『日本文化の論点』/宇野常寛

主題…近年、「日本文化」としてとりわけ注目されるのアニメ、マンガ、アイドルなどのサブカルチャーである。日本のサブカルチャーはどうしてここまで注目され、期待が込められているのか。「日本文化」をめぐる論点に触れ、そこからの社会構想の可能性を検討する。

序章では日本文化が置かれている現状について論じられている。
宇野氏は、政治や経済など社会において表面的に現れる次元のことを「<昼の世界>」と名付け、他方でアニメやアイドルなどサブカルチャーが流通、消費される次元のことを「<夜の世界>」と名付ける。そして宇野氏は、現代の社会においては、「<昼の世界>」が主導する経済政策や行政による背策をもとにした社会問題の解決は、困難になりつつあると指摘している。そこで宇野氏は、日本の先進的な「<夜の世界>」で培われてきた日本文化における「日本的想像力」に着目し、「<夜の世界>」のアイデアを「<昼の世界>」に導入することによって、日本社会の閉鎖的な風潮の打開を図るべきであると主張し、本書が扱う対象とその可能性を提示している。
また、宇野氏は現代の文化が置かれる状況として、示唆的なものとしてネット環境を挙げている。従来のメディアは、人間の能動性か受動性のいずれかに働きかけるという性格が強いものだったという。しかしインターネットは、能動性と受動性の「中間なもの」であり、新たな「人間像」の構想のために重要なのだという。

論点1では、作品やコンテンツを海外に輸出しようとするサブカルチャー政策の問題について論じられている。
日本のサブカルチャーが海外から評価されているのを受け、クールジャパンと題されたサブカルチャー政策が進められるが、宇野氏は、作品やコンテンツを輸出しようとするサブカルチャー政策に対して、疑義を投げかけている。宇野氏によれば、日本のサブカルチャー人気は、作品やコンテンツ自体の魅力のみならず、それらを消費する「消費文化」に核心があるのだという。そしてその「消費文化」とは、消費者同士による作品の「二次創作」であると宇野氏は指摘する。日本のサブカルチャーは、消費者によって自由な発想に基づき、「二次創作」されて消費されることに魅力があるのだという。
そのため、作品やコンテンツ自体を輸出することは、サブカルチャーの魅力を伝える政策としては不十分なのだという。サブカルチャー政策として海外に輸出を展開するためには、「消費文化」や「二次創作」を行うための環境が備わっていなければならないと宇野氏は主張している。

論点2では、「文化」と「地理」の関係の変容について述べられている。
一般的には、その「地理」に特有の風土や、個人間の関係性をきっかけとして、その「地理」における「文化」が形成されると考えられてきた。しかし宇野氏は、現代の情報技術や環境の変化は、この関係を逆転させていると指摘する。その例として、宇野氏は人気アニメの聖地巡礼を挙げる。アニメの聖地巡礼のように、「文化」が相当程度に共有された上で、「地理」に特有の意味づけがなされる場合も確認されるようになってきているのだという。
さらに宇野氏は、こうした「文化」と「地理」の関係の変化は、ライフスタイルの変化にも影響を与えたと考えている。情報技術を駆使する現代の新しいホワイトカラー層は、「<夜の世界>」の文化に親和的であり、かつてのホワイトカラー層が理想とした暮らしとは異なるライフスタイルを送るのだという。

論点3は、近年の音楽の消費形態について論じられている。
情報技術の進展により、音楽の楽曲情報のコピーや共有が容易に行うことができるようになった。こうした技術の進展に伴い、音楽の「情報」としての価値は相対的に低下したとされている。しかし他方で、音楽の異なる消費形態が確立することで、従来とは異なる価値が付与されるようになりつつあると宇野氏は指摘する。近年の音楽の消費は、音楽を聴くという従来の形から、「参加」や「体験」「コミュニケーション」を付加価値とする形へと変化しているのだという。音楽は情報としての価値が低下する一方で、視聴者の「参加」や「体験」を消費に組み込むことで、総合的な消費の対象として価値を維持しているということである。宇野氏はこうした変化から、情報としての音楽の価値に固執した著作権論争には、不十分な側面があるとしている。

論点4では、技術革新に伴う「ゲーミフィケーション」の現代的な可能性について議論が展開されている。

論点5は、日本社会に対して、「想像力」はどのように提示され、これからの「想像力」はいかにあるべきか論じられている。
特撮映画」は、戦後日本において現状と未来を占うメディアとして、ある種の「想像力」を提示してきた。しかし冷戦が集結し、戦後社会のリアリティが希薄化するのに伴い、「特撮映画」の想像力は過去の遺物になってしまったと宇野氏は自らの経験をもとに述べている。
冷戦以後の社会では、最終戦争によって、日常を非日常へと転態させることを希求する「想像力」が培われるようになった。しかしながら、この最終戦争を望む「想像力」は、3・11を一つの契機として失効したと宇野氏は指摘する。そして、宇野氏は、日常を非日常に転態させるような「想像力」に代わって、ファンタジーが作用する「想像力」の可能性に触れている。

論点6は、現代的な文化事象といえる「AKB48」のヒットに至る背景について分析がなされている。
宇野氏は、「AKB48」は、現代的な文化事象の体現として位置付けている。その理由の一つとして、「AKB48」のヒットに至る経緯に着目している。「AKB48」は、従来のアイドルとは異なり、マスメディアの外部での人気の集中がヒットの理由となったとされている。宇野氏によれば「AKB48」にとってマスメディアは副次的なものに過ぎず、「会いに行けるアイドル」をキャッチフレーズとした握手会やコンサートと、SNSによる情報の拡散が人気集中にとって主な戦略だったのだという。この「現場+ソーシャルメディア」という戦略は、現代のメディアや文化が置かれた環境を生かしたものであると宇野氏は評価している。
また宇野氏は、「AKB48」がファンによって受容される形にも着目する。宇野氏によれば、これまでのアイドルが「物語」として受容されていたのに対し、「AKB48」は、システムとルールに基づいた「ゲーム」を受容の形としているという。このシステムとルールに基づいた「ゲーム」という発想は、消費者の「参加」や「コミュニケーション」を積極的に取り入れたものであると宇野氏は指摘している。

終章では「<夜の世界>」で培われたアイデアを「<昼の世界>」へ導入するための「想像力」について述べられている。目に見えないものを可視化するための「想像力」こそが、社会の駆動力になるのだという。

一行抜粋…<昼の世界>からは見向きもされない<夜の世界>で培われた思想と技術ーここにこの国を変えていく可能性が詰まっている。僕たちはそう確信しています。僕たちがやるべきことは、この<夜の世界>で培われた思想や知恵を用いて<昼の世界>を変えていくことーそれだけです。(165頁)

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