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響け!ユーフォニアム 久石奏3年生編を待ちきれなくて盛大に妄想した 全10万字:二章 三年生進級~京都府大会(後)(3/9)

目次、お断り(リンク先)



二章 三年生進級~京都府大会(続き)

あがた祭

「玉田くん?」
「?。あ、奏先輩。」
「ちょ、ちょっと?」
玉田は少し離れたところから軽く駆けて向かってくる。
「こんばんは。いらしてたんですね。浴衣・・・お綺麗です。」
「あら、そんなこと、ありますけど。それよりわざわざここまで来てくれたのです?、息まで切らして。」
「あー・・・浴衣姿が見えたので、速く歩かせるのは申し訳ないと言うか。」
玉田直樹。今年の新入生で二年後輩。大人びてる、という表現では合わない。全然背伸びしていない、今着ている服装もそう。こういう素振りを目にするたびにあの憶測が頭をもたげる。間違いない。でも聞き出せないまま2ヶ月が経ち今日に至っている。
「一人ですか?」
「ええ、早く帰らないといけないので。奏先輩はどなたかと?」
「梨々花たちとです。今は別行動中。それより、この前のおわびにおごります。」
「いいですよ、自分こそおごらせてください。」
「そんな、どうしてです?。悪いです。」
「いえ、自分が部活をやれてるのは奏先輩のおかげですから。いつか何かをと思ってたんです。」
「なぜです?。私はそんな・・・」
と、玉田はすっと近づいてきた。玉田は背が高い、視界から祭りの灯りが少なくなる。あ、と思ったが身動きを取ろうとは思わなかった。
「・・・私の秘密を知ってるのに、それを悪用しないから。」
言い終わってしばらくすると玉田はニコリとして身を引いた。やはり。とはいえいざこう言われると言葉に困ってしまう。
「・・・そうきましたか。確かにあなたは何かを抱えているようです、だからといってどうこう言ったり詮索するつもりはありません。もちろん部活も。安心してください。」
「じゃあ今日はおごりますから、今後ゆすらないでくださいね。」
玉田はおどけてゴマをする仕草をする。
「じゃあ・・・おごられましょう。でも、私と二人でいるところを見られたら困るのでは?」
「?、何故ですか?」
「それは・・・いえ、いいです。なんでもありません。」
「あのあたりで買いましょうか。」
「いいですよ。ちょ、ちょっと、もう少しゆっくり歩いて・・・」
思わず玉田のシャツを掴んだ。しまった、この前、さわるなと言われたばかりなのに。引っ張る感触があり彼の歩みは止まった。手を離せないまま恐る恐る見上げると、高いところから聞こえてくる彼の声は明るく穏やかなままだった。ホッとしている自分がいた。

「えええーーーー!。ど、どゆこと?!」
「挨拶が先じゃろ、すずめ。奏先輩こんばんは、玉田青年も。」
「こんばんは、佳穂先輩、すずめ先輩、弥生先輩。」
「こ、こんばんは。」
「わぁー!。奏先輩、浴衣すごく綺麗です。玉田くんもこんばんは。」
「あら、ありがとう。」
「玉田青年・・・ずいぶん大人っぽいな。」
「だよね!ね!かっこいいよね!」
奏はちらっと玉田を見上げるが、様子は変わらない。
「おっさんぽいですか?」
言葉に反して玉田の表情はにこやかだ。
「そうじゃないよ、もう。」
「お二人は一緒に来たんですか?」
「ちょっと待った!これはついに奏先輩が女を見せる時が来た!」
「すずめ、なに興奮してるの?。この前も同じようなこと言ってたような・・・」
「だってだって、奏先輩バッチリ浴衣だよ、ユ・カ・タ。」
「あんた、おっさんくさいよ。」
玉田がたまらず口を開こうとしたとき、奏は玉田のシャツを引っ張り、口に手を添えて言った。
「面白いからしばらく言わせておきましょう。」
そういうと上目遣いで玉田の顔を覗き込む。
「確かに面白いですね。奏先輩が一番面白いですけど。」
玉田は得意気にニヤリとする。
(何よ、自分はたじろぐところを見たかったのに。)
「ちぇー、なんか余裕ですね。」
「今、ユーフォニアムの先輩のありがたいお説教を聞いていたんですよ。」
「ええ、ありがたいお説教をしてました。」
「なんてことだー、みっちゃん先輩さっちゃん先輩に報告だー!」
「求先輩は?」
「あ、忘れてた。」
と、スマホのジングルが鳴った。佳穂のものだった。可愛らしいメロディだ。
「サリー、着いたって。」
「時間かけてきたってことは浴衣かな?眼福眼福!」
「そういえば、玉田くん、浴衣着たら似合いそうだね。」
「確かにそうかも!?」
「うーん・・・」
玉田の表情が一瞬曇った。
「ああいう前開きの服、はだけちゃう気がして好きじゃないんです。ブレザーより学ランのほうがいいかな、北宇治でラッキーですね。」
「へえ、なんかちょっともったいない。」
「そ、そんじゃまあうちらは行こうか!。おじゃまむしは!。」
「では奏先輩失礼します。玉田くんじゃあねー。」
「皆さんごきげんよう。」
「失礼しまーす。」
お互いに軽く手を振りそれぞれの方向へ歩き出した。

「まじかー」
「すずめ、もう何回目?」
「やっぱり玉田青年って大人っぽいよねー。」
「そーそー、男子中坊と一年しか違わないってありえんわー。」
「ところであの二人って・・・」
「玉田くんいっぱいからかわれてたけど、ああやって奏先輩に反撃するんだー。」
「えっそこ?」
「たんなるおのろけじゃなくて?」
「あはは、そうなのかな?、おのろけってよくわかんない。」
「なんかユーフォって平和だね。」
「チューバも平和だと思うけど?」
「そうかなあ?、誰かさんのせいでそうとも思えないけど?。」
「なんだってー!」
「あら、また会いましたね。」
「えっかなでせんぱいどうなさったんですかそんなわたしたちのところへいらっしゃらなくてもおふたりきりでえっとそのごゆるりと。」
「すずめ、読めない、何がどうした。」
「あれ玉田くん、なんかたくさん買ってきてない?」
「ええ、皆さんにどうぞ。よかったよかった見つかって。」
「えったまだせいねんなぜですかそんなわたしたちのぶんなんてかわなくてもおふたりきりでえっとそのしっぽりと。」
「すずめ、だから、読めない。」
「え?、ってことは私の分もあるの?」
「もちろんです、佳穂先輩。」
「やったぁ!ありがとう!」
と、カランコロンと下駄の音が追いついてきた。
「・・・もう、置いていかないで、そんなに早く歩けないんだから。」
「義井先輩、こんばんは。」
「あ、玉田くん、こんばんは。奏先輩こんばんは、浴衣素敵です。」
沙里は会釈する。
「ありがとう。義井さんの浴衣も。ねえ玉田くん。」
「そうですね、とてもお似合いだと思います。」
「あ、ありがとう。そう言ってもらえると。」
玉田があまりに躊躇なく言うせいか、沙里はほんのり頬を赤らめる。
「義井先輩も、おひとついかがですか?。」
「おいしそう!。ぜひ。えっといくら払えばいいのかな。」
「今日は玉田くんがおごってくれたのですよ。じゃーん。」
奏はフフンと得意気だ。
「ちょっとまったぁ!、先輩、それは昆布とライスの違反です!。後輩におごらせるなんて!。」
「いやいや、いいんですよ。」
「?、昨日の授業で習ったコンプライアンスのこと?」
「そうそれ!。モラルとルールでモラルール違反です!。」
「ストップ、すずめ、そこまで!。」
その後、道行く何人かが立ち止まるほどの佳穂の笑い声が聞こえてきた。


府大会オーディションに向けて

「美玲先輩、奏先輩。伺いたいことがあるのですが、もうお帰りですか?」
「大丈夫です。」
「もちろん、いいよ。」
「今度のコンクール、オーディションについてです。」
「佳穂を差し置いて自由曲のソリを吹いても良いのだろうか、ということですか?」
「そうなの?であれば受かればなんの問題もないという答えになるけれど・・・」
「その様子だと、もう少し話が複雑そうですね。」
「お二人にはかないませんね。」
今年の自由曲の見せ場は様々な楽器のソリだ。実際には同じ楽器の二重奏:デュエットだが、ファースト・セカンドどちらのパートも非常にメロディックでソロのようなので、複数形のソリと皆が呼んでいる。ユーフォニアムにも大きな見せ場がある。
玉田は視線を外してしばらく黙り、やがてゆっくりと話し始めた。表情は固く険しい。そして、何か苦しそうだ。
「コンクールから辞退したい。できればオーディションも受けたくない。可能ですか。」
「え?なぜ?。玉田、もったいないよ。何を遠慮してるの?」
「遠慮ではないです。出たいものは出たいのです、しかし・・・」
玉田はうつむき加減で話す。どうしてオーディションとはいつもややこしいのだろうか。もっとも、過去、自身もややこしくしてきた張本人なので強くは言えない。
「ゆっくり話を聞かせてくれますか?」
「も、もし私がいないほうが良いなら外すから。」
「いえ、おふたりともに聞いてほしいです。」
「わかった。ごめん、慌ててしまって。」
「・・・体が丈夫じゃないんです。コンクールの本番当日おかしくなってしまったらどれだけ迷惑か、と考えまして。今、結構悪くて、ほんとうに自信がないんです。」
「そう・・・あのユーフォニアムソリ、玉田だったらなんの問題も無いと思う。でも、だからといって・・・」
「・・・わかりました。」
「奏?そんな簡単に・・・」
「美玲、どうやら玉田くんはもっと深いことを考えている。そして、とても言いづらいことを。美玲が根掘り葉掘り知りたいわけではないなら、彼からの説明としては十分だと思います。」
「どういうこと?」
「ええ、仮に私と玉田くんがソリになったとして、玉田くんがコンクール本番で出られなくなったら佳穂がソリに繰り上がる。もしかしたら、佳穂はサポートからの繰り上がりかもしれない。でも、やれと言われてすぐやれることじゃない。だとしたら・・・」
「さすが奏先輩です。」
「玉田・・・」
「でも、改めて奏先輩から話してもらうと、私はとても自意識過剰で佳穂先輩に対してずいぶんな見方をしています。とても、恥ずかしいです。」
「そんなことありません。あなたがとても上手で熱心なのはみんな知っています。」
「ありがとう、話してくれて。」
「その・・・奏先輩、美玲先輩、お二人のおかげですごく整理できました。」
「でも・・・私はそれでも玉田にはオーディションを受けてほしい。」
「?、美玲先輩?さっきの話は?」
「練習そのものから抜けたいわけじゃないなら、これまで通り頑張ってほしい。もちろん体調第一で。ソリの件も含めて、滝先生にちゃんと伝える。その・・・一緒に練習したい。みんなそう思ってるから。」
「・・・本当は、私だって玉田くんには受けて欲しいんです、全力で。」
いつしが握りしめていた拳に力が入る。
「え?奏先輩まで、どうしてですか?。さっきはああ言ったのに。 ・・・?、奏先輩?、以前に何かあったんですか?」
しまった、顔に出てしまったのだどうか。そうなったら仕方がない。
「ええ・・・一つ昔話をしてよいですか?」
「はい。」
私は握りしめていた拳をほどき、手のひらを見ながら思い出す。あの人のことを、あのときのことを。
「私が一年生の時でした。当時の三年生の先輩は正直上手ではなかった。高校から楽器を始めたこともあって。私がオーディションできちんと演奏したら先輩は落選してしまう・・・私は手を抜こうとした。そうしたら先輩はめちゃくちゃに叱ってくれました。失礼だ!本気を出せ!って。」
「・・・素晴らしい先輩ですね。それで・・・結果は?」
「私は全力を出し切れて、その先輩に久美子先輩も入れて三人全員合格できました。」
美玲が安堵したようにうなずく。
「・・・お気持ち、伝わりました。・・・できることを頑張ります。お二人のためにも、佳穂先輩のためにも。」
「そして、玉田。自分のためにも。」
「・・・はい。」
「さすが美玲、頼れるパートリーダー。」
「奏の役に立てたなら、それで。」
「十分立ってます。私だけじゃなくて、玉田くんにも、みんなにも。」
「そう・・・よかった。」

こうしてオーディションへの練習は本格化していった。玉田は新しい楽譜をすぐに理解習得し早々に完成の域に達していた。練習参加時間は少なくとも、指摘や指示は確実に次の日までに理解しきっていた、むしろ先回りしていた。おそらく帰宅後入念に復習しているのだろう、読書のように楽譜を読んでいるという話は本当のようだ。
そして、彼もまたユーフォニアムに登場するソリ:二重奏を練習していた。セカンドはもちろんのこと音域の高いファーストも軽々と吹きこなしている。自分がソリのファーストの座を脅かされるかも知れない、そんな誰にも言えない不安を抱えながら私は練習に没頭した。同級生も二年生も、一年前の私を知っている、私がコンクールメンバーから外されたあの年を。ただ、彼女だけは普段どおりだ、佳穂だ。私があの境遇になって結果的に最も多くの時を一緒に過ごした彼女。今は人懐っこく玉田とよく一緒にいる。玉田は楽しそうにかつ本気で佳穂にアドバイスをし、一緒に練習している。特にソリのセカンドを、まるで全てを伝承し託すかのように。
そんなある日、玉田と佳穂とが二人で話しているのを聞いてしまった。
「ほんと玉田くんは演奏も教えるのも上手で嬉しいな。」
「そう言ってもらえると嬉しいです。佳穂先輩こそ、春先からすごい上達ぶりです。」
そういうと佳穂は少しうつむき加減になって押し黙ってしまった。
「・・・もう二年生だから自分でうまくならなきゃって思ってるんだけどね、恥ずかしいな。」
「あんまり気にしなくていいと思いますよ。」
「ありがとうね。それにね・・・奏先輩に思う存分に吹いてほしいの。私のことで迷惑かけたくないというか。」
「と言いますと?。」
「うん、実は去年ね・・・」
自分の息を押し殺すために右手を握りしめたまま胸に当てた。
「そうですか、そんなことが・・・奏先輩、あれだけの腕前なのに吹けなくて悔しかったでしょう。最後のコンクール、心置きなく演奏してほしいですね。」
「うん、そうなんだ。私、吹奏楽を始めてまだ二年目だし、難しいことはまだできないしわからない。もし奏先輩と玉田くんの二人がソリになっても、二人だけがコンクールメンバーになっても、何も不思議じゃない。ただただ、奏先輩が気持ちよくたくさん思う存分演奏できるように、去年の分も。それが私の願いなんだ。変かな。」
「全然変ではありませんよ。佳穂先輩、優しいんですね。でも、もうちょっと図々しくなったり、奏先輩に頼ったり甘えたりしてもいいと思います。案外、待ってると思いますよ。」
「そうかなぁ。」
「そうですよ。練習に戻りましょう。そうだ、二人で奏先輩に教わりましょうよ。」
「うん!」

こたえなきゃ。もう、自分だけのオーディションじゃない。
私は、一年前に部長のメンツとユーフォのソリの座をかけてオーディションに挑んだ先輩を思い出し、胸が苦しくなった。
「・・・うまくなりたい。うまくならなきゃ。」


オーディション結果発表

オーディション。どんなに演奏技術が達者であっても、どんなにオーディションの演奏本番でうまく演奏できたとしても、ここで自分の名前が読み上げられるまではやはり安心できない。当落ラインに近いところの部員にとってはさらに緊張する瞬間だ。美智恵先生はそれを知ってか、あくまで淡々と楽器ごとにコンクールメンバーに選ばれた者の名前を読み上げていく。合格したものは喜び、選ばれなかったものは落胆する。何度見ても心臓にはよくない。
・・・・・・
「ユーフォニアム。三年、久石奏。」
「はい。」
「二年、針谷佳穂。」
「は、はい!」
「一年、玉田直樹。」
「・・・はい。」
「以上三名。」
佳穂は良かったねといわんばかりに玉田のほうを向いたが、玉田はうつむき気味のまま何も言わなかった。いつもにこやかで丁寧な玉田とは思えない。佳穂は不思議がった。美玲も複雑な表情をしている。滝先生には確かに事情を伝えた。練習の途中でユーフォニアムを三人から二人へ減らすつもりなのだろうか。頭の中はまだ整理しきれていない。
「静かに。次、チューバ。三年、鈴木美玲。」
「はい。」
「三年、鈴木さつき。」
「はい!。」
「二年、釜屋すずめ。」
「はいっ!」
「以上三名。」
弥生はしかたないという表情で一瞬天を仰ぎ、再び視線を前に戻した。
・・・・・・
「続いてソリを発表する。呼ばれたものは、後で滝先生のところへ個別相談に行くように。尚、ソリは呼んだ順にファースト・セカンドとする。」
「クラリネット、平沼詩織、北山タイル。」
「はい!」「はい!」
「トランペット、小日向夢、朝倉玉里。」
「は、はい!」「はい!」
ここまではパートリーダー、そしてツートップと評判の高い三年生の名前が並んだ。
「最後にユーフォニアム、久石奏、」
やった!。返事の声が出そうになるのをこらえ、拳を握りしめる。そして、セカンドはどちらが。ユーフォの三年生は一人だけだ。
「針谷佳穂。」
「え」「うそ」
教室のどこからか小さい声が漏れた。
「返事は?!」
美智恵先生の声がざわめきを一掃する。動揺は隠せないが、それは後回しだ。
「はい!」「は、はい!」
佳穂も慌てて私に続く。
「よろしい。皆も静かに。奏者の発表は以上だ。特にソリは、ソロとは違った協力関係が重要だ。しっかり一緒に練習を重ねるように。いいな。」
「はい!」「はい!」「はい!」

「佳穂おめでとう!。」
「やったね、ソリだって。」
パート練習室部屋への移動中、佳穂はすずめと弥生の呼びかけにも応じず黙ってうつむいたままだった。嬉しくないのだろうか。戻った先には美玲と奏はおらず、少したって玉田が戻ってきた。
「玉田くん。」
「はい、佳穂先輩。」
「どうして結果発表の時、返事してくれなかったの?」
玉田は言葉を返せないでいる。と、そこへ美玲と奏が難しい表情をして戻ってきた。
「奏先輩!美玲先輩!」
「どうしたの?。」
「なんで・・・なんで私がソリなんですか?」
「佳穂?。おめでとうと言おうとしたのに・・・頑張っていたじゃないですか。」
「そうじゃなくて、玉田くんがソリじゃないのは何故なんですか?。」
・・・低音パート練習の教室に緊張が張り詰めた。気まずい雰囲気を好まない佳穂なのに。手を抜いた・・・一昨年勝手に自分を蝕んだ言葉が頭に浮かぶ。しかし、あの日壁越しに聞こえた玉田の演奏からは一切の手加減はなかった。それどころか、ソリはファーストとセカンド両方を完璧に全て吹いていた。手を抜いたなんてありえない。ひと呼吸置いてちらと視線を美玲に移した。
・・・
「・・・滝先生なりの判断があったんだと思う。」
美玲はそう絞り出すのが精一杯だった。
「佳穂先輩、一体どうされたんですか。」
「玉田、まだわからないか?周りの反応に気づかなかったか?」
「求先輩?。」
「そんなの、お前がうまいからに決まってるじゃないか。」
「そうだよ、めちゃくちゃ上手じゃん。」
「なんかこう、私なんかには全然見えていないものが見えてるっていうかさ。」
「で、でも、ただ演奏するだけと、本番とは違うじゃないですか。ましてやコンクールで結果を出すって・・・」
「それ、私がいちばんわかってなくて、玉田くんが一番わかってそうに思える。」
佳穂が低い声で玉田の弁明を遮る。再び静寂が教室を包む。
「はい、そこまで。今納得いかないからと言って、変えてくださいって滝先生に言いに行くの?それは佳穂に対してとても失礼だと思う。佳穂も、自分で自分をなじるような言い方はしなくていい。」
厳しいことを言い過ぎたかと思い直すかのように、美玲は佳穂へ微笑んだ。
「・・・佳穂、おめでとう。自信持って。とてもうまくなったのは間違いないから。私も保証する。」
「美玲先輩・・・」
「佳穂先輩。」
玉田の呼びかけに、ようやく佳穂と玉田は正対した。
「まずは府大会めいっぱい応援します。一緒に演奏できるの楽しみです。それで、次の関西大会のオーディション、もし受けることができるなら・・・もっと良い状態で頑張りますから。」
ようやく佳穂はうなずいた。ここで声をかけなきゃ。
「佳穂、先に言いますね。そこで私が死守する!くらいの気持ちでいてください。まさか次は譲るなんて言ったら、許しませんからね。」
「わ、わかりました、奏先輩・・・」
「スマイルで!。」
「は、はい!」
「玉田の件はこれでいいかしら。よし、練習しよう。」
「はい!」「はい!」「はい!」

練習後、玉田は一人隣の教室にいた。外を見るでもなくただじっとしている。
「玉田くん。」
「あ、奏先輩。先程はありがとうございました。」
玉田はゆっくりこちらを向きながらぼそぼそと返事をした。練習時間の元気はどこへいったのだろう。
「どういたしまして。まあなんとか収まりましたね。さすが美玲でもありましたけど。」
「ええ・・・お二人には感謝してます。」
「いえ・・・」
もどかしい静寂が流れる。今だろうか。私は意を決した。
「・・・そろそろお聞きしても良いでしょうか。あなたの事情、まだありますね?」
「だから誰もいない今?。」
「そうです。」
玉田はゴクリとつばを飲み込み、しばらくしてからうなずいた。自分も動悸が速くなる。
「・・・コンクールの直前に、もしかしたら当日、誰かが演奏できなくなるかもしれない。それは誰にでもありえます。私が入部する一年前、当時の三年生の先輩の参加が危ぶまれ、サポートだった二年生に代役の練習を頼んだことがありました。それでは、ダメなのですか?」
玉田はいちど深く息を吸い、大きくため息をついた。
「・・・奏先輩は、もしかしたら、という表現をしましたね。」
「はい。」
「それは、確率がすごく低い場合の考え方ですよね?」
「確かに。」
「では、すごく高いとしたら?」
「と、いいますと?」
「私がコンクール本番に参加できないことを前提にすると。」
「・・・玉田くんが抜けても影響が極力少なくなるように。」
「ほぼ無理なら。」
そういって玉田は奏に向かって促すように手を差し出した。
「・・・玉田くんを・・・最初からコンクールメンバーに入れない。」
「そういうことです。」
「では、なぜそんなに参加できない確率が高いのですか?。核心はそこですよね?。言えないかも知れませんが・・・」
聞いてしまった。心臓がばくばくする。視線をそらさないように必死だ。
・・・長い沈黙を挟んで、玉田がゆっくりと口を開く。
「・・・自分、奏先輩には入学前に出会っていますよね?」
自分で自分が息を呑む息が聞こえた。
「・・・いつか聞こうと思ってましたが・・・やはりそうだったのですね。」
「ということは?」
「?、車を運転していた・・・!、待って、十八歳以上?」
玉田は静かに財布をポケットから出し、免許証を取り出して差し出した。運転免許証、高校生活の中では基本的に縁がない。三年生の自分ですらそうだ。震える手で免許証を受け取る。確かに玉田の名前と写真が載っており、生年月日は奏よりも以前のものだった。しかも、何年も。
「・・・そんな・・・」
玉田は表情を緩めてうなずいた。
「奏さんよりも三学年上のはずです。」
何も言い返せない。
「これが、私が参加できない確率がそんなに高いことへの答えです。ずっと、学校に通えないくらい、病弱だったんです。今も。」
「・・・ごめんなさい。いえ、玉田さん、申し訳ありませんでした。」
気がつけば深々と頭を下げていた。
「こちらこそ本当に申し訳ありません。迷惑でしょう、私がいると・・・。もう、退部したほうがいいですよね?。」
玉田はつらそうに視線を落とす。
「そんなことない!だって今、ここにいるのに!。オーディションも演奏して、一緒にコンクールメンバーに受かったのに!。それに、ほんとうに辞めちゃったら、佳穂が・・・!いえ、私も!・・・」
玉田は息を荒げている私を見て驚き、拳を握り唇を噛む。ここで引いてはいけない、頭の中に何かが走った。
「コンクールまできっと大丈夫!、きっと!。私は信じます!。」
根拠なんてない、詳しいことはわからない。でも、ここで私が断言しなければ。
「・・・ありがとうございます。このこと、誰にも言わないでくれますか。特に、佳穂先輩には。」
「もちろんです。」
「それと・・・これまで通り高校一年生として扱ってほしいです。」
「はい、約束します。」
玉田は背を伸ばして深呼吸をした。
「こうなりゃやりますよ。ゴールド金賞獲りましょう、奏先輩。」
その血色の悪い笑顔は、どう見ても無理をしていた。

京都府大会本番

京都府大会の本番の日がやってきた。練習の日々、部の中で一大イベントのような異様な興奮はあまり無かったような気がする。私が入学して府大会金賞・関西大会進出は二年間連続、入学する前の年もそうだった。もうそれより以前の北宇治について、滝が顧問に就任する前について知る人はほとんどいない。府大会は普通に大丈夫、と、気が緩まないよう 幹部職やパートリーダーは練習メニューにも気を配り、中だるみが起きないよう腐心してきた。

(控室)
「玉田くん、大丈夫?。」
「ありがとうございます。緊張しますからね。」
玉田は無理やりながら笑顔をつくって佳穂へ向ける。
「うそだ。ひどい汗だよ。最近ずっと顔色も悪いし。しんどいんだよね、絶対無理しないでね。ね。」
「佳穂、そう言うあなた、実は緊張してますね?。」
「はい・・・えへへ。こうしてるほうが気が紛れるみたいです。」
私も玉田のことが気が気ではない。でもそればかり言ってもいられない。佳穂だって初の晴れ舞台だ。これまでの積み重ねをきちんと発揮すれば、きっと、いい演奏ができる。乗り切れる。期せずして佳穂は演奏もそれ以外もずいぶん成長した。災い転じて福となすというが、今は福となすしか無い。大丈夫と信じるほかない。私は異様に緊張していた。
正装に身を包んだ滝先生が部員の前に立つ。
「皆さん、厳しい暑さで体調を崩す人もいて心配しましたが、今日は全員揃うことができました。良かった。今日はきっと練習の成果を発揮して良い演奏ができ、良い結果につながるでしょう。北宇治の全国への道、切り拓いて下さい。」
「はい!」「はい!」「はい!」
「副部長、どうぞ」
「いよいよ府大会本番です。今日を楽しみにしていた人も多いだろうと思います。ですので、敢えて手綱を引き締めることを言います。聞いてくれますか。」
「はい!」「はい!」「はい!」
部員のタイルへの信頼は厚い。何人かは不安そうな表情をするが、すぐに「副部長なら大丈夫」と声をかけ合うのが聞こえる。
「僕が中学一年生のときの話です。それは素晴らしい演奏ができたと、自分も周りも思いました。しかし、結果は銀賞だった、関西大会に進めなかった。曲は、ダッタン人の踊り。」
部屋の中が三年生を中心ざわつく。美玲はタイルを見たまま唇を噛んでいる。
「オーボエソロは鎧塚みぞれ先輩、フルートソロは部長だった傘木希美先輩、トランペットのトップは吉川優子先輩だった。」
今度こそ部屋の中は騒然となった。三年生はもちろん今の二年生でもこの三人の名前を知っている者は少なくない。伝説的演奏と語り継がれる二年前のリズと青い鳥のツートップ、その代を率いた北宇治のカリスマ部長の名前。信じられない、あの神先輩たちがそんな、どうしよう、自信がなくなってきた、そんな声が飛び交う。
「パン」
タイルは大きく手を叩いた、それは二年前の部長、吉川優子を彷彿とさせた。
「なぜ今僕がこんな事を言ったのか。」
タイルは空いている手を口元に近づけてひとつ咳払いをし、表情を緩ませた。
「皆さんの対応力、立て直す力を信じているからです。何かあったらどうしよう、そういう悩みかたは必要ないとずっと言ってきました。たとえ何かあっても、なんとかしよう、立て直そう、乗り越えよう。なぜ?と悩み立ち止まり振り返るよりも、どうすれば良いか考え前へ進む。まさに音楽の流れそのものです。それが皆にはできます。今、みんなには落ち着きと高揚感が戻っていますか?!。自信はありますか?!」
「はい!」「はい!」「はい!」
「油断さえしなければ、絶対大丈夫!以上です!」
「はい!」「はい!」「はい!」
滝が穏やかに拍手したのに続いて部員全員が拍手をした。手のひらを合わせる者、膝を叩くもの、軽く楽器を叩くもの。皆、想いは同じだ。一気に場が引き締まったのを感じた。
「ドラメ、お願いします。」
折り目正しく玉里が立ち上がる。
「えー、八月第四週の関西大会に向けた夏合宿を、お盆休み明けに二泊三日で行います。次回オーディションを含めた日程など詳細は追って連絡します。しっかり体調を整えておいて下さい。」
何人かの一年生が怪訝な顔をし、そしてまた何人かは目を輝かせている。玉里は片手でトランペットを持ったまま、もう片方の手の拳を握りしめ胸元に当て、一呼吸してから小さく掲げた。
「私は、次へ進む前提で考えています!」
「おー!」「行くぞ関西!」「全国まで行く!」あちこちから声がとぶ。花火大会だとはしゃぐ声が聞こえたような気がし、打楽器方面を見ると呆れ顔が並んでいた。
「はい注目!」
梨々花の明るい声で一瞬で部屋が静まり返った。高揚する部員一同を見回し、確信を持って梨々花が口を開く。
「私からは。」
全員の視線が梨々花に集まった。こういうときの梨々花は一体何を観察しているのだろう。いつも尊敬するのだった。梨々花の頭は高速回転したようだ、これ以上の言葉は必要ない、そして、副部長の話が長かった、と。
「元気に!」
「はい!」「はい!」「はい!」
「いくよ!。北宇治っ!ファイトッ!」
「おー!」「おー!」「おー!」
梨々花の発声は、奏の知る優子のものとも久美子のものとも少し違う、可愛らしくも心地よく歯切れのよいものだった。

(舞台袖)
「玉田くん、あと一息。」
佳穂はひとときも玉田の傍を離れない。
玉田は短いため息をついて言った。
「・・・一息。」
玉田は精一杯ニヤリとした。
「あはは、もう、笑わせないで。」
「おふたりともいい加減にしてくださるかしら?」
「はい、すみません。」
二人は顔を見合わせてクスリと笑う。
「本番に全てを集中させましょう。いいですね、二人とも。」
ささやき声に、二人はしっかりうなずいた。
「佳穂。」
玉田が間髪入れずに続く。
「佳穂先輩。」
「はいっ。」
「ソリ、絶対大丈夫。」
「ソリ、絶対大丈夫です。」
「ハッピーアイスクリーム。」
「え?」
「は???」
「二人とも同じこと言いました。金賞だったら二人にはおごってもらいます。」
佳穂はやや作り物めいた笑みを浮かべた。
「言ってくれますね。」
私はニヤリと口角を上げてスマイルで返した。つられて佳穂の笑みも心地よく引き締まった。
「これは奮発しなきゃ。」
玉田はようやく呼吸が落ち着いて表情に緊張を伴ってきた。いける、彼は本番まで持ちそうだ。彼が本気になる時に笑顔ではなくなることは知っている。限られたコンディションのピークを、まさに今にもってきている。立ち姿は先程までが嘘のように力強かった。
「北宇治のみなさん、どうぞ。」

・・・・・・

本番終了後、学校に戻り片付けを終えた部員は音楽室に集合していた。滝が指揮台に立つ。
「みなさん府大会おつかれさまでした。そしてゴールド金賞おめでとうございました。本当に良かった。ではお待ちかね、次の関西大会向けての説明をします。」
「はい!」「はい!」「はい!」

こだまする返事の中に、玉田はいなかった。


続く

一つ後:三章 関西大会(前)(4/9)

一つ前:二章 三年生進級~京都府大会(前)(2/9)


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