『お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』/若桑みどり

主題…シンデレラ・白雪姫・眠り姫など、世に広く知れ渡っている数多くの童話がある。これらの童話は、人々に夢を与えてきたとされているが、果たして本当にそうなのか。輝かしい物語をジェンダーの視点から紐解くことで、「お姫様」の物語の異なる側面を浮き彫りにする。

1章では、「ジェンダー」とは何か、そしてジェンダーを学ぶことはいかなる意義があるかについて論じられている。
若桑氏は、ここで「ジェンダー」の基本的な説明を行い、その歴史を説明する。若桑氏はとりわけ、歴史の中での「ジェンダー」と「家父長制社会」の結びつきを指摘する。女性の内面的・外面的な自由を制約する「家父長制社会」は、「ジェンダー」との関係性から、生きながらえてきたと若桑氏はまとめている。また、若桑氏は、「ジェンダー」の歴史の一側面として、1970年代以降の改善の兆しに着目する。国際レベルで男女平等が叫ばれる気風は、従来の固定的な「ジェンダー」の改善としてみることができるのだという。
次に若桑氏は、本書を貫くキーワードとしての「お姫様」とジェンダーの関係を説明する。若桑氏はとくに、コレット・ダウリングの「シンデレラ・コンプレックス」を引用することで、「お姫様」とジェンダーの関係を明らかにする。ダウリングの「シンデレラ・コンプレックス」とは、女性における「寛容」と幸福観に関わるものである。ダウリングによれば、女性における「寛容」は、自らの受難をただひたすらに耐え凌ぐことを指すものと見なされる傾向にあり、そして女性における「幸福」とは、受難を耐え忍んだ結果として、強い男性に承認されることを指す傾向にあるという。そして、こうした「シンデレラ」的な傾向性が、女性を内面的に拘束しているということをダウリングは発見したのだという。

2章では「プリンセス・ストーリー」の構成要素の分析を通し、その要素とジェンダーの関わりについて論じられている。
若桑氏は、「プリンセス・ストーリー」における一つの共通点として、プリンセスの姿勢・態度をあげる。若桑氏によれば、「プリンセス・ストーリー」におけるプリンセスは、おしなべて受動的であったり、「他力本願」なのだという。すなわち、プリンセスの多くは、王子様が現れるまでの間は、苦難にひたすら耐え忍んだり、悲哀な運命を受け入れたり、眠り続けていたりするということである。こうした受動性や他力本願的な態度は、女性の成長・自己実現は、強い男性や王子様的な存在を必要とするという、歪められた見方を補強しているのだという。
また、「プリンセス・ストーリー」の要素として、「結婚」で物語が終わることを挙げている。プリンセス・ストーリーの多くは、プリンセスと王子の結婚で幕を閉じ、その後は語られない。若桑氏によれば、こうした物語展開は、男性との「結婚」=「幸福」という見方を過度に一般化させるものであるのだという。また、若桑氏は、女性の価値を「若さ・美」に収斂させる傾向の問題性をも批判している。

3章では、「白雪姫」を観た大学生の感想を中心に、批判的検討がなされている。
ここでは、「白雪姫」における「男性視点」の側面に注目がなされている。「白雪姫」では、若い女性=善、老いた女性=悪といった構図がとられており、最終的に後者が断罪されるという物語展開をとっている。若桑氏によれば、こうした構図と物語展開は、若い女性に価値を置く「男性視点」の証左なのだという。

4章では、「シンデレラ」を観た大学生の感想を中心に、批判的検討がなされている。
「シンデレラ」もまた、女性の他律性・他力本願性を表す作品であるという。若桑氏は、「シンデレラ」が肯定する価値観と対極的なものを、実際の女性は求めていると主張している。

5章では、「眠り姫」を観た大学生の感想を中心に、批判的検討がなされている。

6章では「エバー・アフター」をもとに、これまでの議論の小括を行なっている。

一行抜粋…学生たちの文章は、みなその思いを秘めているので、どれも捨てがたい。しかし、最後をしめくくるにあたって、そのなかの二つのことばを取り上げたい。それは「もしも王子様が来なかったら永遠に眠り続けるという危険な事態になる」という文章と、「お姫様、自分で目覚めなさい」という言葉である。(196)

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