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<小学校受験を終えて>我が家の奮闘記①

2年間にわたった私たち家族の挑戦はつい先日、大きな満足感に包まれて終わった。実は、まだ合格発表が出ていないのだが2次試験を終えた日、この学校に通わせたくて私たち家族は必死にもがき時に苦しみそしてたくさんの思い出を作ったんだよなとしみじみしてしまった。

思えば初めは、このまま地域の小学校に通わせて中学受験の準備に備える?それとも、上に中高一貫がある附属小を受験する?と考えた時、家にも近く息子にずっと通ってほしいと思っていたとても雰囲気の良いどこか和やかなムード漂う中高に附属小があるよなーというところから始まった。

それは、これから始まる小学校受験を甘く見ていた私たち家族の試練の始まりだった。もともと、急遽受験をやめてもいいように集団受験塾ではなく個人受験教室を選んだのだが、その選択から私たち夫婦がどれほど甘い考えでいたのか思い知らされるのである。通っていた個人受験教室は年中の夏までは、もらってきた宿題と行った日にやってくることだけで何の進歩も特になくこんな毎日を繰り返していればなんとなくできるようになってくるのかな?という感じだった。しかし、夏が終わり秋にかけて年長さんの本気モード突入の雰囲気をひしひしと感じる頃には呼び出しをされ、家で遊びからの学びを意識した生活をしているか?絵本はどの程度読み聞かせをしているか?折り紙は今の段階で家でどの程度できているか?などと質問攻めにあい、教室長からは「○○小は、親があなたみたいに甘い考え方だと受かりませんよ!小学校は親を見るんです。躾の問題です。」と厳しい言葉を浴びせられた。その時、息子にこのまま受験を続けさせてメンタル面は大丈夫なのだろうか?パパと協力って、どれだけの家族の結束力が大事なんだろう?と日々頭を悩ませ、息子のペーパーの出来も一向に伸びず日々迷っていた。私の教育の仕方が今まで甘すぎたのだろうか?と落ち込み、息子の良いところを見れなくなったらどうしよう。ペーパーが出来るから良い子?しっかり座って先生のお話をよく聞くことができなければ、悪い子?なんの物差しでこの子を認めてあげるの?

と睡眠もあまりとれず、今思えばまだまだ年長になってからも試練がたくさんあるのにこの時はこの時で精一杯悩んでいた。

そんなある日、、、通り道にある○○小の通学路を歩く児童たちをみて、ここの小学校に入れさせたい。やっぱりこの子達が着ている制服を長男にも着せてあげたい。ふと強く思い、よし!まだゴールまでには時間がある。やれる事をやっていこう!と少し吹っ切れた自分がいた。この時は、、、

続く→

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