『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命』/大塚英志

主題…角川書店の創業者角川源義氏は、角川文庫の創刊の際に、日本の敗戦を「教養」の乏しさに見出していた。こうした理念の下にある角川は、その後、「教養」をどのように捉え、出版を始めとする経営を展開してきたのか。歴代角川社長はいかに「教養」を変化させてきたのかを辿り、「教養」の現在を考察する。

第1部では、角川書店の創業開始から、三代目の角川歴彦に至るまでの、角川書店の経営と「教養」の変遷の流れについて論じられている。
1章では、大正期に確立した「教養」の考え方が、戦後以降にどのように変化していったのかがまとめられている。
大塚氏によれば、大正期に確立した岩波文庫的な「教養」は、1960年代頃には衰退し、70年代には完全に文化のフラット化がなされたという。大塚氏はこうした事態を「見えない文化大革命」と呼び、「見えない文化大革命」の中にあった角川書店における「教養」を取り上げるものとしている。

2章では、角川書店を創業した初代角川源義の考える「教養」と経営について論じられている。
角川源義氏は、創業後に角川文庫の公刊にあたり、公刊に際しての一文を掲げている。そこで源義氏は、敗戦の原因を、日本における文化力の基盤の乏しさを挙げているとされている。すなわち、源義氏は「日本がバカだから戦争に負けた」という認識に基づき、敗戦の歴史を顧みた上での「教養」の必要性を説いたのだという。大塚氏は、源義氏が考える「教養」を、源義氏が影響を受けた作家の系統や角川文庫に入れる作品の傾向から分析している。その上で大塚氏は、源義氏が考える「教養」は、戦争に抗う批判的科学といったものというよりも、「煩悶」的なロマン主義的なものに近いと結論づけている。

3章では、2代目の角川春樹氏の経営について論じられている。
春樹氏は、70年代の文庫ブームの中で、岩波との差別化を図るため、ブランド化戦略を展開したという。また、大塚氏は、春樹氏の手法として「メディア・ミックス」の手法に注目する。春樹氏は、70・80年代の文化的気風の中で、音楽・雑誌・映画を混合させて売り出す手法を取り入れることで、販売を展開していったという。こうした「動員」の手法による販売の展開が注目される一方で、大塚氏は、春樹氏の下での文庫の資料の豊かさを評価している。

4章では、3代目の角川歴彦氏による経営と「教養」の変貌について論じられている。
大塚氏は、歴彦氏の経営に、これまでの角川における「教養」の徹底的な離脱を見出している。それは、電撃文庫の創刊を始め、それまでは「教養」の前提であったヒエラルキーを正面から否定する発言などに現れているという。とりわけ、大塚氏は歴彦氏の「教養」や「知」の捉え方において、その異色さに着目する。大塚氏によれば、歴彦氏の考える「教養」は、人文知的な知やリベラルアーツ系なものではなく、「ITビジネス」の場面で活かされるものを想定しているのだという。こうした知の捉え方に、のちの量生氏とのつながりを見出している。

第2部では、歴彦氏の時代における角川について、その企業が重視してきた事柄や、企業としての風土を中心に、議論が深められている。
5章では、歴彦氏による販売戦略の態様と、そこからうかがえる角川の企業精神が述べられている。
大塚氏によれば、歴彦氏は、60年代の北米における雑誌の販売方法に影響を受けていると推測されるのだという。その北米における雑誌とは、TVガイドであり、日本にはなかったTVと雑誌をプラットフォームとデバイスの関係から捉える販売方法が当時のアメリカにはあったとされる。歴彦氏はこうした「プラットフォーム」とデバイスの関係に着目する発想を、日本の雑誌販売にも取り入れたのだという。そして、この「プラットフォーム」への執着は、コンテンツよりも販売戦略やシステムを重視する角川の精神に近しいものであり、歴彦氏がこの発想を確立したのだという。

6章では、5章で述べられた「プラットフォーム」的な発想の体現としての「TRPG」について論じられている。

7章では、雑誌『コンプティーク』上で展開されたTRPG的な作品の発表について、その流れなどが紹介されている。

8章では、歴彦氏のメディア・オフィスにおける特有な風土について述べられている。当時のメディアオフィスは自由な空間であり、作品のゲーム化なども口約束だけで進んでいくことがあったという。

第3部では、川上量生氏の「教養」と、「教養」が担う役割としての公共性の構築について、議論が展開されている。
9・10章では、川上量生氏が「教養」をどのように捉えており、その捉え方にはいかなる問題があるのかについて論じられている。
大塚氏は、川上量生氏が考える「教養」の特徴として、川上量生氏が考える「教養」の役割に焦点を当てる。大塚氏によれば、川上量生氏は、「教養」を問題に対する「」を求めるものとして認識しているのだという。この「教養」の捉え方は、人文知的なものとは異なっているという。そして、川上量生氏は「人文知」的なものと、「工学知」的なものの違いを理解していないということを、宮崎駿氏との一件から大塚氏は指摘している。

11章では、「教養」を公共性を構築するためのものとして位置づけた上で、近年のSNSなどで組み立てられる社会のあり方に疑義を投げかけている。

一行抜粋…つまり「教養」は公共性構築のツールだということです。そのとき重要なのは「公」というのは「お上」でもなく、すでにそこにあるものでもなく、自ら作り上げるのだ、というのが近代の民主主義の考え方だということです。(237)

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