『不平等との闘い ルソーからピケティまで』/稲葉振一郎

主題…近年刊行されたトマ・ピケティによる『21世紀の資本』は、昨今の格差・不平等の実態を実証的に分析した書籍として世界中の多くの人々に読まれた。しかし経済学が格差や不平等にどのように向き合い、論を展開してきたのかはあまり注目されていない。ピケティの論の意義を知るためにも、経済学が不平等をいかに論じてきたのかを明らかにする

0章では経済的不平等論争の出発点とされるジャン・ジャック・ルソーとアダム・スミスの不平等の認識の相違について取り上げられている。
ルソーとスミスは両者ともに所有権制度と格差の発生について言及している。ルソーは所有権制度の価値を認めつつも、所有権を前提とする私的利益の追求は、経済的不平等に帰結するとして、否定的な側面を指摘したという。
他方でスミスは、ルソーの指摘する不平等の発生を認めながらも、各人の自由に基づく私的利益の追求は社会全体の効用の増進に資するという点から、ルソーが悲観する不平等の発生は、社会の富の増加に比べると、悲観すべきほどのことではないとしている。こうした不平等に対する評価にルソーとスミスの間に相違があると稲葉氏は指摘している。

1章はアダム・スミスが切り開いた古典派経済学による格差論への寄与について論じられている。
スミスやリカードからなる古典派経済学は、今日の格差論の出発点となる諸要素を形作ったとされている。稲葉氏は、とりわけスミスが「生産要素市場」を定式化したことに注目する。スミスは「労働」「土地」「資本」を生産要素として位置付け、それらを取引の対象とする論を展開したという。こうした「生産要素市場」の考え方は、ルソーが問題視した格差とは異なる不平等の説明を可能にしたとされる。それは富としての「資本蓄積の格差」であり、このスミスによる定式化は今日の格差の論じられ方にまで通底しているのだという。

2章は古典派経済学による格差論に新たなパースペクティブを加えたマルクスの功績について取り上げられている。
一般的にマルクスの功績は、労働力を「労働力商品」と捉え、資本家による搾取の存在を言及したことにあるとされるが、格差論の文脈では異なる点が注目される。
マルクスは「労働力商品」の提唱だけではなく、「産業予備軍」などの失業者の問題にも取り組んだ。マルクスは失業者の発生を説明する際に、「技術革新」の存在に着目する。生産設備の拡大・精密化などの「技術革新」が進むことで、労働者を削減することが可能になり、それが失業者の増加へと帰結するということをマルクスは指摘したのである。
このことから、マルクスは古典派経済学が論じた格差論に、「技術革新」などの長期的・動態的な経済成長の要素を設定したとされている。

3章では新古典派経済学による理論の紹介がなされている。
新古典派と古典派の相違の一つは、生産要素としての「土地」の捉え方にあるとされる。古典派は「土地」を自然的な条件として認識していたが、新古典派は「土地」を自然的条件としてではなく、投資対象は「取引」の対象とみなすようになったという。そして新古典派は「土地」を準拠枠とした理論を構築したとされている。
また新古典派は「収穫逓減」を一般化したことが一つの特徴として指摘されている。「収穫逓減」とは、収穫のために資本や設備を投資すれば、その量に比して収穫量が増加するが、その増加量は次第に逓減するというものである。新古典派以前はこの「収穫逓減」は農業に限定されて論じられていたが、新古典派は「収穫逓減」を他の産業についても当てはまるとして、「収穫逓減」を広く一般化することを可能にしたのだという。
またマーシャルが「人的資本」の概念を導入したことも、格差論の文脈では重大な功績であると稲葉氏は指摘している。

4章は新古典派経済学が格差論に与えた転回と、新古典派までの経済学の格差論への射程について論じられている。
古典派と新古典派の格差論における最大の相違は、「分配」と「生産」の関係にあると稲葉氏は述べる。古典派とマルクスは富の「分配」状況が投資に影響を与え、経済成長を左右すると考える。しかし新古典派は、「分配」と「生産」は分離されていると考え、「分配」が「生産」に与える影響は乏しいという前提を共有している。稲葉氏によれば、新古典派によるこうした分析は、経済的不平等に対する関心の低下へと繋がったのだという。
稲葉氏は新古典派までの格差論の不十分さを指摘する。新古典派までの経済学が「経済成長」を説明するにあたり、用いていた「生産性」の基準は、「総要素生産性」ではないことから、「経済成長」を捉えるための理論としては限界が内在していたと稲葉氏は指摘している。

5章では20世紀後半以降の労働経済学と格差論の結びつきについて論じられている。
稲葉氏は20世紀以降の労働経済学の変容に注目する。19世紀から20世紀にかけての労働経済学は、主に労働組合と資本家との総体的な関係性を主題としていた。しかし20世紀後半になると、こうしたマクロ的な視点は取り上げられなくなり、大企業と中小企業の関係、すなわち「労働市場の階層的構造」などのミクロ的問題が中心的になっていったという。
こうした労働経済学の変容は、格差論の展開にも影響を与えたと稲葉氏は指摘する。対象が企業間・企業内などミクロな問題となることで、「分配と生産の不可分」が認識されるることとなる。こうした新古典派が軽視していた側面が再度評価されることで、1980年以降の「不平等ルネサンス」へと繋がったのだという。

6章では80年代以降に露わになった格差による「不平等ルネサンス」について説明がなされている。
サイモン・クズネッツは経済成長の進展により格差は発生するが、その格差は過渡的な現象であり、ある期間を越えればその格差は収斂すると考えた。こうした「クズネッツ曲線」による理論は説得力のあるものとして支持されてきたが、1980年代以降、格差所得は収斂するどころか格差拡大の進行という事実が露わになると、不平等問題への経済的な関心が高まるようになる。稲葉氏はこうした注目を「不平等ルネサンス」と呼んでいる。

7章・8章では「不平等ルネサンス」における理論構築が試みられている。

9章ではトマ・ピケティの『21世紀の資本』は何を論じたかについて説明がなされている。「物的資本」への評価や、「分配と生産」の関係性についてピケティが論じていることに注目し、経済学史上の格差論の一つとしてピケティの論を位置付けることを試みている。

10章はピケティの反対者の論を紹介し、ピケティの理論の背景や内実に踏み込んでいる。

**一行抜粋…いずれにせよ、ピケティの仕事の意義を理解するためにも、その限界をきちんと確定し、それと補完し合うさまざまな研究潮流について、頭に入れておくことが望ましいには違いありません。本書では経済学以前の政治思想から始めて、現代の経済学にまでいたる不平等分析を、主としてその理論面に焦点を当てて概観してきました。ピケティはあくまで、そうした歴史の中で捉えるべき存在です。(244頁) **

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