苅部直『丸山眞男 リベラリストの肖像』(岩波書店、206年)

主題…丸山眞男は、戦後民主主義を確立した政治学者として知られる。丸山は戦前・戦中・戦後の社会をどのように生き、何を考え、主張を展開したのか。戦後民主主義の擁護者としてみなされるに至った丸山の生い立ち・背景・思想の内容を検討する。

1章では、丸山眞男が大正期に生まれ、いかなる環境で育ったか紹介がなされている。
丸山眞男は、近代化が進む大正時代に生まれた。そして、丸山は、教養の涵養が盛んであった山の手の中で育ち、当時の気風を吸収しながら育ったとされている。苅部氏は丸山が育った環境の中で、とりわけ周囲の思想状況に着目する。丸山が育った近所には、左派の長谷川如是閑と、右派の井上亀六がおり、幼い頃から交流があったことから、そうした左派と右派の応酬の中で丸山は育ったのだという。

2章では、丸山の旧制高校入学以降の思想形成について論じられている。
ここでは、1933年に丸山が逮捕された経験に触れられている。苅部氏によれば、この逮捕経験は、国家権力が個人の内面に介入する丸山にとって初めての現実的な経験になったのだという。こうした国家による内面・外面への統制の実感により、丸山は個人の内面の確立の重要性を認識したと苅部氏は指摘している。また、内面への徹底的な統制は「天皇制の精神構造」に関する研究に結びつく経験であったのだという。
2章後半では、東京帝国大学入学後の社会の様子と丸山の思想形成について述べられている。ここでは、「國體」の信仰による支配の空気への丸山の洞察が、のちの「超国家主義の論理と心理」へとつながる思想の枠組みとなっているという点が説明されている。この時期の丸山には、「日本ファシズム」に対抗する個人主義やリベラリズムの思想の原型が見出されるのだという。

3章では日本が戦争に突き進む時代の中で丸山は何を論じようとしたかまとめられている。
丸山は福沢諭吉の『文明論之概略』における「近代」の契機に着目する。苅部氏によれば、丸山は『文明論之概略』における「近代」の視点に着目した、個人が独立した状態を理想とする「自主的人格」の構想に至ったのだという。そして、この自立した個人としての「自主的人格」は近代国家にとって不可欠なものであり、その結果としての「近代ナショナリズム」を丸山は「國體」イデオロギーによる支配に対抗するものとして位置づけていたのだという。
3章の後半では、助手論文での荻生徂徠研究やその後の第2論文において、丸山が政治と「道徳秩序」を模索していたという点が取り上げられている。

4章では、戦後の丸山の言論活動に焦点が当てられている。
丸山は敗戦後の自由化・民主化の流れを肯定的に評価しつつも、それ無批判に受け容れるのは好ましくないという立場をとっていたとされている。丸山は、「あてがはれた自由」ではなく、主体的に獲得した自由を理想としたのである。そして、主体的な自由については、丸山は個人の「精神」を重視しており、民主主義の実現のためには個人の内面・精神の確立が求められるとしている。
また、丸山は「超国家主義の論理と心理」の中で、天皇制に対する立場を明らかにしている。丸山は、天皇制を制度として批判するのではなく、日本人の「精神構造」に関わるものとして思索を深めることで、天皇制の存在と日本人の道徳的自立について主張を展開したのである。このように丸山は個人の精神的独立と権威の関わりを批判的に説いたとされている。

5章では、戦後の日本社会の中で、逆コース化・大衆社会化・イメージ支配の拡大が進む中で、丸山が政治や他者とのあり方をいかに考えたかについて説明がなされている。

終章では、「知性」や対話の意義に触れられている。

一行抜粋…人と人、集団と集団、国家と国家が、それぞれにみずからの「世界」に閉じこもり、互いの間の理解が困難になる時代。そのなかで丸山は、「他者感覚」をもって「境界」に立ち続けることを、不寛容が人間の世界にもたらす悲劇を防ぐための、ぎりぎりの選択肢として示したのである。「形式」や「型」、あるいは先の引用に見える「知性」は、その感覚を培うために、あるいは情念の奔流からそれを守るために、なくてはならない道具であった。それを通してこそ、たがいの間にある違いを認めながら、「対等なつきあい」を続けてゆく態度が、可能になる(210頁)。

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