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小説『青春ダブルダッチ』第一章

【はじめに】


 先日(といっても随分と前だが)、ラジオにてバトミントンの起源について話していた。発祥はイギリス。元は「バドルドートアンドシャトルコック」という名前だったらしい。なるほど、お洒落な名前だ。この世にスポーツというものは沢山ある。どこまでがスポーツでという論争はとりあえず置いておいて(武道はスポーツなのか、とかeスポーツを運動と呼ぶべ きかといった問題だ)、スポーツの名前を見ると、なんとなくその競技が見えてくる。

例えば、
「バスケットボール」→「籠玉」 
これはよくわかる。籠に玉を入れるゲーム。
「サッカー」→「蹴玉」 
これも実にわかりやすい。ボールを蹴るスポーツだ。 
では、「ダブルダッチ」→? 

ダブルダッチ、という言葉を初めて聞いた人間もいただろう。おそらくこの言葉を聞いて最 初にスポーツを連想する方は多くないだろう。ここでいきなりどのようなスポーツかバラし てしまっては面白くない。ではダブルダッチを漢字で書くとどうなるか。

「双縄」
「ダブル」という言葉から「双」はわかるかもしれない。では「縄」は一体何を意味するの か。縄の付く言葉。「縄張り」、「沖縄」、「わら縄」、「麦縄」、「しめ縄」、「縄跳 び」.........。 

感のいい人は気がついたかもしれない。そう、ダブルダッチとは簡単に言えば「縄跳び」なのだ。おっと、ここで失望するのはまだ早い。確かに、小学校時代にやった、あの「縄跳び」を思い浮かべて、幼稚だとか、低レベルだとか思う方もいるかもしれない。しかし、ダ ブルダッチは「縄跳び」の常識を超え、その型を大きく破ったエキサイティングなスポーツ だ。詳しく語ってしまうと本編の楽しみがなくなってしまうので、本編を読み、興味を持っ た方はぜひユーチューブやインスタグラムでダブルダッチというスポーツの動画を見て欲し い。きっとダブルダッチの魅力に陶酔することになるだろう。

この世で一番カッコいいス ポーツはダブルダッチだ、と作者である私は断言する。間違いない。あれほどにエキサイ ティングでアクロバティックでドキドキ、ワクワクするスポーツがほかにあるだろうか。

  私はダブルダッチの凄さに日々感嘆しているが、どうもまだ世の中にはこの素晴らしいスポーツの魅力が広まり切っていないようにも思える。当然ダブルダッチを描いた小説も少ない。

  そこで、私の通う高校に存在するダブルダッチ部をモデルに、ダブルダッチの素晴らしさを伝える青春小説を書くことを決心した。これはダブルダッチを描いた青春小説である。
楽しみつつ、ダブルダッチの魅力を知っていただけたら光栄である。

 この小説を執筆するにあたり、取材に協力してくださった松本深志高校ダブルダッチ部 "JOKER"15th,16thの皆様には心から感謝申し上げます。              

桑島直寛


【第一章・生徒会の坊ちゃん】

 
「この世で一番かっこいいスポーツってなんだと思う?」
おれの所属する総務委員会の委員長の二宮さんは唐突にこんなことを聞いてきた。
「バスケに決まってますよ」
「ふーん、そうか。お前バスケ部だったんだよな」
「そうです」
「ポジションなんだっけ?セッターだっけ?」
「それバレーですよ」
「あ、キーパーか?」
「サッカーですよ」
「ターナーだっけ?」
「それは……」
おれは口から言葉が出てこなかった。ターナーはなんのスポーツだったか思い出せない。そもそも記憶にない。おれは戸惑いながらではあるが、自分のポジションを教えた。
「えっと、センターですよ」
「あ、そうだ。それだ」
二宮さんは納得してくれたようだった。
「じゃあ二宮さんはこの世で一番かっこいいスポーツはなんだと思うんですか?」
「そりゃ、僕はダブルダッチだと思うね」
「ん?」
おれは聞きなれない単語に再び戸惑った。今日だけで二つも知らないワードが出てきた。考えてみるけれど、一向に考えが浮かばない。
「あの二宮さん」
「お、どうした」
「そのダブルなんとかってなんですかね」
「あー、ダブルダッチね。ダブルダッチ知らないの?」
おれは首を横に振った。
「ダブルダッチは……」
こう言いかけた絶妙なタイミングで二宮さんのスマホが鳴った。耳をそばだててみると、どうも顧問のカフカ先生からのようだった。二宮さんは三分ほど電話をしてから、用事ができたとおれに行って委員会室を出て行ってしまった。また何か厄介ごとが起きたのだろう。
   おれの所属する総務委員会では事件ばかり起こる。この前の放課後、委員会の仕事をしていたら委員会室で爆発が起こった。何があったのかと聞いたら、総務委員会のコーヒー係、ナギサが小麦粉を撒き散らして、そこに火の気があったから間違えて粉塵爆発を起こしたそうだった。幸いにもけが人はいなかった。あと一歩で大惨事になるところだった。ナギサになんでこんなことしたのかと責めたら、委員長にクッキーを作ろうとしたらしい。クッキーが爆弾になるなんて、思いもよらなかっただろう。
   総務委員会ではこんな風にトラブルばかり起こる。この前も水野先輩が腹痛を起こしたことがあった。
   水野先輩はハーブティー先輩と呼ばれている。金持ちで、いつも外国産の紅茶を学校に淹れてくる。このあだ名は別の先輩が水野先輩につけた。
 先輩が腹を下したその日も、ハーブティーを持ってきていた。
「どこのハーブティーですか?」
「これね、インドのベルリン」
「ドイツですよね」
「そうそう、ドイツのウラジオストクで取れたの」
ハーブティー先輩は地理がよくわかってない。この通りドイツとロシアの区別もつかないらしい。ウラジオストクでお茶が育つもんか。蕎麦くらいしか育たんだろう。全く無茶苦茶な人である。多分この様子じゃワシントンは中国にあるとかロンドンはシンガポールにあるなんて言うレベルだろう。
   その日ハーブティー先輩の持ってきていたお茶は蛍光色の紫色をしていた。毒じゃないかと聞いたら、元はバタフライピーのお茶なので青いのだと言った。そこにレモンを入れると化学反応を起こして紫になるらしいが、どう見ても毒にしか見えない。先輩はやれオーガニックだのナチュラルだのカタカナ語を並べて体にいいと言うが、蛍光色の飲み物が体にいいものか。先輩はあまりにうまそうにそれを飲むもんだから、大丈夫かと思ったら、なんとその日の放課後に救急車が学校に来た。ハーブティー先輩が搬送されたのだ。やっぱりあれは毒だったんだ、と思ったが、どうも違うらしい。ハーブティー先輩は寝不足からめまいを起こして倒れたらしい。でも、一部の生徒は未だにあの毒々しいハーブティーのせいで倒れたと思い込んでいる。
  まだおかしなエピソードはある。総務委員会の顧問の先生であるカフカ先生は本好きとして知られている。そのおかげで、生徒に本を紹介してくれる。難しい本ばかりだ。やれゲーテだのドストエフスキーだの横文字の作家ばかりで、おれは名前を聞いただけで気が滅入ってしまう。先生はドイツ文学を大学で専攻していたらしい。特に「フランツ・カフカ」とかいう作家の本が好きらしい。聞いたところによるとチェコ生まれのドイツの作家らしい。おれには文学などよくわからん。ただ、このせいでこの先生のあだ名はカフカ先生である。本名は全然違う。今でも忘れないのがカフカの『変身』という作品である。カフカ先生は現代文担当の教師だが、授業でこの『変身』を紹介してくれた。
   カフカの『変身』は実に変てこりんな内容だと思った。話のあらすじはなんとなくしか覚えていないが、主人公は朝起きたら虫に変身してしまう話だそうだ。突然虫に変身するなんて、なんとも気持ちが悪くて不条理な話だと思ったが、先生はカフカの『変身』が好きらしい。
「カフカはいいですねぇ、『審判』、『アメリカ』、『城』。みんな未完成ですが面白い名作ばかりです」
おれは普段活字の本なんて読まないからこんな話を聞いてもよくわからない。ただ『変身』だけは少しだけ読んだ。別におれから読もうなんて思ったわけではない。カフカ先生がこれくらい読まないと恥ずかしいですよ、教養ですよというもんだから、読んでやった。無教養ほど恥ずかしいものはない。『変身』を勧められた時もカフカ先生に半分からかわれたような気がしたから読んでやった。ただ読んでも全くわからなかった。おれは生まれつきの本嫌いだ。十六年の人生でまともに読んだ記憶のあるのは夏目漱石の『坊ちゃん』くらいしか思いつかない。あれはおれにでも読めた。名作だ。おれが読めない名作もあるが、あれは誰でも楽しめる。カフカ先生はたいへん難しい本ばかり読む。先生という生き物も大変だ。あんな本を読まないと国語の教員が務まらないなら、おれは生涯教員という職には就けないと思った。
   カフカの『変身』の話に戻るが、よくわからないことが一つあった。主人公の男が朝起きたら虫に変身していたのはわかるが、本のどこを読んでもなんの虫なのかわかない。生徒会の仲間になにかと聞いてみたら、みんな違う答えを返してきた。カマキリ、ムカデ、クモ、G。イモムシというやつもいたが、一番驚いたのはサソリだ。朝起きたら毒針の虫になっていたらそれは驚くだろうとおれは納得した。だからあの話はサソリに変身するのだと思っていた。そう思うと愉快だった。
   しかし、おれがサソリという結論を出した次の日、このことをカフカ先生に言ったら先生にヨーロッパにサソリはいないから、カフカがサソリを書いたはずないと言った。少々がっかりした。じゃあなんの虫かと尋ねたらカフカ先生はたいそう悩んだ。数十秒ほど悩んだ後、「サソリ」と言ったので、ほうら見ろサソリでしょうと言ったら、「違う、足元」と言ったので足元をみたら本当に真っ黒なサソリがいた。おれは驚いて大声あげながら飛び跳ねた。生物部のペットが逃げ出したらしい。悪趣味な部活だ。飼うならもっと可愛いものを飼えと言いたくなった。お陰でカフカ先生にも笑われた。あれ以来サソリが怖くなった。
   総務委員会はこんなことばかりである。週に一度はおれの周りで大小さまざまな事件が起こる。
   ところで総務委員会、と聞いてもピンとこないかもしれない。おれも最初は何をする委員会かわからなかった。聞いたところによると、要するに各部活と生徒会の折衝をつける委員会らしい。また、生徒会の便利屋である。雑務はみんな総務委員会に回ってくる。「総務」なんて実に便利で都合のいい名前だ。他の委員会がめんどくさがる仕事はみんなこちらに回ってくる。そのせいで、数ある委員会の中では一番不人気である。理由は単純。仕事がキツいうえ、つまらないからだ。お陰で仕事は一番多いのに、委員は一番少ないのである。こればかりはどうしようもない。いる人でやるしかない。部活動と生徒会の折り合いをつけるのがそんなに難しいことかと言われたら、なかなか骨が折れる。予算以外の全ての部活に関することをこの委員会は裁くが、各部活はわがままだし、酷いのになるとクレームの雨嵐である。この委員会で精神を病むのもいる。だからよほどの物好きか嫌々やっているやつしかこの委員会にはいない。そのせいかわからないが、総務委員会はなかなかの個性派揃いである。
   ハーブティー先輩や顧問のカフカ先生もそうだが、おれと仲がいい五十嵐誠こと会津先輩。これがなかなか面白い。この人は自称プロネーマーである。人にあだ名をつけるのが好きらしい。おれはこの会津先輩に「坊ちゃん」というあだ名をつけれらた。特段深い理由があるわけでもない。会津先輩はカフカ先生の影響でたくさん本を読んだ。メガネをかけていて、いかにも本の虫だった。当然カフカも読んでるのだろう。
   会津先輩と本の話になった。総務委員会になって二日目の話だ。おれは大いに戸惑った。先輩は横文字の作家の名前ばかり挙げやがった。もはや暗号である。おれは話についていけない。だから適当に頷いていたら突然おれの好きな本を教えろと言われた。おれは答えに困った。仕方がないから『坊ちゃん』と答えた。生涯で唯一読んだ本である。そしたら会津先輩は「ふうん、お前はじゃあ『坊ちゃん』だな」と言った。それ以来みんなおれのことを「坊ちゃん」と呼ぶのである。ちゃんとした名前はある。おれには与田良太郎と言う立派な名前がある。『坊ちゃん』の作中に坊ちゃん本人の名前は出てこない。ひょっとすると『坊ちゃん』の名前はおれと同じ与田良太郎かもしれない。そんなことを考えるとワクワクする。
   おれが『坊ちゃん』を読めたのは、坊ちゃんとおれの共通点が多かったからなのかもしれない。
   おれの家の祖母の名前は「清子」である。これが坊ちゃんの登場人物の「清」と大変にそっくりなのである。また、おれの親父はおれのことをちっとも可愛がってくれなかった。もっとも、それは親父がおれが嫌いなのではない。市役所のお偉いさんの父だから、中々家に帰らない。兄もいた。これも『坊ちゃん』のとおり、色白で腹立たしいことに中々の色男なのである。兄とは基本的に仲が良かったが、将棋を一回指したときに、卑怯な持ち駒をされたので眉間に飛車を叩きつけてやったことがあった。これも思い返せば『坊ちゃん』そのものである。
   坊ちゃんは親譲りの無鉄砲だと言っているが、おれも無鉄砲なところがある。中学生の時、部活動は何にしようかと迷っていたら、たまたまバスケ部に一番に誘われたので、そのまま入部してしまった。これがいけなかった。バスケ部と威張るくらいなのだから、それなりの部なのだろうと思っていたら、先輩は六人しかおらず、おれが入らないと三年生引退後に試合ができないような有様だった。だから、バスケの素人だったおれも御構い無しに試合に出された。酷かった。おれにはバスケをやる才能はなかった。シュートは入らない、ドリブルもできない、走れない。ないないの三拍子揃っていたわけである。四人で戦うのと何も変わらなかった。
   それでも三年間、ほとんど休むことなくフルで試合に出続けた。楽ではなかった。忘れ物もよくした。
   ある時はユニフォームを忘れた。ここのところずっと試合に出っぱなしだったから、今日は休めると思っていたら、コーチが予備を持ってきてしまっていた。だから試合に出さされた。「くそっ」と言おうと思ったがぐっと堪えた。そうしたら飲み込んだものが別の場面で出てきた。試合中、仲間がシュートを決めた時に、「よしっ」と言おうとしたら、先ほど飲み込んだ「くそっ」と思わず言ってしまった。随分と笑われた。
   またある時はバッシュを忘れた。この時もコーチが靴を貸してくれると言ってくれたが、サイズが二センチも大きい上、とても臭そうだった。あれでは試合中に匂いで倒れてしまうと思い、裸足で出るかどうか迷っていたら、カバンの底にプールサイドで履くビーチサンダルが出てきたので、裸足よりはマシかと思ってこれを履いて出たら開始三分で退場させられた。それからというもの、おれの県のバスケの試合のマニュアルに「試合にビーチサンダルで出てはいけない」とはっきり掲載されたらしい。おれのせいではない。おそらくおれ以外にもビーチサンダルでコートに立ったバカがいたのだろう。こんなことばかりであった。
   思えばこれはみんな無鉄砲からきた失敗だった。もっといろんな部活を見てくれば良かったと今更になって思う。おれの年はバトミントン部に女子が多く入ったから、そちらでも良かったと未だに少しだけ後悔している。
   やめようと思ったことがない、と言ったら嘘をつくことになる。むしろいつやめようかと思っていたが、やめても他にあてはない。無鉄砲であったとはいえ、どうせ入ってしまったのだから三年間一生懸命やってやろうと思ってやっていたら、人並みには上達した。人数は多くなかったが、県の八位にまで行くこともできた。これでバスケとはお別れだと思った。
   しかし、三年の秋頃に中学の校長から地元の私立から推薦が来ているから受けるかと言われた。はて、推薦をもらうような立派なことをした覚えはないと言ったら、バスケで活躍したから来て欲しいとのことだ。他に行きたい高校があったわけでもない。成績も中の下くらいだったので、推薦が受かればそれなりの偏差値のところに行けるだろうと思って、軽い気持ちで受けたら受かってしまった。それがおれが今通う高校というわけだ。県内でも有数のマンモス校で、生徒は全校で千二〇〇人を超える。なんでも戦前は旧制中学校だったらしく、一五〇年近くの伝統があるらしい。校舎には第一校舎と第二、第三校舎とあるのだが、第一校舎は赤レンガ造りで、東京大学を模して作られたという。もっとも、この学校から東大に行く人間は滅多に出ないが、まあ真似るのは自由だ。おれが校舎にいちゃもんつけてもどうにでもならん。好きなように建っているがいい。
   それで、入学したはいいが、やはり推薦で来るような奴のレベルは違った。おれの付け焼き刃のバスケでは敵うはずもなく、入って一ヶ月経ったときに足を怪我してあっさりと辞めてしまった。推薦で来たのに申し訳なく思った。
何もやらないよりは何かやった方がいいかと思い、やることを探していたら「総務委員会、委員募集」と教室に貼ってあったので、早速総務委員会の委員長に申し出た。総務委員会を自ら志願するなんて変わってるな、と二宮さんには笑われた。変わっていようがおれの勝手ですと言ったらこれまた笑われた。
   総務委員会は忙しかった。バスケ部ほどではなかったが、人付きあいと書類作成が面倒で仕方なかった。あとで聞いた話だが、生徒会の中でも一番過酷な委員会らしい。委員会が部活よりも忙しいことはないが、思えばこれも生来の無鉄砲がたたった。
   おれはとりあえず目の前のことに一生懸命に取り組んだ。そしたらどうだろう。もともと人が少ない上にやる気のないのばかりの委員会だから、一年生の中の総務委員会の統括係になっていた。この二ヶ月で大変な出世をした。お陰でもっと忙しくなってしまった。生徒会なんて中学の頃はやってこなかった。案外大変なものなのだと、今更になって気がついた。
   総務委員会としての日々は退屈では無かった。仕事はいくらでもある。愉快な先輩や仲間もいる。ただ、なんとなく物足りなかった。うまく言葉にできないが、心から熱く慣れることがなかった。バスケ部の時は大変だった。苦しかった。いつも辞めたいと思っていた。でも、どこか充足してた。胸にいつも炎が燃えていた。それが今はどうだろう。まるで味のしないガムを噛み続けているような気分である。
   バスケ部を辞める時、未練は何もなかった。むしろ、やっと解放された気分だった。中学一年生の夏から三年間、休む間も無くボールをつき、空にある籠にボールを投げ、相手とぶつかり合って、怪我して、苦しい思いもして、悔しい思いもして、散々な目に遭ってきたバスケととうとう別れることができた、それは喜びであった。でも、今おれの中にあるのは不思議とバスケで味わってきた試合の緊張感と、闘いの時に不思議と燃え盛る感情と闘志への恋しさだった。一緒にいるときはうざっだるく感じた彼女が、別れて数ヶ月したら恋しくなるような、そんな感じだ。
   会津先輩は委員会室でコーヒーを飲みながら読書にふけっていた。薄い文庫本だ。面白そうな題名じゃない。
 おれは会津先輩と仲がよかった。よく悩みがあると相談した。今日も総務委員会は退屈だと愚痴をこぼしたら、なんだかしどろもどろな返答をされた。
「まあ、人間万事塞翁が馬って言うし、気楽に生きろ」
「先輩は気楽過ぎやしませんか」
会津先輩は赤点の常習犯である。授業もよくサボる。昨年は単位が足りなくて留年しかけたらしい。しかも、本人は全然反省していない。また同じように真っ赤な答案用紙をたくさん手に入れてはカバンの中でくしゃくしゃにしている。
「人生って楽に生きればいいんだよ」
「留年だけはやめてください。会津先輩と一緒の学年で学ぶなんて嫌です」
「いいじゃんか、お前らの学年の可愛い子とイチャつけるやん」
「女友達なんていないでしょ、先輩」
「最近の後輩は辛辣だなぁ〜もう」
こんな調子である。ここまで楽観的に生きれたら、どんな劣悪な環境でも楽園だと思うのだろう。楽観的すぎてむしろ羨ましくなる。
   人生の道という言葉をよく聞くが、本当にそんなものがあるとしたら、おれは道に迷ってしまった。地図があるわけでもなし。目の前は真っ暗闇である。総務委員会に入って、早くも二ヶ月が経過した。もうすぐ夏休みだ。早い。今のおれは空っぽだ。秋の学園祭まで、同じように空っぽなのだろうか。
不意に、一つため息を漏らした。気がつけばもう日が暮れている。
「お先に失礼します」
おれが委員会室を出ると会津先輩は手を振ってくれた。その日はなぜかおれが見えなくなるまで手を振ってくれた。やはり会津先輩は変だと思った。
(続く)

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