北条かや『整形した女は幸せになっているのか』(講談社、2015年)

主題…近年、美容整形はより身近なものとなってきている。しかし、その反面、整形をタブー視する見方も依然として存在する。近年の美容整形の一般化の背景には何があるのか。また、美容整形を決意した女性は幸せになっているのか。整形をめぐる議論と女性の幸福について考える。

1章では、近年の整形技術や整形に対する価値観について述べられている。
近年、整形技術はかつて以上に身近なものになっている。とりわけ、90年代後半から2000年代にかけて、「プチ整形」が一般的なものとなり、整形技術はより身近なものになったとされている。また、整形技術が身近なものになるにつれて、整形の経験を明かすことも珍しくなくなったという。
北条氏は、このように整形技術が一般的なものとなったのを受け、整形に対する価値観や捉え方に着目する。とりわけ、北条氏は、美容整形は「外見コンプレックス」を克服するためのものであり、不幸から幸福へ至るための手段として捉える見方に疑問を呈する。北条氏によれば、こうした整形を不幸から幸福へ至る手段として捉える見方は、近年の整形の一般化を仔細な追究を妨げるのだという。こうした捉え方を見直すことで、整形の一般化の本質を明らかにすることができるのだという。

2章では、整形経験者の女性3人へのインタビューから、女性たちが整形とどのように向き合っているのかがまとめられている。
ここでは、整形を経験した3人の女性が、整形に至るまでの心境や整形後の周囲の反応の変化、整形に対するハードルについて述べている。

3章では、女性の「」がどのように表象され、追求されてきたか。また、近年の整形の一般化には、いかなる社会的な背景があるのか論じられている。
北条氏は、美容整形の一般化と女性の「美」の追求の関係に注目する。北条氏は、美容整形と関係する女性の「美」の追求の一つの契機として、1960年代以降の「美」のあり方を指摘する。1960年代以降、アメリカでは「トゥギーブーム」と呼ばれる理想的なボディイメージが流通し、その後日本にも目の大きさや若さなどを「美」の象徴とするイメージが広まっていったとされる。こうした目の大きさや若々しさこそが、女性の「美」であるとして追求されることこそが、美容整形の一般化の背景にあると北条氏は指摘している。
そして、北条氏は、女性が美容整形を決意する背景として、「本当の顔」と「理想の顔」のギャップに原動力があると指摘する。女性の「美」を賛美する社会の価値観や、メイク技術の向上により、「理想の顔」をメイクによって手に入れるようになり、「本当の顔」と「理想の顔」のギャップを自覚できるようになることで、そのギャップを埋めるために、女性は美容整形を決意するのだという。すなわち、女性の美容整形への決意を左右するものは、外見コンプレックスであるとは限らず、「自己満足」であることが多いと北条氏は述べている。

4章では、美容整形を経験した作家中村うさぎ氏へのインタビューから、「整形した女は幸せになっているのか」という問いへの答えの検討がなされている。
整形を経験した女性が幸せになるか否かは、必然的に答えが導かれるものではないのだという。世間では、幸せになるために整形があると認識されるが、整形が必然的に幸せにつながるとは限らないということである。整形をしたとしても、女性が「美の市場」にいる限り、整形後も「美」の追求への意識がつきまとうことになると北条氏は述べている。整形と幸福の関係を考えた時に重要なのは、整形をするか否かに対する自らの選択に責任をもてるかどうかにあるのだという。

終章では、顔が「他人のもの」であるという点から、整形と自由、責任について議論がなされている。

一行抜粋…整形して幸せになれるか、という問いの答えはイエスであり、ノーでもある。周りからどう思われるか気にする人にとっては、整形したことで別の悩みが生じるかもしれない。美しさを手に入れても、満足できないかもしれない。「脳内麻薬」の快楽に夢中になれる姿は、他人から見れば不幸かもしれないが、当人にとってはこの上ない幸せだろう。(235頁)

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