『日本銀行』/翁邦雄

主題…日本の金融政策を担う「日本銀行」 日本銀行による金融政策はどのように決められ、どのように運用されるのか。そしてそれらはどのように生活に影響しているのか。中央銀行の成立から、今日の金融政策の実相まで、幅広く考察を行う。

1章では中央銀行の歴史について取り上げられている。
中央銀行の起源は1694年に創立された「イングランド銀行」にまで遡るという。この「イングランド銀行」が各国の中央銀行の出発点であり、かつ「イングランド銀行」は時代を経て、さまざまな機能を備えるようになることで、一般的な「中央銀行像」を形成していったとされている。ここでいう「中央銀行像」とは、国家財政と緊密なつながりをもち、金融危機の際には「最後の貸し手」として働く銀行を指し、通過の供給量の調整などのマクロ経済政策を行う銀行の姿のことを意味しているという。

2章では連邦準備制度と欧州中央銀行のトラウマについて説明されている。
翁氏は金融政策を行う中央銀行の政策方針や議長の発言は、その国の金融政策における「トラウマ」に左右されるという点に注目する。アメリカや欧州、そして日本の中央銀行は、そのトラウマに目を背けることができず、政策を決定するのだという。
アメリカの連邦準備制度理事会におけるトラウマは1929年の「大恐慌」と1970年代の「グレート・インフレ」にあるとされている。これらのトラウマは議長の発言や姿勢から伺うことができるという。
欧州中央銀行の場合、各国、特にドイツが戦時中に経験した「ハイパー・インフレ」がトラウマになっているという。この「ハイパー・インフレ」のトラウマを共有しているため、欧州中央銀行は国家財政との「独立性」を厳格に重視する傾向があるのだという。

3章は日本銀行の成立経緯と日本銀行法改正について論じられている。
日本銀行の成立は明治期にまで遡る。明治期のものは30年を年限として成立したものであり、30年後に旧日本銀行法を根拠法として正式な形で誕生した。そしてこの旧日銀法が1997年に抜本的に改正され、今日に至っている。
日銀の国家からの「独立性」の根拠は、憲法上に明文化された規定があるわけではない。そのため、憲法上の規定がある欧州諸国などとは異なり、日銀の「独立性」が社会的に支持されているとは言い難いのが特徴なのだと翁氏は指摘する。

4章は日本銀行の業務と組織について取り上げられている。
日本銀行が行う金融政策のうち、主要なものが「公開市場操作」であると言える。買いオペと売りオペを通し、金利を調整することで景気を調整することを試みる。
こうした伝統的金融政策に対し、「非伝統的金融政策」と呼ばれるものがある。これは「ゼロ金利」を既に経験した状態にあり、金利の調整によって金融政策を行うことが困難な場合、短期金利の誘導以外の方法で、金融の面から経済活動の促進を行う政策を指す。日本は90年代末の時点で「ゼロ金利」を導入しており、「非伝統的金融政策」の視点から金融政策を案じなければならないという点から、他国からの注目を集めているのだという。

5章では終戦からバブル期までの金融政策の流れについて説明がなされている。
戦後復興期の段階では「生産力の回復」と「インフレの抑制」が経済・金融面での目標だった。戦後しばらくはインフレにより国民は苦しめられることとなったが、ドッジ・ラインと朝鮮戦争による特需がインフレの抑制と生産力の回復に働き、1954年には「もはや戦後ではない」と評されるほどに安定成長の土台を築いた。
こうして成長期を迎えたが1971年に「ニクソン・ショック」が起こると、日本は公定歩合の引き下げを余儀なくされることになる。翁氏によればこの判断自体は正しいものの、公定歩合引き下げの効果が生じるまでのタイムラグが生じてしまったことから、かえってインフレの促進に向いてしまったという。この潮流は「日本列島改造計画」に伴う地価の上昇や石油危機と結びつくことにより、1974年には「狂乱物価」と称される大インフレに帰結することになったという。

6章はバブル期の金融政策と「失われた10年」に至るまでのシナリオが紹介されている。

7章ではデフレ脱却を論じる時に理論として用いられる「貨幣数量説」について、その内容と問題点について論じられている。
近年、金融政策の中でとりわけ注目を浴びているのが「デフレ脱却」である。デフレ脱却は可能であると考える論者は「貨幣数量説」を根拠にしていると翁氏は述べる。「貨幣数量説」とは、市場の貨幣の量の全体数が増加することで、インフレが実現されると考えるものである。この「貨幣数量説」は「ベビーシッターの協同組合」の例で大まかに論証が可能とされている。
しかし翁氏はこの「貨幣数量説」には問題点があることを主張する。翁氏によれば、この「貨幣数量説」は貨幣の供給量が物価を左右すると考えるが、そこには市場経済の視点が欠如しているという。貨幣の供給量が物価を規定するか否かは、市場に流通する財やサービスの需給の関係によって定められる。そのため、市場経済の視点を捨象してしまうと、貨幣の数量が物価を定めるかという点を確実に正当化することは困難なのだという。

8章はデフレの状況にある日本の金融政策の方向性について、「クレーグマン」の議論をもとに考察がなされている。
貨幣数量説の視点を評価しつつ、日本のデフレ脱却を考えるために示唆的なのが「拡張されたベビーシッター協同組合」の例なのだという。この例に基づくと、貨幣の量を物価の上昇につなげるためには、「期限付き」の貨幣が必要であるということが明らかになる。その「期限付き」の貨幣がインフレの実現なのだという。こうした議論を踏まえ、クルーグマンは結論として「中央銀行は無責任であることを確信させる」ことが必要であると主張している。中央銀行が無責任であると人々が確信を抱くことで、それがインフレの起爆剤となるのだという。

9章は日本銀行と財政政策の関係について取り上げられている。

10章は日本銀行の主要政策である「異次元の金融緩和」について、その内容と問題点の説明がなされている。
翁氏は「異次元の金融緩和」における、ゼロ金利を終えた後の「出口」の調整次第で、巨額の財源負担が生じうるという点に着目している。

一行抜粋…このあとがきの冒頭で「通貨は、しばしば経済の血液に喩えられる」と書いたが、量的・質的緩和は途方もない量の血液ドーピングを思わせる。血液ドーピングの効果については両論あるが、持久力向上を狙ったアスリートによる血液ドーピングが心臓や腎臓に過大な負担をかけ、その生命を危険にさらす事例は後を絶たない。(285頁)

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