小説2.0がきてたみたい

 先日、森瀬 繚さん(twitter : @Molice)という方からDMで質問をいただき、それについていろいろ考えているうちに「これが小説2.0みたいなものなのだ。黒船はもう浦賀沖にきていたのだ」と思ったので書いておきます。

 こちらが質問。質問の内容を公開することについては了承をいただいています。


 質問は単純に、昔書いた小説において危険を冒し地下に潜る職業のことを「探索者」と表現したのはなぜか? というもので、回答自体はもう書いていることだけ、特に面白いこともないのですが、このやりとりが私にとっては予想外の驚きだったんです。それは
「え? 言葉の選択に他の作品の影響がはいることってある?」
 というものです。
 作中の言葉の選択というものは大きく分けて二つあると思います。一つは「作中の登場人物が口にしない、地の文で状況説明するためだけに使われる言葉」と「作中登場人物が口にし、作品内で共有される言葉」です。前者であれば著者が決めることであり、想定読者の理解しやすい言葉づかいを選ぶというのは大きな動機です。が、後者であれば、作中の登場人物が納得したうえで発言しなければなりません。そこにはかならず言葉を選択した背景があるわけです。つまり「探索者」という登場人物が共有している単語について「この語源はクトゥルフ神話TRPGからとったのでは?」という疑問が発生すること自体が巨大な衝撃なのでした。
 回答した後の返信でも、「作中の組織が理由あって選択したという位置づけの言葉であっても、なお著者の嗜好が影響しうる」という認識のようです。もうびっくりですよ。なんというか、文化が違う!

 ただこれ、森瀬さんと私の個人の文化が違うのではなく、もう小説を書くという行為の前提が変わっているのだ、小説2.0とでもいうべきパラダイムシフトが実は起きており、それに私が対応できていないだけなのだ、という結論になったんですね。
 中身まで読んだことがないのですが、私が見かけるネット広告に出てくる漫画でこういうものを見かけるようになりました。
「目立たなかった俺がLv99でほにゃらら」
「俺神官だけど即死系呪文でなんちゃらかんちゃら」
 その人物の特徴である技術の質、修練、能力といった表現をレベルやスキルといったゲーム用語を使うことによって説明してしまっている。これは私にとってはとても気持ちの悪いことです。そこを文章で説明するために頭悩ますことこそが楽しいんじゃないの?

 コンピュータRPGというものは、テーブルトークRPGをマスターなしで再現するために生み出された形態であると思っています。そして古いテーブルトークRPGであるダンジョンズ&ドラゴンズはJ.R.R.トールキンの『指輪物語』の世界を追体験するために生み出されたゲームであるという話をどこかで読みました。真偽はさておき小説では文章によって活写されていたレゴラスの弓勢やガンダルフの奇跡を小説家ならざる身で追体験するために「職業」「スキル」「レベル」などのルールという「枠」が生まれたのです。
「枠」という表現が示すように自由な描写による広がりを捨てることによって、プレイヤーたちは小説のような活躍ができるようになる。
 その流れに違和感がなかった私にとって、ゲームのために作られた「枠」であるゲーム用語をもって小説や漫画の描写に使用するというのはなんというか、こう、なまけ、いや、効率的過ぎるなきみ、頭が良すぎないかい! となるのでした。
 でも、ゲームという既存の文化の共通言語である「職業」「スキル」「レベル」といったものをパッケージとして自分の作品に使い、読者との共通理解を構築してしまうという手法はとてもメリットが大きいんでしょうね、と思います。私の本業であるIT屋さんに引きつければそう考えるしかない。

 ずーっと昔に私がプログラマーをやった頃は、Webサーバー側でどういうHTMLをつくりあげて、それをどんな技術で送信するか、というところまですべて自分たちで作ってホームページにしていましたが、今は誰もそんなことはしていません。大事なのはデザインやデータであって、それを実現するための技術を一から作る必要はないのです。Webサイトを作るための基本的な技術要素はパッケージ化されていて、どれを使うか選定してデザインとデータを仕込めば美しいサイトが出来上がります。
 小説も多分そうなのでしょう。できることは職業とスキルで表し、グラデーションはレベルという数値で表す。そうした方が書く側も受け取る側も明らかに楽なんですから。大事なのは出来事やそれによる人の変化を描くことであり、すでに一般教養となったゲームや作品があるのであれば、そのパッケージを利用しない方が非効率であると。小説2.0とでもいうべきパラダイムシフトはもうやってきていたんだなあと。
 そして、パラダイムシフトをきちんと体験体得されている森瀬さんにとって、もう「著者がクトゥルフTRPGのプレイヤーであれば、作中で探索者という用語を使う」というのは自然なことなのでしょうし、今の読者さんにとってはレベルやスキルというゲーム用語で登場人物を描写することもきっと自然なことなのでしょう。
 寂しいけどまあ、確かにその方が効率的だ。へたな描写でわかりにくい強さを語られるより、Lv99の方がいいよね。いいか? 
 いいよ。よくわかったのですが、もうこの先俺が何を書いても時代遅れにしかならないな? ってことでしたね。すとんと得心しました。うん。すっきりした。これで完全に人に読ませるための小説というものからは足抜けできるね。まあ自分が楽しいと思うものだけを書いていきます。


あとはおまけ。
『和風Wizardry純情派』は「はてなダイアリーは多視点の物語をつづるのに最適なフォーマットである」という仮説を検証するために書きました。
下のは「なぜドラクエの王様は期待しているはずの勇者に50ゴールドしか渡さないのか?」に対する自分なりの答えを示すために書いたものです。Kindle Unlimitedに入っていたら無料で読めるのでぜひどうぞ。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0B3468CRB?ref_=dbs_p_mng_rwt_ser_shvlr&storeType=ebooks


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