大葉の天ぷら

お昼に、駅前にあった蕎麦屋で、舞茸そばを食した。
大ぶりの舞茸の天ぷらに加え、大葉の片面に衣をつけて、サッと揚げたやつが、一枚だけ乗っかっていたのだが、コレがやたらと美味かった。
上手く言えないのだが、食べた瞬間に脳が再起動したというか、なんと言うか…。ミスター味っ子なら、口から龍が出ちゃうし、食檄のソーマなら、着物をおはだけしちゃうし、彦摩呂さんなら…なんかすごく上手い表現が出ちゃう(具体例は思い付かない)くらいに美味しかった気がする。

口に入れて一噛み、二噛み…当たり前だが、一瞬で無くなってしまった。
もう一枚くらい、乗っけてくれても良かろうに…、そう思う反面、あの、ほろ苦さと、ちょっとキツイところもある香りは、繰り返し味わうものでもないような、…いやでも、さほど値の張るものでもないだろうし…。
むむむむむむむ…。
細やかなモヤモヤを抱きつつ、ズルズルっと蕎麦を啜り終えた。

店を出るときに、ちらりと券売機を見た。海老やかき揚げの単品はあれども、大葉はなし。分かってない…分かってないよと、軽く心がざわつきつつも、まぁ、一般的には脇役扱いではあるよな、仕方ないよなぁ…と自分を納得させた。

今の悩みは、次に行く機会があった際に、同じ品を注文するか、である。
大抵、美味しかったに限らず、良い感情を抱いたものの記憶は美化されて、二回目に前回と同じ感覚が再現されるとは限らない、というか、ほぼされない。

揚げる人が違えば、サクサク感が足りないかもしれないし、大葉の仕入先が変わって、パンチが強すぎる仕上がりかもしれない。何より、食通でもない素人の味覚は、一日、一時間、一分、一秒で変わってしまうものだ。
味覚以外の感覚と併せて、持続的に染み込んだ結果の平均値を憶えている母の味とは訳が違う。
一瞬で覚えた感動は、一瞬しか味わえない。というか、一瞬しか味わえないから、感動出来るのかもしれない。

つまらない事をつらつら書いていられるのは、今日が休みだからかもしれない。明日から意味のある事をするために、さてさて、今日の夕飯は何を食べようか…。

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