見出し画像

私のカーレース・ゲーム

リング綴じの大きなスケッチ・ブックを見開きに使って「富士スピードウェイ」のレイアウトを黒のマジックインキで描いてある。
グランド・スタンドやピットにタワー…ダンロップ・タイヤのアーチ…。
色鉛筆で要所要所に色付けして…。
同じく文具店で買った厚紙を1㌢超くらいの大きさに四角く切ったものの白地側に黒のボールペンで線を入れてから色を足す…、そして◯に14と書き込む…。
同じく全体を黄色、青、赤に塗って数字…、同じく白地のセンターに黄色、青、緑…と塗って番号を入れる。
大学ノートの見開きに縦横に枡を引いて左脇縦枡に通し番号を書き、左上斜線下に順位、斜線上に周回と書く…。
タイトルは「69年日本グラン・プリ」
物も写真も残って無いし、このような文で伝わっているかは甚だ怪しいが一応、書いてみた。
これが私のレース・ゲームだ。
先ほどの小片の厚紙をオハジキのように左親指で弾いて滑り飛ばす…、
右利きの私が左指を使うのはちょっと難儀だが…勝手に反時計回りにするわけにはいかない…30度バンクに飛び込んで行くのが「日本グラン・プリ」だ…。

一個づつ順番に…。
ひと通り全部の駒を弾き終えると、又先頭からそれを繰り返す…。
何回弾いたか?
何分掛かったか?
覚えてはいないし、結構な時間がかかったと思う。
途中、接触でコースアウトすれば後続車との間に隙間ができるまでは抜かれたことにする。
ここで車間を詰めるべく強くやるとひっくり返る…するとリタイアだ…。
スタートラインを越えると大学ノートの手書きスコアブックに車番を記録していく。
それを20周はしたであろうか…。
ノートを捲ってもっとしたこともあったと記憶している。
寝食忘れてやっているわけではないが宿題以外はこれに当たる長期戦、中断もあれば日も跨ぐ…。

どうして、そうなことを始めたか?
それは、◯に14番のポルシェ917のJ・シファートが勝つのを見たかったのである。ニッサンR382に負けたままでは許せなかったのである。
だから、このお手製ボード・ゲームでポルシェが勝つまでは何回もやり直す…。
しかも、途中で敗色濃厚になっても全車ゴールまでちゃんと演ってやり直す…、
何故、ポルシェか?
904、906…、2位ながら910
F1レーサーでありマニュファクチャラーズタイトル獲得のポルシェ・ワークスドライバーが来てである。
実際は、フルワークス・ポルシェではなく、排気量不足でもあるので大リーガーの来日的な花相撲ものと同様だったのかも知れないし、日本のレースを舐めていたのかもしれない。
日本車が勝つことを喜ぶ方が普通なときに何故かそう思っていたのである。
だから1969年日本グラン・プリは何回も何遍も開催されたのである。

55年前の少年時代…。
因みに、野球は江藤慎一のファンでした。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?