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松尾芭蕉
前回書き残した芭蕉が亡くなる直前に
通った街道に偶然行ってきた。
しかも彼が亡くなる日の3日前に
正直全くもって意識も計画も
していなかった巡り合わせで
びっくりだが、何となく彼の動きが
見えた様な気がした。
西行法師に憧れ奥の細道を始めた彼が
最期に立ち寄った史跡は
恐らく飛鳥にある檜前大内陵でこちらが10月8日
その翌日に談山神社の嘉吉祭に立ち寄り
大阪へ抜けるために、10月10日に暗峠を抜けた
のではないかと思う。
この想像はあくまでも僕の想像に尽きないが
菊の香に くらがり登る 節句かな
の句が、重陽、暗峠を含む時点で
間違いない。と想っている。
重用の節句は天武忌であり、重陽を奉して
嘉吉祭が行われるからだ◎
この句を詠んだ芭蕉は
10月12日に亡くなったそうだが
随分と満足だっただろう(^^)
なんせわが国を正しく導いた偉人の
史跡を巡って開ける大海を眼下に捉えられた
のだから。
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