィキペディアによれば、「今はダウンロードよりも定額制音楽配信が主流で、これはサブスクリプション型音楽サービスとも呼ばれる」、と。
最大手はSpotifyで、Apple、LINE、AWA、Google、Amazon、au・・・・
サブスクは月額1,000円弱の価格帯が多い、か。
なるほどね。なんとなく分かった。最近の人はよく線のないイヤホンを
耳にくっつけているけど、「サブスク」で音楽を聴いているわけね。でも、あの線のないイヤホンって、やたらと落としたり無くしたりしないのだろうか? そこつ者のおじいなら4日で片耳を無くしてしまう自信がある。
安くはなさそうだが。きっと、おじいの考えが及ばないようなハイテクの「イヤホン落とし防止技術」があるのかもしれない。
で、この音楽配信に歌をのっけるにはどうしたらいいんじゃ?
「自作曲を音楽配信する方法」と。また検索した。
「自作曲を音楽配信プラットフォームに配信するには、音楽配信代行サービスに登録する必要がある。」とな。
ほれ見よ、とおじいは思った。きっと芸能プロダクションみたいなところに「登録」しなければならないのだ。オーディションや審査みたいなモノがあって、それに合格しないと「登録」できないのだ。おじいみたいなじじいは最初の「書類選考」で間違いなくハネられるに違いない。
さらに調べる。
「個人アーティストが自作曲をSpotifyやAppleなどの音楽配信プラットフォームに配信するには、配信代行サービスを経由する。代行サービスはたくさんあるが、料金や収益還元率は各社異なる。配信料が有料のところも無料のところもあり、審査に通れば誰でも配信可能となる。」か。
な、やっぱり「審査に通れば」だよ。きっとド素人は審査など通らないのだ。おじいには確信に近いものがあった。
だいたい、「審査」がなくて「誰でも」となると収拾がつかなくなるではないか。「園児のおうた」でも「爺さんの詩吟」でも発表会の記念に、なんて言ってどんどん放り込まれたら配信会社はたまらない。
郵送か何かの「書類審査」がまずあって、それを通ったら一次審査で面接、二次審査で実技試験、最終はまさかとは思うが重役面談だ。となると、わざわざ東京まで出向かないといけないのか。背広を新調せねばならんな。
おじいの妄想は膨らむばかりだった。
実際のところは、どんな「審査」が待ち受けているのだろう。
おじいはさらに調べた。
まずは、どんな配信代行サービスがあるのか? おそらく、会社によって審査内容が違っていることだろう。
TuneCore、BIG UP!、LANDER、CD Baby,  Frekul,  TOWER CLOUD などなど。
当然だが、まったく聞いたこともない名前ばかりだ。
有料のところだと、配信料は安いところで1年間シングルで1,500円台、アルバムで5,000円台だ。1年経つとまたこれを支払わなければならない。いやだな。
しかし配信料は取るが、そのかわり還元率(たぶん代行会社の取り分を差し引いたアーティストの取り分の事だろう)が高かったり100%だったりする。
逆に、無料だと配信は無料だけれど、還元率が60%とか70%とか低いのだ。会社が利益を出すためにそれは当然だろう。
大量に曲が聴かれるアーティストなどは、有料でも還元率が高い方が実入りが良い。彼らには年間配信料など微々たるものに違いない。
ほとんどの代行サービスは主要な配信サービスを網羅していて、配信能力に各社それほど差が無い。あとは、アーティスト活動への「サポートサービス」などにそれぞれ特色を出している、といった感じか。
おじいが選ぶとすれば、当然「無料」の方だ。
じじいの曲など聴く人は、何か他の曲と間違えて聴く人以外考えられないから、還元率もくそもない。また、こんな歌で人様からお金を取ろうなんてハナから思ってもいないし、配信料も取られたくない。 無料でよいのだ。
となると、選択肢はBIG UP!、Frekul、 TOWER CLOUD あたりか。
この中からおじいはとりあえずTOWER CLOUDを選んでみた。還元率が80%と最も高かったからだ。(やっぱり金じゃないか)
ちなみに、「アーティスト」にどのくらいお金が入るのかを調べてみたら、「1回のストリーミング」でだいたい「0.0何円」という数値だった。だから、仮に0.05円だとすると1万回再生されてもわずか500円しか入らないということだ。1億回再生されると、さすがに500万円入るが、おじいでは人類滅亡の時までがまんして生きても不可能だ。こつこつ働いた方がずっとマシだ。
おじいは試しにTOWER CLOUDのホームページを開いて、「TOWER CLOUDに登録(無料)」というボタンを押してみた。
そこには「メールアドレス」と「パスワード」だけ入力する画面があった。
それを入力し、「登録」を押した。どうやら、何かしらのメールが返信されてくるようだ。しばらくするとパスワードが届いたのでまた返信する。本人確認をしているのだろう。
おじいのパソコンは、なんだか知らないがメールが届くのがやたらと遅い。その日にのうちにはTOWER CLOUDから返信が届かず、翌日見たら届いていた。
画面を見ると、住所、名前、電話番号、生年月日、主な音楽活動の地域、
プロフィール、アーティスト名などといった事を記入するようになっていた。おじいのような半ボケ老人でもこのくらいの事は書き込める。(本当をいうと携帯電話番号などは覚える事も諦めていて、いつもスマホを開いて確認している。おまけに郵便番号も下4ケタがあやしい。)順を追って記入していく。
「音楽活動の地域」か。そんなものも書くのか。
アジトに籠もってギターを弾いて歌を作っているだけだが、これも広義の「音楽活動」と言えなくもないだろう。おじいは自分の住んでいる地域を記入した。
「プロフィール」は困ったな。
おじいはフリーズドライのような脳みそをかさかさ振って、次のような文言をころげ出した。
「世界に目を向け、自由や人権問題をテーマに創作活動を行なう社会派シンガーソングライター。地域に根ざし、ギター1本で音楽活動を行なっている。」  笑える。
「アーティスト名」も鼻毛を抜きながら適当に考えた。

ただ、ひとつだけ意外な難題が待ち受けていた。
「アーティスト画像」が何と必須になっていたのだ。
うぐっ、とおじいはうめいた。ここ数年で撮った写真自体が数少ないし、そこにはみすぼらしいじじいしか写っていない。「アーティスト画像」などと呼ぶのは笑止千万だ。どうやらここから先は面倒くさいことになりそうだ。
「ここで、もうやめよう。」と思った。もともと配信する気などなかったのだ。試しにと思ってついついここまで来てしまっただけだ。
配信なんてやーめた。と、いったんは投げ出した。
一方で、良からぬ思いがひょっと頭をもたげた。
ひからびた脳細胞の一部が、邪悪なフランケンシュタインの心臓のようにトクトクと小さい鼓動を始めた。
ここまで読んできてくださった読者の皆様はもうお気づきだろうが、おじいは「めんどくさじじい」と「わるふざけじじい」の二つの顔を持っている。(どっちみちろくでなしだ)ここでは生来持ち合わせた悪ふざけの性分が目を覚まし、むっくりと起き上がってきたのだ。そして次第に「めんどくさじじい」をアメーバのように呑み込み始めた。
「まてよ。アーティスト名で歌を配信すれば、どこの誰だかまったく分からないぞ。アーティスト写真も誰だか分からないように変装して撮ればいい。そうすればわしが一切恥をかくことはない。しかもタダだから1円の損失もない。この、おそるべきドヘタな歌がネット空間に半永久的に残るのかもしれない。まちがって年に数回、気の毒だがどこの誰とも知らない人に聴かれてしまうこともあるだろう・・・それはそれで、じつに面白い。」
おじいは湯川先生のようにメガネをキラリと光らせた。
自分がド素人のへっぽこじじいだということを忘れて、もう審査に通ってしまったように錯覚していた。

成長した犬(本文とはもちろん関係がないが、おじいより先に死んだ)

こうなると、悪ふざけの性格は止まらなくなった。
「アーティスト写真」を撮ろう!
すぐに頭の中で「アーティスト像」を思い描いた。
そいつは、まずウスラハゲを隠すために頭に赤系統のバンダナを巻いていた。そしてサングラスをかけ、無精ひげをのばした汚いツラの男だ。
それから、もちろんギターを抱え、苦悩するように眉間にシワを寄せてシブさを装っていた。着ているのは黒のTシャツ。
よし、こんな感じでいこう。
おじいは無論バンダナなど持っていない。代わりになるハンカチか風呂敷かランチョンマットでもないかと探したが無い。仕方がないので、黒い野球帽をツバを後ろにして被ることで妥協した。
サングラスは以前100均で買ったやつがある。
付けひげはダイソーかドンキで買ってこようかと迷ったが、面倒なのでやめた。ここは「めんどくさじじい」が勝利した。
それから、サイレントギターはある。ただしふつうのギターとはまったくカタチが違う。だから上の方、同じ形状をした「ネック部分」だけ映るように撮ればいい。
おじいはさっそく衣装と道具をそろえ、8畳間の窓際であれこれポーズを考えた。バックはできるだけゴミ屋敷の内部が写らないようにしなければならない。
そして、モスグリーンのカーテンと外の白い光をバックに、角度を変えながら10数枚をスマホで自撮りした。「自撮り」というのも生涯初めての経験だった。
そしてその中から、うまい具合に逆光で眉間のシワがキワだった1枚を選択した。これならどこの誰だかわからない。黒づくめのならず者か悪党にしか見えない。
イメージに近いものが撮れたので、おじいは悪巧みする代官みたいに「ぐふふ」と笑った。写真の顔も、じつにワルい顔をしていた。
しかしこれでTOWER CLOUDさんは受け付けてくれるのだろうか、という懸念があった。本人確認するための「証明写真」の趣旨を兼ねているのであれば、サングラスで目が隠れているので不可となる。
まあ、やって見れば分かる。
おじいはスマホから、パソコンのデスクトップにこの画像を放り込んだ。
(これは、現在おじいが出来るスマホ部門最高難度のワザだ)

アーティスト画像をはめ込む欄には正方形のワクがあり、「1500x1500」、「JPG」と書いてあった。
なんやコレ。どうやってここに写真を入れるのだ? 
1500x1500とはなんぞや? JPGってなに?
また「面倒」が立ち塞がった。
しょうがない。また大嫌いな「説明・解説」に頼るか。
おじいは「アーティスト画像の作り方」で検索してみた。
いろいろと探ってみると、どうやらこれには画像を作るソフトが必要みたいだ。代表的なものとしてCanvaというのがあり、無料で使えるという。
しかしこれを使用するには、またあの「ユーザー登録」「アカウント作成」という手続きがいるのだ。ああめんどくせー、と天を仰ぎながらもおじいはこの手続きを実行した。「わるふざけじじい」がまだゲームを支配していた。
この返信メールをまた翌日まで待ち、ようやくCanvaが使えるようになった。今度は、これの使い方をひもとかねばならない。
「Canvaでジャケット写真を作る」という動画を見た。おじいはその手順を
紙にすばやくメモり、さっそくやってみた。
Canva画面の「デザインの作成」をクリックし、「カスタムサイズ」を選択。 すると、幅と高さを入れる画面が現れた。
むむ?これはもしや・・・と直感し、あの「1500x1500」という数値を入れてみた。(どうやら後から何も言ってこないところをみると正解だったようだ。ちなみにこれはピクセルを表している事を後から知った。だが、ピクセルが何者なのかは今も知らない。)
それから、画面左の「テンプレート」なるものを操作してデスクトップを表示し、あの悪党のような「アーティスト」の画像を選択。ダブルクリック。
すると「悪党」はテンプレート内にポンと収まった。こうなればじじいの得意ワザとなった「ドラッグ&ドロップ」だ。「悪党」をぐいっと右画面の「四角いワク」に引っ張って、えいっと落とす。 決まった。
いや、決まらない。カウント2.5で跳ね返された。
画像は長方形のため、タテヨコの比率が違っていた。おじいはワクのタテヨコをいじり、正方形のワクにうまい具合に収めた。「スモールパッケージホールド」(プロレス技です)これで決まりだ。
そしてこれを保存するには、右上の「共有」を押して、出てきた画面の「ダウンロード」を押す。この時、なんだか知らんが選択肢が出てきて「PNG」か「JPG」を選べという。こんなところで出てきたぞ、あの「JPG」だ。
おじいはもちろん「JPG」を選択した。(この一文を書くにあたって調べてみたら、「静止画像データの圧縮方式の一つ」とあった。)
そして再び現れた「ダウンロード」を押す。
ダウンロードが始まり、その様子がバーが伸びて%で示される。
少しするとバーは100%にまで達して終了。
場所はデスクトップを指定。そして「保存」を押す。
デスクトップを確認すると、あの「悪党」が小さな四角に収まって浮かんでいた。

とにもかくにも、さんざん手間をかけたすえ、おじいはこの画像で「アーティスト画像」欄を埋めることに成功した。そしてそのほかの記入欄も間違いがないことを確認し、これをまたTOWER CLOUDに送り返した。
すると、翌日に早くも「登録完了」のメールが届いた。
えっ! あれほど危ぶまれた「アーティスト登録」が、あっけなく通ってしまったの?
おじいは半信半疑だった。
「あんな「アーティスト画像」でもOKだったのだろうか? もうろくじじいのいんちきアーティストでも大丈夫だったのだろうか? いやいや、これはまだ「登録の申請を受理しました」ということにすぎない。これから本格的に「書類審査」されるのだ。そこでおじいはふるいに掛けられて100%落とされる。まちがいない。」
おじいは冷静にそう判断をくだした。
ところが、TOWER CLOUDのページからログインしてみると、どうやらすでにおじいの「楽曲の配信登録」が可能になっているではないか。
これはどういうことだ。曲の登録をしてもいいよ、ということか?
ううむ・・・おじいは考えた。
「・・・そうなのか。配信するに値する作品かどうか、アーティストの実力を判断するのはこれからなのだ。「楽曲の登録」が行なわれてから本当の「審査」が行なわれるのだ。専門スタッフが送られた曲を聴き、選考会を行なう。ギョーカイの人たちだけあって、開放的なオフィスでコーヒーを飲み、ジーンズの脚を組みながらのフランクな話し合いだ。 これはいいね、ちょっと荒削りだが将来性はあるからイッてみる?などと寸評しあう。そうして「合格」とされたアーティスト、楽曲のみが配信OKとなる。きっとそんな仕組みなのだ。」
つまり、「曲の登録」が実質的なオーディションとなる。
そう考えると、ようやくおじいはガテンがいった。
それなら、とにかくダメもとで「楽曲の配信登録」をやってみよう。

しかしまたここで、おじいはふと立ち止まる事になる。(いったい何回立ち止まれば気がすむのだじじい)
録音された歌は、もともと配信することなど考えて録音していない。
ましてや配信されるにあたっての、「オーディションみたいな審査」など
毛頭考えてはいなかった。ただ興味半分(正しくは面白半分)でここまできてしまっただけだ。
ここはもう少し曲としての完成度を上げておこう。そう思った。聴かれて恥ずかしくない程度にだ。このままではTOWER CLOUDの「合否判定会議」で「何コレ、ボツ。」と、3秒で葬られそうだ。なんとか10秒くらいは粘りたい。
かといって録り直しはしたくなかった。もちろんへったくそで不満な部分は多々ある。しかしその時々で、死力を尽くして録音したのだという矜持があったからだ。(ほんとうは録り直しが面倒なだけ)
そのかわり、ギターの音を追加してやろうと思った。10曲ともすべてギターの音は単音というか、「1回弾いておわり」の伴奏だった。それを、2本のギターで演奏しているように音を重ねるのだ。少しは厚みが出るだろう。画面上で新たなトラックを追加すれば簡単にできる。
おじいは何曲かのサビのところに追加のギターを加えた。多い曲では3つのギター音を重ねたものもあった。それとまた同じように「声」を重ねた曲もあった。こうして手を加えることで、ちょっとは「聴き映え」がよくなった。(気がした)
実際にはDAW(音楽製作ソフト)内で、ドラムやその他の楽器音を重ねることも出来るのだろう。だがおじいにはそんな姑息なことをやるつもりはなかった。あくまで「ギター1本」のフォーク魂を貫く覚悟だった。(そんな操作が自分にできるとは思えず、めんどくさかっただけだ)

それからおじいは録音した10曲を何度も何度も聞き返して、音の調整を行なった。
その「音の調整」というのが、ド素人のおじいには難易度が高い作業だった。かんたんに言えば、「楽器」と「音声」の「強さ」「音質」「エコー」などの「あんばい」を決めることだ。たくさんのトラックに分割して録音したものが、最初から最後まで聴く人が違和感なく聴けるようにしなければならない。
例えば、分割して録音した音声は、その時々で声の大きさやマイクと顔の位置関係が違ったりしている。そうすると、歌の1コーラス目の声に対して、2コーラス目の声が妙に小さく聞こえるような事態が発生する。
エコーの響きもあまり効かせすぎると、カラオケスナックで歌う「夢芝居おじさん」と変わらなくなる。適度な「あんばい」というのが大切だ。
また、歌声に対してギターの音の大きさが、どのくらいが適当であるのか、
といったところでもおじいは悩む事になった。このあたりがド素人のかなしさというべきだろう。
とにもかくにもこうして「ギターを追加」し「調整」し終わった曲を、ついに「配信登録」することになった。

おじいは少々緊張しながらTOWER CLOUD(現 Eggs Pass)にログインした。
すると最初の画面で「シングル登録」「アルバム登録」という四角いワクが現れた。
「アルバム登録」の方をクリックする。
「同意事項」の画面が現れたので「同意」を押す。
どんといきなりあの「悪党づらのアーティストもどき」の画像が出現した。
「アーティストを選択してください」という画面だ。
選択も何も、コレしかない。たぶん人によっては個人やグループを使い分けて、複数登録しているのだろう。
おじいは「悪党」画像をクリックした。
それから、「作品情報登録へ」を押して進んでいく。
「アルバム登録」という画面になった。
ここで出てきたのが大きな正方形のワクだ。
ワクの中に「NO IMAGE」と書いてある。なんだこれは、と思ってクリックしてみる。が、反応がない。
ワクの右上に小さな四角いマークがあった。今度はそれを押そうと思ってカーソルをもっていく、と、「画像検索」の表示が出た。押してみた。
画面が切り替わり、「未設定 編集ボタンより作品情報を登録してください」の文字が出てきた。「編集」ボタンを押した。
すると「ジャケット画像」なる画面がバンと現れた。
そこには「ジャケット画像」を入れるための大きな四角いワクとともに、「注意事項」や「登録できない画像例」というのががたくさん書かれていた。説明書きを読むのが大嫌いなおじいも、さすがにこれにはひと通り目を通さねばならなかった。
まあ、常識的な事が書いてあった。一部理解不能というか、生まれて初めて目にするヨコモジや文言もあったが、おじいには関係なさそうだったのでスルーした。  全部ひと通り読んだ。
とにかく、わかったことは「ジャケット画像が必要なのだ!」ということだった。
あのレコードジャケットみたいなものが必須で求められているのだ。
そんなこと、考えていなかった。
ここでまたおじいは立ち止まる事になった。しかし、あの「悪党」画像を作った経験があるではないか。Canvaを使えばよいのだ。
四角いワクの下には画像に関する指示らしきものが書いてあった。

ファイル形式:JPG  色空間:RGB  
寸法:3000x3000pxの正方形  サイズ:20MB以内

「JPG」は「悪党写真」のときに出てきたからOKだ。3000x3000というのも前の1500x1500を、3000x3000に変えれば良いと想像がついた。だが、あとの二つは何のことかわからない。まあ、ここはいったん無視を決め込むことにした。
それから、ジャケット画像について考えをめぐらせた。
「ジャケット画像」はひょっとすると、配信されるときにスマホ画面とかに出てくるかもしれない。だからおじいの姿を晒すことはやめたほうがいい。たとえ変装していたとしても、これが元でどんな災いが起こるかわからない。
じゃあ、何を使うか。猫の写真でも撮って使うか。猫好きの人が間違って聴くことがあるやもしれぬ。なんだ、猫カンケーねえじゃんと言われてSNSで罵倒されるのもいやだ。やっぱりアルバムのイメージに近いものが良いだろう。
となると、10曲の中には「海」が出てくる歌が多い事に気がついた。
何か海の写真でも見つくろって使おうということになった。
だが海を撮った写真などおじいのスマホにはない。
「フリー素材」の写真ってないだろうか、と思いついた。今まで使ったことはもちろん、見たこともないのだが、世の中に「フリー素材」と呼ばれるものがあることは知っていた。
さっそく検索してみた。
無料をうたうフリー素材写真のサイトは、PixabayとかUnsplashとかいくつも見つかった。結構たくさんあるようだ。しかしこの中から、勝手に写真を選んで使ってもよいものだろうか。あとから莫大な金を請求されたり、訴訟ざたになったりしてはたまらない。おじいはフリー素材について解説するサイトをいろいろと調べた。

まず、「フリー素材」と「著作権フリー」とは違うということだった。
「著作権フリー」は著作者がその権利を放棄したものだから、無料で使用が可能だ。ただし利用規約があって、その範囲内でなら無料ということだった。
利用規約は各サイトそれほど変わらないが、「不道徳」「中傷」などの良識を欠いた使い方や、加工して素材そのものを再販売したりといったことが、違反に該当するようだ。
Pixabayとかだったら、基本的に「ロイヤリティフリーの画像」と表示された画像は利用規約の範囲内であれば、営利目的でも許可なしで使用できるとあった。ただ、「スポンサー画像」と表示された画像も一緒に掲示されており、こちらは有料みたいだから注意が必要だ。
おじいはこうして一応、フリー素材を使うことが可能かどうかを確認してジャケット作成に取りかかった。

まずは、とりあえずCanvaをひらいてみた。
Canvaの中にも著作権フリーの画像があった。「テンプレート」というやつの下に画像がたくさん表示されている。これがそうだ。
その検索欄に「海」と入れてみた。
下の方まで「海」の画像がたくさん出てきた。
「ポスター」や「チラシ」の作成例みたいに全部文字が入っていた。おじいはその中から、水色のきれいな海と空が写ったものが気に入って、これにしようと決めた。(PROと表示された画像は有料みたいだから注意)
そしてそれを3000x3000にした正方形のワクへとドラッグ&ドロップ。
画像に使われていたアルファベットの文字は、そのままアルバムタイトルとアーティスト名に書き換えた。ひとのふんどしをまるまる拝借しただけだが、中身の楽曲よりずっと良いジャケットが完成した。正直なところ、爽やかな感じでいいね、と思った。
おじいはそれをデスクトップに保存した。

さあこれでやっと「アルバム登録」に入れる。
おじいは「ジャケット画像」の画面に戻って、「画像の登録」を押した。
すると、パソコンに保存された様々な画像が選択できる画面が現れた。うまく出来ているものだ。感心しつつおじいはデスクトップからあの「海」の画像を見つけた。
さて、これをどうすればいいの?
試しに画像をクリックしてみた。 反応がない。
今度はダブルクリックしてみた。 おお!
「ジャケット画像」のワクに「海」がどーんと表示されたではないか。
こんなふうにやるんだな、という驚きがあった。他の人は皆、こんな作業を当たり前にやっているのか。おじいはへんなところに感心した。

それから画面を下にスクロールすると、音楽のジャンルを選択する欄が現れた。
「ポップ」「ロック」に始まり、「レゲエ」「アイドル」「純邦楽」
「オルタナティブ」?・・・全部で10数種のジャンルが書いてある。
「オルタナティブ」が何なのか妙に気になる。しかしそれはここではうっちゃっておいて「フォーク」の文字を探す。フォーク、フォーク・・・
しかし「フォーク」というジャンルはついに選択肢になかった。
そうなのか、わしの青春のフォークは今や「死語」なのか。一抹の寂しさに加え、流れた年月の長さを思い知った。
思えば「フォーク」という言葉は古くさくて「ダサい」(当時ダサいという言葉はなかったが)とされて、70年代の後半には「ニューミュージック」と呼ばれるようになった。荒井さんや中島さんとかが出てくる頃だ。その「ニューミュージック」という言葉さえやがて消えてなくなった。あれほどもてはやされたのに、現在では「フォーク」以上の死語になっている。

ともかくおじいは、ジャンルの選択に少々戸惑った。
マインドは歌謡曲だけど「演歌・歌謡曲」とも、ちと違うな。
おじいは選択肢から「ポップ」を選んだ。「ロック」や「純邦楽」とも違うので、それしか選びようがないと思った。笑ってしまうが、おじいは「ポップアーティスト」なのだ。
それから、「オリジナルリソース日」の選択。
これは、世界に向けて配信する日のことだ。説明書きに、手続きに2週間程度かかるため、それ以降の日にちを設定してほしいようなことが書いてあった。カレンダーが表示されていたので、2週後の土曜日に設定した。
それからあとは「楽曲の追加」という欄しかないので、それを押す。
と、「ここに曲を放り込むのだ」という感じの画面が現れた。
そしてここで、おじいは思わぬ幸運に気がついた。
それは録音の形式について「WAV」が指定されていたからだ。
あの「WAV」だ! 前に書いたが、GarageBandで曲を書き出しする際、AAC MP3 AIFF WAVの中からどれかを選択しなければならなかった。あのとき、わけが分らないままおじいは当てずっぽうで「WAV」を選んだのだ。
もし他のものを選んでいたら、10曲全部書き出しをやり直さなければならなかった。
思い返せばツキに見放されたような人生だった。宴会の余興のビンゴも揃えた事がなく、じゃんけんさえも連戦連敗を続けたおじい。住宅街の交差点でブレーキとアクセルを踏み間違えたおばあさんに愛車をおシャカにされたおじい。会社で出向を命じられた同僚が辞めてしまったために代わりに出向させられたおじい。ここにきて、ほんの少しだけ取り返したような気がした。

曲の「登録」のボタンを押すと、パソコン内に保存された「曲」のリストが表示された。「画像」の時と同じだ。うまく作られている。
おじいはデスクトップから「虹色の魚」を選択した。曲順は前もって決めておいてある。 「虹色の魚」をクリック。
おおおっ!画面にバーが伸びて、ものの2、3秒で曲が吸い込まれていった。 あっという間の出来事だった。これでちゃんと入っているのかな?
あっけなさ過ぎて疑ってしまうが、とりあえず次に進もう。

画面の下部に「試聴開始か所」を選べるような表示があった。
へえ、配信には「視聴」なんてあるのか、と思いつつ「右向き三角マーク」を押してみた。すると今し方入れた歌がパソコンのスピーカーから流れ出した。
ああ、自分の歌だ。自分の声だ、と思った。涙が出るくらいへったくそだ。もしコレが電波に乗ってしまったらどうしようという、怖れに似た感情が湧く。加えてかすかな罪悪感も感じたが、「審査」など通るワケがないという思いに打ち消された。
おじいは2番のサビのところでポイントを止めて、そこを「試聴開始か所」にした。
それから、様々な「曲情報」を入れていく欄が続く。
「曲名」には国内向けと海外向けが求められていた。むげっ、とおじいは小さく叫んだ。「海外向け」のタイトルなど考えてもいなかったからだ。
英語のタイトルを考えなければならないのだ。おじいは学生時代、英語の成績も無残なものだった。(嘘をついて「カセットテープレコーダー」を手に入れたバチだ)
しかしあらためてこれが「世界配信」なのだと思った。
アルバムタイトルなどは最初から「FREEDOM」にしようと思っていたのでそのままで良かった。しかしそのほかの9曲は、全部日本語のタイトルである。おじいはまたしても水で戻す前の寒天みたいな脳みそを絞ることとなった。
そして英訳のサイトに頼りながら考えた。
「虹色の魚」は「Rainbow fish」でいいか。ヘンかな。まあいいや。
「渚のSTORY」は「A story on the shore」としよう。
「あの日ペニーレインで」は困った。直訳では何のことかさっぱり分かるまい。悩んだあげく「At the coffee shop Penny Lane」とした。
これらが、正しい英語なのかどうかはわからない。間違っていたらすべて英訳サイトのせいだ。
おじいはこうして10曲すべてに英語名を付けた。

曲名だけではなく「作曲者」「作詞者」の欄も同様、海外向けが求められた。作詞、作曲者名についてもおじいは何も考えていなかったので、その場で適当に考えた。今から思うと、もうちょっとマシな名前にしておけばよかったと後悔しているが、どのみち誰に知られるということもないので、まあいいや。
あと、オリジナル曲かどうかとか、歌詞の言語とかといった質問欄をどんどん埋めていく。歌詞を入れる四角いワクもあったので、歌詞データをコピーして貼り付けた。
上から下まで全部見直しをしてこれでよし、と1曲目登録完了のボタンを押した。
おじいはこの作業を10曲分、10回繰り返した。

最後に、ダウンロードの販売金額を決める選択肢が出てきた。当然だが、おじいはその「相場」をまったく知らない。プロはいくらで販売しているのか、アマチュアならいくらか、ひやかしとも呼べるド素人ならばいくらが適当なのか、さっぱり分からない。
どうせ聴く人などいないのだ。
おじいは表示されている中から、真ん中あたりの数字を選んでおいた。シングル200円、アルバム1,200円。
あと、もう一度「オリジナルリソース日」の選択が出てきて、これで完了!
完了だ!やった! 大仕事が終わったぞ!
おじいは議事堂の階段を駆け上がったロッキーのように両腕を突き上げて飛び跳ねたい心境だった。
おじいにとってはここが最終のゴール地点だ。
本当はCD製作がゴールだったのだが、かみさんに尻を叩かれて余計に走らされた。そして力を振り絞ってヨタヨタとここに到達した。
1年前ギターを最初につまびいた日から、風に舞い上がった紙くずのようになりゆき任せでここまでたどり着いてしまった。山あり谷ありドロ沼ありのアドベンチャーレースの、ここがゴールだ。
どのみち「審査」で落とされることはわかっている。しかし、やれる事はすべてやった。おじいはこの1年の「たのしい苦闘」を思い返して感慨にふけった。
あとはTOWER CLOUDさんからの不合格通知を待つだけだ。

今年もわが家のデコポンは豊作だ

さっそく「リリース申請完了」のメールが届いた。
中に「申請を受け付けました」との文言があった。文字通り受理はしてくれたようだ。「リリース」という言葉にわずかに引っかかるものがあるものの、それ以上気に留めることはなかった。
しかし、その後はなかなか連絡が来なかった。1週間経っても来ない。さすがに「審査」ともなると時間をかけるのだな、全国から申請が殺到しているのかもしれない。採用会議は週に2回くらいなのだろうか。
などと思っていた矢先にメールが届いた。
「残念ながら」で始まる通知だろうと覚悟つつも、おじいはちょっとドキドキしながらそれを開けた。
はたしてその内容はといえば、「歌詞以外の情報は登録不可のため、全楽曲冒頭のタイトルを削除してください。」というものだった。
要するに、申請内容の不備。「歌詞を登録する部分でタイトルは不要」ということだ。
そうだったのか。おじいは説明を見落としていたのだ。タイトルと歌詞すべてコピーして貼り付けていた。
すまぬすまぬ。おじいは10曲すべて歌詞情報からタイトルを削除し、申請し直した。
すると、その2日後に「配信手続き完了」のメールが送られてきた。
「配信手続きが完了しました」との文言がある。おじいは若干の違和感を感じたものの「配信登録の申請を受け付けました」という意味に解釈した。
おじいの手続きミスのせいで、受付が1週間遅れになった。これでやっと審査対象となり、ようやく「会議」の俎上に乗せられるのだ。
おじいはそれからまた「残念ながらメール」を待ち続けた。1週間、10日、なかなか来ない。まだかな、と思いつつ何気なしにTOWER CLOUDのページを開いてログインしてみた。
あの「悪党づらのアーティスト」の画面が現れた。 ん?
どういうわけだか、あの「海」のアルバムジャケットも画面に表示されていた。しかも、「10月X日配信」とあるではないか。 え?
おじいは何が起きているのか理解できずに思考回路がフリーズした。
そして25分ほどしてようやく、日陰の雪だるまくらいにゆっくりと溶解し始めた。
配信予定していないものを配信予定と告知するはずがない。不合格となって配信を取り消す可能性のあるものを配信予定と公にするはずもない。しかもアルバムタイトルも、ジャケットも、配信する日にちまでも載せているではないか。
これは、どうひっくり返して眺めても、「配信される」としか考えられない。
「ハイシン」?「ハイシン」されるのか?
うそっ、冗談だろ。 いや、「ハイシン」されるのだ。
どんな間違いが起こったのか知らないが、10月X日に配信されるのだ!
まずいことになりはしないかという不安の片隅で、「わるふざけじじい」が
ひっひっひと嗤う声も聞こえた。

実際のところは、「審査」というのは「オーディション審査」などではなかった。
公序良俗に反する作品など、さまざまな規約に反するようなものをチェックする「審査」なのであった。おじいの10曲はクオリティはともかく、電波に乗せても問題ナシと判定されただけだったのだ。
こうしてついに2023年10月某日、おじいのアルバム「FREEDOM」は世界へ向けて配信されることとなった。

この事を伝えると、かみさんは心底びっくりした様子で言った。
「ほんとうにやっちゃったの?」
どうやら、面白半分に「簡単にできるからやってみたら」と言ったらしい。
あの「ノブちゃん」が言ったというのもでたらめだったのだ。
とんだ「背信行為」だ。やってくれたな。
かみさんは「うひゃひゃ、すごいじゃん!」と小躍りした。
このままボケ老人と化してゆくのを慮ったのかもしれないが、おじいはまんまと乗せられて「ものすごくめんどくさいこと」を完遂したのだ。
おじいの配信行為については、TOWER CLOUD(現 Eggs Pass)のスタッフの方を除くと、かみさん以外の全人類が今も知らない。
しかしTOWER CLOUDは申請されたすべての楽曲を聴いてくれているので、かみさんと併せて、最低でも世界で二人はおじいの歌を聴いていることになる。歌の価値からするとその程度が適当だと思った。

おじいの家に咲いたサボテンの花

ちなみに、TOWER CLOUD(現 Eggs Pass)にログインすると、直近1週間に聴かれたおじいの歌のデータがグラフとともに報告されている。

   ダウンロード販売数 0
   ストリーミング回数 ひと桁 

毎週こんなかんじである。当然ながら今までにダウンロードされたことは1度もない。現在までにおじいが稼いだ金額も表示されているが、これもまだ24円にすぎない。
「よく聴かれているリリース」も丁寧に順位を付けて報告してくれている。
いうなれば「おじいヒットチャート」みたいなものだが、これも数値が低すぎてまったく参考にならない。しかし、世界のどこかで、どんな間違いにせよ毎週聴かれていることは間違いない。これは奇跡以外の何ものでもないと思う。(聴いた方にはお気の毒でしたと言うしかないが)
おじいは「FREEDOM」を配信した後も、現在(2024年1月)までに9曲をシングルで配信してしまった。アルバムを含め通算で19曲だ。恥知らずにもほどがある。
しかし、つぎつぎにコリもせず配信申請するおじいを、TOWER CLOUD(現Eggs Pass)の方々はあたたかく見守り、応援してくださっている。(と、勝手に思っている)
ある曲を配信申請したあとになって、「サビ」の部分の音量があまりにもデカ過ぎることに気がついた。「ヤバい、やっちまった!」と思った。しかし、配信されたものを聴いたら普通に聴けた。おかしいな、と思った。ひょっとしたら、これを聴いたスタッフの方が調整してくれたのではないのか、と思っている。(あくまで想像である)
TOWER CLOUD(現 Eggs Pass)のスタッフの方々にはこの場を借りて、ほんとうに感謝を申し上げたい。「いつもじじいの配信申請をあたたかく受け付けてくださってありがとうございます!」
おじいは次に生まれ変わってミュージシャンとなったならば、迷うことなくTOWER CLOUD(現 Eggs Pass)を選び、次こそは「超売れっ子」になってその収益に貢献したいと思っている。(これはもはや宣伝だな)
最初の配信からすでに3ヶ月が過ぎ、新しい年を迎えた。おじいはまだぼちぼちと新しい歌を作り続けている。なぜなら、いまだに「人生の1曲」が出来ていないからだ。おじいがくたばるのが先か、「1曲」が先か。
できることなら「1曲」を三途の川を渡る時の舟歌にしたいものだ。
これからもたたかいがつづく。
 
この記事を最期まで読んでくださった方々に深く感謝いたします。
                             
                            じじい































































 






















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