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明日、君に死を尋ねよう

初カキコ…ども…

その場の思いつきでnoteを立ち上げたはいいものの、上記のども…を以て書きたいことが尽きてしまった。このクソつまらん書き出しと絶妙に意味のないユーザー名、極めつけはこの痛々しい表題。5年後くらいに黒歴史として思い返すことが既に決まってている。というか5年も保たない。明後日にはこの駄文散文のすべてを脳内姥捨山に直送しているだろう。自分はさしずめ記憶の根無し草だと思う。初恋の人しかり幼気な純心しかり球体の表面積の公式しかり、生きる上である種の華やかさをもたらすあらゆるアレソレを己が排泄物とともに大地に還し、もぬけの殻を体現するかのようなもやしの躰で茫々と生きてきた。like a 涅見子。シェオルに…還してあげます……✋🌎

一時期こんな髪型してた


さりとて俺に彼女のような不思議な魅力があるのかといえば全くそんなことはなく、むしろ人望はかなり薄いほうである。人格面においても味のない、本格的なもやしっ子。お求めやすいお値段となっております。
友情の継続が極めて苦手な俺という生体は、基本的に同じ人間と長く付き合うことはほとんどない。小坊の頃からずっとそう。一年単位で人間関係が変化し、その一年でどれだけ仲を深めようとも、翌年別のクラスに編成されたその刹那、紡がれたエニシはぷっつりと途切れ、時折ばったり顔を合わせた際には、形容し難いぎこちなさを孕んだ質素な会話を余儀なくされる。
そんな、初エッチの次の日の幼馴染カップルみたいな顔されても...…困るんですケド...…
あ、形容できちった。まあいいや。
友情の継続が苦手と先述したが、旧知の仲が全くないわけではない。小学校時代からの友人がいくつかいる。3分の2人は登校拒否の引きこもりだが(現在は解消)。まあ俗に言うところの類友だろうか。私立高校の入試一緒に遅刻した仲やもんな!ガハハ!!
ただ一つ不満を挙げるとするならば、俺のエロゲーのプレイ状況をやたら詮索してくることだろうか。なんでお前とオカズ共有せなかんねん。殺すぞ。それとは別に、高校時代の部活の仲間達にも特別な思い入れがある。{(綿貫君、森中君、猫噛君)仮名}は元気してるかなあ。彼らは俺やちゃらんぽらんな幼馴染軍団とは違い、頭脳明晰素行優良児であり、俺のような偏屈ぼっちカス虫には本来関わることのなかった人間だ。そこいらの馬鹿と比べて頭のいい人間のほうが余程話が上手いという、今思えば当たり前の認識を得たのもこの頃だっただろうか。というか、なんで部活の人間とは仲良くなりやすいんだろう。部活の話さえしてりゃ弾数の少ない雑談をする必要がないからかな?なんでもいいけどさ。
何故突然内容の乏しい思い出話をしたのかというと、俺が現在進行形で周囲に軽んじられているからである。独りには慣れない。慣れたくもないし。”一人”であることに特に抵抗はないが、社会から”孤独”と見做されるのは何となく気分が悪い。すまそん。アチシ、小心者なんで…
なぜ俺はこんなにも人望がないのだろう。俺が俺じゃなければ間違いなく仲良くするんだけどなあ。内気で、高身長で、捻くれてて…、もし俺が女の子なら奥ゆかしいスレンダーマイルドヤンキー女子としてラノベのヒロインみたいな青春を、ひいては沈魚落雁閉月羞花の称号を欲しいままにした伝説の美少女として一億と二千年後も語り草にされただろうに。そうでなくとも、こんな利にも不利にも働かない人畜無害な俺の魅力に気付かないなんて、all peopleのeyeは節holeなのか?まったく度し難い。鶏肋、鶏肋…
こんな捻くれ方しているせいでよく俺のことをありふれた死にてー系男子に見紛う輩がアメリカザリガニのようにうじゃっと湧いて出て来るが、ここで一度定義しておく。俺は単なる逆張り冷笑陰険姑息偏屈ぼっちカス虫であり、所謂希死念慮の類は一切持っていない。地震怖いし。
死ぬことは怖いが、死という概念にはかなり興味がある。死後の世界を生者が知ることは不可能であり、よしんば知ることができるとしても、死の世界が無そのものならば、俺たちはそれを認識することすら叶わない。現実世界から疎外された人間が最後に目指す未開の地、シャングリラ、心の拠り所、精神世界、イデア、死。そこに夢や理想を託して身投げの雨が起きようとも、それは仕方のないことなんだと俺は思う。だから人は皆、今を精一杯、少し気だるいくらいの体育会系な心構えで生きているのだろう。ただ死を漠然と避け、日々を惰性で生きている俺には、それが眩しく、羨ましく思う。
だから明日、君に死を尋ねよう。

だいぶ雑にまとめた

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