佐々木敦『ニッポンの文学』(講談社、2016年)

主題…「文学」と呼ばれるものと、「小説」と呼ばれるもの、それらの具体的な相違は何なのか。また、SFやミステリー、ラノベなど多様なジャンル小説がある中で、それらと「文学」はいかなる関係にあるのか。これまで「小説」と呼ばれてきたものを「文学」と扱うことで、小説を含めた日本の文学の展開を辿る。

プロローグでは、「文学とは何か」という問いへの答えの検討がなされている。
佐々木氏は、「文学とは何か」という問いに対する答えを明らかにする視点として、芥川賞と直木賞を取り上げる。一般的には、芥川賞の対象となるのは、文芸誌に掲載される作品であり、芥川賞を受賞した作品は「文学」として認知される。このように、「文学」とは、芥川賞を受賞するような作品であるとすることで、小説誌に掲載され、エンタメ性が強い直木賞の作品とは区別が図られるのだという。
しかし、佐々木氏によれば、歴代の芥川賞・直木賞受賞者の経緯を見てみると、芥川賞を受賞すると期待されていた作家が直木賞を受賞していたり、その逆が起きていたりと、両者の賞は相互に互換的なものとも言い得るのだという。
こうした点から、佐々木氏は「文学」とは、直木賞との関係性から相対的に定義されているものに過ぎず、「とにかくこういうことにしておきましょう」というコンセンサスを前提としたものであると主張している。その上で、本書は文学と小説が同列なものとして扱いうるものであるという視点に立つとしている。

1章では、1979年に『風の詩を聴け』でデビューした村上春樹の語りに着目して議論がなされている。
村上春樹の初期の作品の特徴として、「やれやれ」などの「諦念」をあらわにする描写が挙げられる。佐々木氏は、こうした「諦念」は、1979年という発表年と深い関わりをもつものであるとしている。70年代頭、それまでの政治的闘争の気風が薄れ、闘争へのコミットが弱り、70年代半ば以降には闘争への白けが進む時代であったとされている。村上春樹の「諦念」は、そうした闘争への諦めであり、1979年の『風の詩を聴け』で「語ろうと思う」とするのは、闘争への白けが進む時代の流れを背景にしているのだという。
また、佐々木氏は当時の村上春樹の作品の一人称が「」であることに着目する。佐々木氏によれば、1970年代末に、庄司薫・橋本治・新井素子など、「ぼく」や「あたし」など、一人称を人工的に虚構なものとして表現する語りが一つの表現方法として台頭したという。村上春樹もまた、こうした試みの一部と捉えることもできるのだという。

2章では、村上龍・高橋源一郎・田中康夫などの1980年代の日本の文学について論じられている。

3章では、「英語」と触れ合った日本の文学について述べられている。
村上春樹は、自らの小説を書く際に、文章を英語から日本語に翻訳する中で、文章を書き進めるという方法をとっていたとされる。佐々木氏によれば、このように、日本語と英語を往復する中で、独自の日本語の書き方を確立した文学が日本には存在するのだという。
ここでは、高橋源一郎がリチャード・ブローディガンから強く影響を受けていた点や、田中小実昌や片岡義男が翻訳に携わりながら小説を執筆していた点などに触れながら、英語と日本語の関係から、新たな日本語の文法が生まれる可能性が説明されている。

4章では、日本のミステリー小説の展開がまとめられている。
日本のミステリー小説は、「本格ミステリー」と称される。そして、「謎」と「解決」からなる「本格ミステリー」は、ロジカルとフェアーを約束事としつつ、小説の技法を取り入れながら展開していったとされている。ここでは、雑誌「幻影城」が刊行され、その中で「本格ミステリー」の技法・内容が純化される流れが説明されている。
佐々木氏は、日本のミステリー小説の流れの一つの契機として、綾辻行人のデビューをあげる。綾辻行人のデビューは、「新本格ミステリー」の登場と称され、それまでの本格ミステリーの技法・内容を洗練させる形で、さらなる発展を遂げたとされている。

5章では、星新一・小松左京・筒井康隆を第1世代とする日本のSF小説の展開について議論がなされている。
第1世代が活躍していた当初は、SF小説は文学としての対等な地位を認められていなかったとされている。しかし、1970年以降になり、文学としてみなされるようになったと佐々木氏は指摘している。

6章では、1978年以降の「サブカルチャー」と文学の関係の変化について論じられている。
1978年に江藤淳は、村上龍の小説における「サブカルチャー」的側面を指摘し、批判を加えていた。そして、その20年後には、サブカルと文学が接近したものとして語られている。佐々木氏は、この20年の間に位置する1988年あたりの議論に焦点を当てる。佐々木氏によれば、1988年に高橋源一郎が小説と小説以外のものを同列のものとして論じるという試みをしており、88年あたりから、文学とそれ以外のものとの接近が始まっていたのだという。

7章では90年代の文学の流れが論じられている。ここでは、90年代に小説家以外の職業の人々が文学に参入し、高い評価を受けるようになった点に着目し、そうした傾向は、文学の相対化の表れであると佐々木氏は指摘している。

8章では、舞城王太郎・佐藤友哉・西尾維新・金原ひとみ・綿矢りさなど、ゼロ年代の文学について議論がなされている。

一行抜粋…「文学」を「ジャンル小説」の一種だと考えることの効用は、そうすることによって「文学」に、無根拠、とまでは言わないまでも十分な証明抜きで、よくわからないまま貼り付けている権威性や芸術性、気高さや高尚さのイメージから「文学」自身を救い出すことができるのではないかということです(32頁)。

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