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客席からのアドバイス

《2007/9/23》

 何かを表現し楽しんでもらうというのが演奏家の仕事で、そこに「入場料」が発生する以上、そこに評価や批判は常につきまといます。

 そもそも人間の好き嫌いから成り立ち、万人の認める演奏というものが存在し得ない「音楽」を生業にした時点で、誰かしらから必ず「批判される」事を容認したようなもの。どんな偉大な演奏家でも必ず批判されますし、だいたい人間というヤツは、何かを評したり非難する事が大好きな生き物ですから。

 身銭を切って演奏会場に足を運んでいただく聴衆から批判されればもちろんそれは反省材料となりますし、ある種のアドバイスとして受け入れる事も出来ます。

 私は数年前、ある演奏会で聴衆から受けた批判によって、聴衆は演奏会を「聴きに来ている」だけではない、その目で「見る」事によっても楽しんでいるのだと改めて再認識する事が出来ました。
あれは数年前、サントリーホールで行われた東京のオーケストラの定期演奏会でのこと。

 ドイツで活躍する指揮者が選んだ曲目はベートーヴェンの交響曲第1・3番。

 中でも後半、メインの交響曲第3番は各楽章オーディションの課題になるような難所が散りばめられており、技術と集中力を必要とします。

 そんな演奏会、私はいつものように前半の交響曲第1番を弾き終えて楽屋に戻り、メンバーと談笑。気持ちをリフレッシュして後半開演5分ほど前に舞台上手袖にスタンバイしました。

 そこへやってきたのは事務局スタッフ。彼は深刻な表情でこう言ったのです。

 「鷲見さん、大変申し訳ないんですが、後半は足を下ろして弾いてもらえませんか」

 何の事かお分かりにならないでしょうから解説しましょう。

 通常オーケストラのコントラバス奏者は演奏会中「バス椅子」という特殊な椅子に腰掛けて演奏しています。よくバーカウンターにある丸い椅子を思い浮かべていただければ良いかと思いますが、あれに軽くお尻を乗せた状態で演奏するのです。

 さらにバス椅子の左側には、開演前や休憩の間に楽器を置く為の椅子もあります。床に置いては危険ですし見栄えも良くないですからね。

 私は演奏中、その楽器を置く為の椅子に左足を乗せる事で楽器の安定を図るのですが、サントリーホールはステージ後ろにも席がある為、どうやら前半終了後、一部聴衆から「あれはマナーとして如何なものか」と事務局に苦情が寄せられたのでした。

 しかし、足を乗せるのは私が程良い緊張感と身体のバランスを保つため苦心の末に編み出したスタイルであり、私だけではなく有名なオーケストラにも同じスタイルの奏者はいます。

 さて、ここでそのやり取りを聞いていたコントラバスセクションの皆さんが事務局に反論してくれました。

 「そんなの無視して構わないよ、君のスタイルを崩して演奏に影響が出たらその人以外のお客様全体に申し訳ない」
 「その人は演奏を『聴き』に来たんじゃないのかな?」

 こういった意見は有難かったのですが、私もフリーの奏者でしたしエキストラとして呼んでいただいている立場でオーケストラにご迷惑をおかけする訳にはいかないと判断し、後半は足を下ろして演奏する事を承諾しました。

 結果はというと、久しぶりの両足を下ろすスタイルですっかりバランスを失い、クレームにより集中力を乱され、後半の演奏はそりゃ酷いものでした。本来プロならばここでしっかり演奏しなければならないんでしょうけれど、演奏中私の心の中は怒りと悲しみでいっぱいだったものです。

 結局帰り道複雑な思いで帰途についた私は、当時毎日書いていたブログにこの事を記しました。

 すると、数日の間に業界に話が知れ渡ったのか、実に多くのコントラバス奏者の方々から電話やメールで意見を頂きました。

 基本的には「自分のスタイルを貫け」というものがほとんどでしたが、「お前が一流で有名な奏者ならそんな事言われないんだよ、頑張って見返してやんな」という耳が痛くもありがたい励ましや、「楽器屋さんに相談して、足を乗せる台を開発してもらってはどうか」といった批判に対して前向きな意見もありました。

 数日経ち、冷静になって考えてみると、確かにクラシックの演奏会の聴衆は、それが良きにしろ悪しきにしろ、演奏の出来栄えだけではなく、会場の上品な雰囲気や演奏者の気品ある佇まいを求めて来場する人も多いに違いない、そんな人から見たら椅子に足を直接乗せる事は下品でマナー違反に見える事もあるのだろうという心境に達しました。

 ただ、長年続けてきたスタイルを崩すのは容易ではなく、結局足は今まで通り乗せるものの、椅子にタオルを敷く事であえてマナーを意識している事をアピールするか、または演奏前に左足だけ靴を脱いで椅子に乗せる事にしたのでした。

 この体験によって、改めて演奏会は聴衆の為に開催されているのであり、聴衆の目線で物を考える事の大切さを学んだものでした。

 でもね、少~しだけ本音言っちゃえば、雑誌やネットで演奏会の批評とかたまに見かけるんですけど、勝手なもんですよねえ。正直本音を言えば「誰だお前」とか「うるせえなこの野郎」と感じる事もあります。こっちだって人間ですから。自分が立ってもいないステージを言葉で批評や批判するのは簡単なんです。個人的には、感想は帰宅して自分のノートに書いておきゃいい。偉そうな批評を書いて「クラシックに精通してる俺凄いだろう」みたいな投稿をする人の自己顕示欲って理解に苦しみますね。
 このご時世、不満があるならSNSを通じて本人に言えばいいじゃねえかとも思うのです。連絡先が分からなきゃ事務局に伝えればいい。事務局からしたら甚だ迷惑な話だとも思いますが 笑 もし顔を突き合わせて文句言えるなら楽屋口で待っていて直接本人に言えば良いじゃないですか。そんな度胸無いだろうけど。 

 インターネットの普及で簡単に演奏会の感想を書ける時代になり、演奏者自身が賞賛や批判を目の当たりにする機会が増えた事は、演奏者に反省を促す意味では良いのかもしれませんが、近年はあまりに簡単に文字に出来てしまうあまり、演奏者に対するリスペクトの気持ちが薄れているような風潮を感じます。しかも大多数は匿名で自分の名前も立場も明かさず偉そうな文章で批評してたりする。そりゃ演奏家だって腹立たしい気持ちになりますよね。

 今一度、ステージにいる人々は「選ばれた特殊技術と才能の持ち主たち」だという認識を持ってもらいたいと思うんですよね。
 そしてもちろん演奏者も、自らが選ばれた人間であるという自覚を持ち、それに見合った努力と活動をしていかねばならないのです。その努力を怠った時には、「批判」される事をしっかりと受け止めながら。

 こうして演奏者と聴衆が互いに尊重しあえれば、さらに一つ高い次元の音楽を楽しめるのではないでしょうか。

2007/09/23 コラムサイト「Junkstage」より

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