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僕の知覚世界の紹介

今回の記事ではそもそも何故このアカウントを作成したのか、という様な問いへ主に答えていこうと思う。

登場人物

 ①〜中学1年生の自分 ②中学2,3年生の自分  ③高校1,2年生の自分④高校3年生の自分  

いきなりおや?と思ったかも知れない。さっきと話が違うぞと。登場人物とは何ぞやと。これは僕の中での人格という訳ではない(事実、記憶は全ての時間で共有されていると認識している)。ただ、僕の人生や心理状態、性格の特徴を説明していく上で、非常に好都合な分類法だと感じ、これを導入している。これから書いていく記事の中で実際にこの分類を使っていくこともある故、是非覚えておいて頂きたい。


アカウントの目的と方針

恐らく、何故こんなことを突然(?)しようと思ったのか、と疑問を抱いた方も少なくないだろう。将又、そもそもの目的は何だと。何を企んでいるんだと。以下ではそれを説明していく。

1つ目は自己顕示欲、承認欲、自己満足の為である。これらが大部分と思って頂いても構わないくらいだ。小学生の頃から常に疎外感を覚える人間だった。親にも友人達にも精神的に満たされることは殆どなかった。勿論、彼らにそういった意図があって、共に生活をしてきたとは思っていない。ただ、自分の性格上、そういった感覚が恒常的にあったのは確かであり、それ故に顕示欲、承認欲が高いのであろうと自己分析している。


2つ目は今まで僕を頼ってくれた人々、そして、これから先僕を頼ってくれる可能性のある人々の為である。小学5年生の頃に愛犬のブルドッグが逝き、中学3年生の1学期には階段の手摺を跨いで、自らの命を断つ寸前だった。そして、高校受験直前である中学3年生の師走時には愛犬のフレンチ・ブルドッグが逝った。この様に、人生行く先々で死を目の当たりにしてきた。だからこそ、自分には常に死がまとわりついて、次の瞬間この世にいないかもしれないということを考えて生きてきた。そういった経験の下、僕自身がそうしてきた様に、皆様が自らの人生に壁を感じた時、想い詰まった時、心に傷を負った時の一つの絆創膏として、(これは少し言い過ぎかもしれないが)一つの精神安定剤として、僕の構築してきた哲学を活用して頂く為にこのアカウントを開設したと考えて頂きたい。


3つ目は自らの知覚世界の拡大、縮小の記録の為だ。人生の中で人間は恒常的に成長していかなければならない。そういった点で、自らの哲学観の変革を未来の自分が認識できるようにという意味合いがある。(拡大に対する縮小という言葉を使ったのは視野が狭まることを指す、所謂老害になってしまうというコトを想定していると考えて欲しい)これからまた色々な紆余曲折を経験して新たな理論を構築していくだろう。この過程で自らの知覚世界が良く言えば研ぎ澄まされていく(悪く言えば、前述の様に縮小していってしまうのだが)。こういったことを知覚世界の拡大、縮小と考えて頂きたい。


4つ目は僕の遺書として後世に残していく為である。これは先述の3つの理由とも重なる部分が大きい。理由の2つ目で言及した様に、常に死を意識しながら生きてきた。それ故に自らの死への備えとして(一般的な終活として)、自らの生きた標を遺すという目的でこれからの記事を書いていくのである。


5つ目は読者への問題提起の為である。この記事を読んで読者なりに何か感じ、考えることがあるだろう。称賛したくなるもの、批判したくなるもの、納得できるものからできないものまで色々な感情を抱くであろう。そうして貴方・貴女の感じたものを基に、ただ僕の知覚世界を鵜呑みにせず、己の知覚世界を根問いして頂きたい。そうして自ら考え導き出したものを大切にして頂きたい。貴方、貴女の持った意見、哲学を僕にぶつけて頂いても構わない。ツイートして頂いても構わない。将又、心の中にしまって頂いても構わない。兎にも角にも、自分の子供の様に扱って頂きたい。己の哲学観を成長させるべく、時に厳しく、時に優しく..

これから随時中学2年生の頃から思考してきた事柄を僕自身の歴史と共に語っていく。例えば、「死」だとか、「幸福」だとか、そんなところから始まり、身近なものまで扱っていくつもりであるが、更新は不定期であるので、首を長くしてお待ち頂きたい。


追記)先程も申し上げた通り、これから色々な記事を書いていく予定であり、その中で読者の皆様が僕はこんな人間なんだと思うことがあるでしょう。あくまで、この世界にはこんな知覚世界のカタチもあるのだという前提で読んで頂きたい。また、僕の記事ではクドイくらいに同じ単語を使うだろう。其れは文字通りに捉えることしかできない方(これは揶揄ではなく、実際に先天的、後天的に関わらずその様な人が存在することへの理解である)や前提、即ち哲学や物事の捉え方、言葉の意味の捉え方が全く異なる方への配慮、また自分の性格全てが起因している。

そして、今この記事を書けている、思考哲学ができているのは今迄出逢ってきた人々(現実世界、ネット世界含め)のお陰である。貴方・貴女一人ひとりの存在が僕の骨となり、血となり、髄まで染み込んでいることに敬意を表して...



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