スニーカーダンサー 時代を「軽く」生きる強さ

Pen誌5月号「特集:井上陽水が聴きたくて。」を読んだ。陽水の簡単な年表とディスコグラフィー、あとは著名人やゆかりのある人物が陽水の人となりや好きな曲について書いていて、正直どれも大したことは書いてないのだが、唯一タモリだけはさすがのところを見せて、陽水の本質をうがった意見を述べている。

"当時は本当に衝撃でした。それまでの歌というのは、社会性があったじゃないですか。いわゆる誰に対しても通じるようなメッセージであったり、もしくは恋の歌だったり。それなのに、陽水の歌は全然違う。つぶやくような個人的な思いだけを歌にしているじゃないですか"
ー「Pen」誌

これは私もそう思っていた。デビュー以来数十年、つねにその才能を賞賛され続け、商業的にも成功している井上陽水が、そのくせ国民的歌手といった立ち位置に納まることがないのは、大衆に訴えかけるようなことがなく、つねに個人的な事柄だけを問題にし続けている彼の音楽的スタンスによるものであろうし、また、学校や職場に馴染めない私のような人間の心の拠り所になったのも、連帯とか協調とかいったものをまるで必要としていないかのような、彼の飄々とした歌いぶりだった。

ところで最近、今さらながら『存在の耐えられない軽さ』を読む機会があり、それに陽水の音楽とシンクロするものが私の中ではあって、つい筆をとった次第である。

『存在の耐えられない軽さ』の筋をかいつまんで説明すると、

「冷戦時代、社会主義政権下のチェコスロバキア、ある外科医の男トマーシュがテレザという女と恋に落ちるが、男は別にサビナという画家の女とも肉体関係をもっていて、ふたりの関係はぎくしゃくしている。そこへプラハの春事件でソ連軍がなだれこんできて、三人はスイスに亡命する。だが三角関係に耐えられなくなったテレザはプラハに帰ってしまい、トマーシュは逡巡の末、自らもテレザを追ってプラハへ戻る。チェコでトマーシュは当局に反省文を提出することを拒んだために病院から追い出され、窓拭きになる。しかしトマーシュの浮気の癖は治らず、あちこちの女と逢引きを繰り返す。それにテレザは我慢できなくなり、ついにトマーシュに、私といるときはせめてシャワーを浴びて、髪から他の女の匂いを落としてきてほしいと頼む。これにトマーシュは衝撃を受け、すべての都会的なものと縁を切り、ふたりで農村へ引っ込むことにする」

あらすじだけを並べてみると陳腐な恋愛劇だが、実際には小説の分量の半分くらいは作者クンデラ本人の解説、というか独白のようなものが地の文で展開される。この小説の登場人物は「私」(クンデラ)の社会主義時代やプラハの春の時代や亡命後の生活、そのそれぞれを追体験するか、あるいはありえたかもしれないもう一つの体験をし、それぞれのなんらかの結果を出力するために設置されている。どの人物も作者の分身ではあるが、各々が違う背景をもって構成されているために、会話をしながらお互いの使うことばを理解できず、すれ違いながらもお互いに影響を与え、その折り合いの中からあらたな何かが云々、といった調子で、半小説半随想、といったような実験的小説である。

そのなかでクンデラが特に強く主張するのは、「キッチュ(俗悪なもの)」についてである。例えば、これは作中でも触れられているが、西洋画ではイエス・キリストはなぜかいつも白人の美形に描かれている。キリストはアジア生まれのセム系民族だったんだからもっとアジアっぽい顔だったはずだろとか、肖像画も残ってないのになぜ美形とわかるんだ、ブサメンだったかもしれんだろとかいう突っ込みは許されない。余計なことを言うな、そういうものなんだ、これがキッチュである。

"全体主義的なキッチュの帝国では答えはあらかじめ与えられており、いかなる質問も取り除かれている。そのことから、絶対的にキッチュの本当の敵は、質問をする人間である。質問とはその後ろに何がかくされているのかのぞくことができるようにと、描かれた舞台装置のカーテンを切り裂くナイフのようなものである"
ーミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』

クンデラは、共産圏の問題は実質的な社会主義のイデオロギーよりもこのキッチュにあるとみた。作中の人物にもこう叫ばせている。

"「私の敵は共産主義ではなくて、キッチュなの!」"

実際、クンデラが亡命して見た西側世界もキッチュさでは東側と変わらなかった。彼らにとって共産党の人間は全員悪人であり、もちろん全員強面の悪人顔であり、共産党に迫害される人間は全員善人で美形である。亡命した芸術家はもちろん全員自由を愛していて、その作品で自由のために闘っている。亡命者が西側で犯罪でもしようものなら、「ひどい!いいひと達だと思っていたのに」ーなぜ赤の他人をいいひとだと思ったのだろうか?

"キッチュはそれ自身の観点から人間の存在において本質的に受け入れがたいものをすべて除外する。"

なぜこうなのかといえば、それは人生が一度しかないからだろう。人生が何度でもやり直しのきくものであれば、決断を迫られた際にもすべての選択肢を試してみてから、熟慮の末にいちばん良い結果になるものを選べばよい。よってその結論は非常に重いものになる。しかし人生は一度しかない。すべての人間は、人生の無数の選択において、ノーヒントで、しかも別の道を選んだ場合と比べて良かったのか悪かったのかすら知ることもできずに決断を下さねばならなず、自然とその決断は軽いものにならざるを得ない。ならばとひとは考えるだろう、せめて、自分の選び取ったものはよかったものであり、選ばなかったものは悪かったものであり、自分の人生は決断のたびに常に良い方向に前進しているものと思いたい。それがあらゆる宗教やイデオロギーの根源たるキッチュである。

ここで話を陽水に戻すが、タモリのいう、メッセージ性がないという陽水の歌もまた、クンデラと同じく、キッチュを拒絶する生き方のひとつのかたちではないかということである。

なにしろ井上陽水は、安田講堂が陥落したとはいえまだ学生運動の熱気冷めやらず、若者がみんな反戦フォークを歌っていた1969年に、アンドレ・カンドレというわけのわからない芸名で『カンドレ・マンドレ』というこれまたわけのわからない歌でデビューした男である。もちろんこれはまったく売れず、アンドレ・カンドレは地下に潜行するが、その後連合赤軍事件なども起き、新左翼運動がすっかり下火になった1972年、アンドレ・カンドレは芸名を本名の井上陽水に戻し(読みは違うが)、ファーストアルバム『断絶』とシングルカット『人生が二度あれば』『傘がない』で鮮烈な再デビューを果たす。どれも実に意味深なタイトルである。

1968年にプラハの春事件が起き、フランスでもそれとほぼ同時進行でドゴール政権に対する学生の抗議活動、通称五月革命が学生側の敗北に終わり、東側も西側も、世界的に幻滅感が充満しており、政治の季節は終わりつつあった。若者たちはそれまでの反動で政治への興味を急速に失い、日常へと回帰していった。そうした状況下に現れた陽水の『傘がない』は、若者たちの心に大きく訴えるものがあったに違いない。

"都会では 自殺する 若者が 増えている
今朝きた 新聞の 片隅に書いている
だけども 問題は 今日の雨 傘がない"
ー井上陽水『傘がない』

こうして、日本の音楽シーンは政治から日常へ、つまり恋愛やら家庭やらの個人的な事柄をこまごまと歌う、いわゆる四畳半フォークの時代へと移り変わっていった。陽水も基本的にはこの四畳半フォークの代表的歌手とみなされていたし、実際彼のレコードを買って聴いた多くの者もそう思っていただろうが、ただ私としては、陽水は『結婚しようよ』の吉田拓郎や『神田川』のかぐや姫などの四畳半フォーク歌手とは根本的に異なるものであったと思う。陽水本人も「折からのフォークブームでなんとなく浮上した」と語っているが、自分自身がフォークであるとはいっていないのである。

先ほどのキッチュの話に戻ろう。みんなで酒を飲み、輪になって反戦フォークを歌って、自分たちが世界平和の使徒になったかのような幸福感に酔っていた若者たちはたしかにキッチュであったろう。しかし、そんな政治や空理空論ばかりにかかずらっていても何にもならない、それより自分の大切な人を幸せにしたほうがいい、などと言って、家庭や社会への参加が何よりも大切であると歌う四畳半フォークもまた、同じくらいキッチュなのである。幸福な家庭で笑う子供と夫婦、西側でも東側でもこれほどキッチュな図があろうか?要するに人々は、戦前でも戦後でも、キッチュから別のキッチュへと渡り歩いていただけなのである。

それは前述のクンデラの話の通りだが、陽水は始めから一貫して、反戦的キッチュにも四畳半的キッチュにも参加していなかったように思える。

"冷たい雨が 今日は心にしみる
君のこと以外は 考えられなくなる
それは いいことだろ?"

私には、ここの「それはいいことだろ?」がこの曲でもっとも重要だと思われる。ふつう、冷たい雨の中を、傘もないのに君の町まで行ってそれを歌にまでしているのだから、かなり一途な恋愛であって、これは非常に素晴らしいものなんだ、と歌うところだろう。しかし陽水は、「それはいいことだろ?」と、それはいいことなのか全然自信が持てないような言いかたをするのである。ここに私は、人々が熱中している反戦運動であるとか小市民的生活であるとかに無心に参加することが出来ないという、陽水のキッチュとの決定的な「断絶」を見るのである。

クンデラは音楽家の家庭に生まれ、自身も音大卒で、社会主義社会においては人民を指導するインテリゲンツィアであり、実際プラハの春においてはチェコスロバキアを代表する作家として精神的に指導的存在だったらしいので、やはりどことなく彼には、祖国とキッチュを失って、どうしたらいいんだろうという心細さのようなものがある。一方陽水は歯科医志望だったはずが歯科大学の入学試験に三年連続で落第して仕方なく歌手になった人物であるから、インテリや世間のお題目のようなものに始めから懐疑的なところがあり、その歌にも「どうもこうもあるかよ」という、吹っ切れたような力強さがある。陽水には、音楽の力とか、落ち込んでいる人に音楽で元気をあげたいとか、そういう無駄な使命感がまったくない。

"俺は南でも汗をかかず
北の国では雪にもぐりこみ
何か伝えてと望まれても
俺のやりたいことは伝えぬこと"
ー井上陽水『俺の事務所はCAMP』

例の有名な「金属のメタル」の歌詞もそうだが、ふつう、歌や歌詞というものは何かを伝えるためにあると思われているところに、陽水は逆に何も意味のない歌詞を挿入することで、つまり何も伝えないことで、歌では伝えられないものがあるということを伝えようとしているのかもしれない。陽水の歌のあまりのメッセージ性のなさが、逆にそれ以外の歌のメッセージ性をえぐり出し、そのキッチュさを浮かび上がらせているように見える。

注意したいのは、陽水の生き方は、キッチュを否定しようとして「結局この世に信ずるに値するものなど何ひとつない」と冷笑家を気取るのとは違うということである。あらゆるものを証明不可能と主張して相対化する懐疑主義者は古代から存在するが、それはあらゆるものが信じられないといいながらそう判断する自分自身の正しさだけは信じる独善にすぎないし、この独善はむしろキッチュの側に近いものがある。

また、「芸術家は政治を語るべきではない」という日本によくある類の意見とも陽水はまったく相容れない。「芸術家は政治を語るべきではない」ほど政治的な意見はないだろうからだ。しかしその自らの政治性に無理解であればあるほど、冷笑家にしても「政治を語るべきではない」派にしても現在の支配的意見を擁護する立場に無自覚に立たざるを得ない。そういった無政治性の罠から陽水は免れているように見える。実際、陽水は高田渡や忌野清志郎や筑紫哲也といった政治的な人物と交流があり、陽水本人もどちらかというと反体制的な思想を持っているらしいことはなんとなく知れるし、『最後のニュース』のような政治的な歌をつくることもあるが、陽水の強さは、その政治性に寄りかかったり、みずからの行動原理やアイデンティティにしないところにある。

人間は弱さのゆえに、その存在を絶対的に肯定してくれる「キッチュ」にすがって生きる。だからキッチュを否定するためには、たった一度しかない人生、その人生のあらゆる選択を、みずからの責任において、みずからの決断によって選び取らなければならない。クンデラの言うこの「軽い」生き方こそ、現代においてむしろ強さを必要とする生き方のように私には思われる。

現代は混迷の時代であるといわれる。特に日本は、「政治の季節」が終焉した後に党派を超えて邁進した金儲けの夢も破れ、誰もが自身の正当性を絶対的に肯定してくれるキッチュを探し回り、一部では国家主義という一昔前のキッチュにもう一度乗っかろうという動きもみられる。この国は前進している、いや敵どものせいで後退している、この国をもう一度前進させよう(もちろん我々の側の力で)という欲求がネット上にも満ち満ちている。こういう時代に、我々はどう生きてゆけばよいのか。答えのない質問ではある。私にもわからない。しかしわからないときに、そのわからないことを肯定することの強さというものが現代ほど重要な時代もないように思われる。私には、井上陽水の歌からはその強さが感じられるのである。

"問いかけないでおくれ
追いかけないでおくれ
俺は止まってるのでもないし
旅を続けてるのでもない
俺はただのスニーカーダンサー"
ー井上陽水『スニーカーダンサー』

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