『例外の挑戦 カール・シュミットの政治思想 1921ー1936』/ジョージ・シュワーブ(服部平治ら訳)

主題…公法学者カール・シュミットの理論は、時として極右・極左の双方から引用されるため、近寄りがたいものとして認識されている。しかしシュミットは、当時のヴァイマールの戦争状態や議会状況、人間の弱さと冷静に向き合った学者でもあったと言われている。シュミットの思想が形成されるまでの経緯や背景を辿り、彼の理論を考察する。

序章ではカール・シュミットの生い立ちと思想が形成される経緯、また彼の思想に影響を与えたものについて論じられている。
カール・シュミットの思想の核となる概念として「独裁」や「例外状態」などがあるが、こうした概念の由来は、シュミット自身の服務の経験にあるのだという。シュミットはミュンヘンの総司令部戦時局で服務するうちに、目の当たりにした戦争状態から「独裁」や「例外状態」の関連に興味を抱き始めたとされている。
またシュミットはカトリック出身であり、カトリック教会に大いに敬意を示していたことが知られている。のちのシュミットの思想と部分的に矛盾が生じているという指摘もなされているが、シュミットの思想はカトリックから少なからず影響を受けているのだという。とりわけ反革命哲学を展開したカトリックの理論家は、シュミットが想定する人間観に影響を及ぼしたとされている。シュワーブ氏によれば、シュミットは反革命哲学者たちから「人間の本性における弱さ」に対する視点を受け継いだのだという。シュミットは人間に対して性悪さや脆弱さを念頭に置いており、その態度の根底には反革命哲学者からの影響があるとシュワーブ氏は考察している。
また、シュミットはルソーの一般意志論、へーゲルの歴史過程における認識から強い影響を受けており、シュミットの「友と敵の区別」に関わる理論はルソーやヘーゲルの思想の影響下にあるのだという。

1章ではシュミットの「独裁」に関わる研究の解説がなされている。
シュミットはヴァイマール体制が危機的状態にあったとされる1920年代に、「独裁」の本質に関わる研究を行った。そこでシュミットは「独裁」の本質の提示と、その「独裁」の検討に基づいたヴァイマール憲法48条における大統領の権限について論を展開した。
その中でもシュミットの思想で重要なのが、シュミットが「独裁」を2つにわけて論じたという点にあるとされている。シュミットはジャン・ボダンの主権に関わる議論を踏まえ、独裁を「委任的独裁」と「主権的独裁」に区別した。その上でシュミットは、より「独裁」としての本質を備えたのが「委任的独裁」として位置付けている。シュミットによれば、「独裁」はただ絶対的・永続的な権力に基づいた支配を指すのではなく、「独裁」が発生した時間的関係性やその目的と憲法秩序との関係性から判断されるものなのだという。そして、シュミットは「委任的独裁」とは独裁者の任命が必要となる例外的な事態において、主権者により任命された「委任的独裁者」が任務の遂行のために憲法及び法律を停止・侵害することをも許される状態を指すものとしている。
そしてシュミットはヴァイマル体制下の大統領の役割を「委任的独裁」として位置付けることで、危機的状況における大統領の権限を明確化したのである。

2章ではシュミットの「主権」をめぐる論争について解説がなされている。
シュミットは「主権者とは、例外状態にかんして決定を下すものをいう」と述べ、主権者を「例外状態」の決断を下し、宣言を行うものとして定義した。
この定義からシュミットは「主権」と「決断」を併せて論じたといえるが、シュミットはこの定義を提唱するにあたり、ケルゼンらの「規範主義」を論駁相手としている。ケルゼンは法の本質を規範と認識し、憲法理論も規範を対象とするものとして論じるが、シュミットは「規範主義」の論者は「例外状態を処理するすべを知らない」として批判を加えている。 すなわちシュミットは、規範論者たちは規範の外部に存在する「例外状態」の問題を潜在的に回避しているため、「主権」の本質を捉え損ねていると主張したのである。
またシュミットは「主権」に関わる国家観をめぐりラスキらの「多元的国家観」にも批判を加えている。シュミットにとって「決断」を行う国家は「政治的統一体」「政治的実在」なのであり、国家は一元的であると一貫して主張した。そのため国家を他の社会集団と同視する「多元的国家観」は、国家がもつ主権的本質を否定することにもつながるとして、多元主義者を批判対象としたのである。

3章はシュミットによる民主主義と自由主義についての論考の解説がなされている。
シュミットはルソーの影響から、民主主義を「支配者と被支配者の同一性」と定義した。またシュミットは民主主義は自由主義と必ずしも結びつくものではなく、別個の理念であるとして捉えていた。すなわちシュミットのいう「同一性」を重視した民主主義は自由と必然的に関わるものではなく、民主主義と独裁の間には矛盾が生じうるものではないとシュミットは結論づけたのである。
他方でシュミットは自由主義について、「議会での自由な公開の討議」を中心とする理念として位置付けている。シュミットは自由主義をこのように捉えた上で、当時のヴァイマール議会を批判している。シュミットは、当時の議会では公開の討議は重視されておらず、「重要な決定は議会の外でなされる」という事実に着目し、ヴァイマール議会の存在意義の喪失を指摘したのである。

4章はシュミットの国家観と大統領についての論の展開が解説されている。
一般的に「憲法の番人」といえば裁判所が想起されるが、シュミットによれば裁判所は「憲法の番人」たりえないのだという。というのも、裁判所は「規範」を対象として権限を行使する機関であることから、「例外状態」への対処は困難なのだという。そのため、シュミットは真の「憲法の番人」は大統領であると主張する。シュミットは大統領の「独立性」や人民に選出されたという事実が「憲法の番人」としての正当化根拠になるのだという。

5章では1932年のヴァイマール議会の状況を考慮したシュミットの論について解説がなされている。
シュミットは「平等のチャンス」という自由主義的な論を示していた。これはいかなる政党であっても権力を獲得する権利を否定されるものではないとする原理である。そして政党が権力の座に合法的についた場合、権力を行使することが平等に認められるというものである。
シュミットはこの「平等のルール」が適合するのは正常な議会状況であることを想定していた。そのため、1932年の議会状況が不安定な時期には、当てはまらないことになる。そこでシュミットはこの論を反対的に利用し、極右・極左の政党が権力の座に着くことを否定するために、大統領制の強化を主張したのである。

6章はシュミットがナチ党に入党した後の思想の展開について、当時の背景をふまえながら紹介がなされている。

7章ではシュミットが展開した「具体的秩序構想」について論じられている。

8章はシュミットが軍について言及した論考の考察がなされている。シュミットは「国防軍」を積極的に擁護したとされている。

一行抜粋…シュミットは、歴史的な出来事の独自性を信じたし、また、人間の本性に対する彼の評価は低かったが、このことは、彼の思考においては根本的な出来事と付随的な出来事とが、暗に区別されていたことを示すものである。彼の人生観はより根本的な仮説であり、それゆえ、歴史の進行によっても容易には変えられないものである、と想定することができる。友と敵の区別というシュミットの政治の規準には、人性に対するこうした根本的な想定が含まれている。(49頁)

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