『違国日記』1〜7感想



今日は漫画の感想です。


友人から、「『違国日記』好きだと思うよ」と勧められました。表紙の絵のタッチに見覚えがあって、中身をその場で読んですぐに気づきました。

最初の1話を読んだことがある。

たぶんTwitterで、1巻が出たときか何かに宣伝として公開された部分を読んだんだと思います。
「たらい」の書き方の部分にも、「愛せない」のくだりにも見覚えがあって、そのときに「あ、好きだな」と思ったことを思い出しました。

完結していたことは今日知りました。

たぶん、本しか仕舞われてない衣装ケースのどれかをひっくり返せばどこからか1巻が出てくるはず。買った記憶はあるけど捨てた記憶はないし。

でも、最終巻が出て、宣伝のために4巻分が無料で読めるようになっていて、さらに10巻まで値引きされていて、それを知って読んだ友人から勧められるまで、胸を撃ち抜かれて買ったはずの1巻の存在すら忘れていました。


こういうことは多くて、ああまたやっちゃったな〜とぼんやり反省します。でも、メモするわけでもないからまた繰り返す。

「ブルーピリオド』を同じような形で知ったときも、同じような気持ちになりました。確か当時は6巻まで出ていて、1話見て惹かれた私は既刊をすべて買って、繰り返して2周読み、読む間に少ない友人たちに布教までしました。
2周読む間に7巻が出たのでそれも買って読んで、心から面白いと思って──そして、それきり。

忘れている間に友人に話を振られ、それでずいぶん続きが出ていたことを知りました。
友人は出るたびに新刊を買ってずっと読み続けていたそうで、魂の格の違い、みたいな謎のことについて考えたりしました。
また続きを買って読みます。好きなので。


そう。
好きなのは嘘じゃないんですよね、あれもこれも、忘れてしまうだけで、思い出したらすぐ続きの気持ちになれるのに。

とっても言い訳じみている。
でも、『違国日記』にはそんなわたしの居場所もきっとある、誰の居場所もある。言い訳をするわたしだろうと、しないわたしだろうと。

だれでもみんな読んでみたらいいと思います。



ところで、7巻の時点で感想を書いたのは、朝ちゃんがストリートライブで歌っているシーンで泣きそうになったから、というのが理由です。

わたしはもう、手の指では足りないくらいの年数泣いていないのですが、謎の自制心に止められてしまうだけで、泣きそうになることはたまにあります。物語で琴線に触れたときとか、自分をかわいそうに思ったときにたまに。

あと、泣かないだけで涙は出ます。
あまりにも感情由来の涙を流さないので、涙が変に溜まるのかもしれない。横になって涙袋の位置を決まった押し方で押すと、下にした方の目から一定量出てきます。

こういうよく分からない気味の悪い自分も、たぶん『違国日記』には出ていると思います。顔も描かれないような隅っこの誰かのうちのどれかはたぶんわたしだと思います。

なんだか包容を求めすぎているかもしれないけど……
でもきっと誰もがちゃんと描かれている、望んだ形ではないかもしれないけど。必ず。


11巻まであるらしいので、さらなる包容を求めて、また明日から続きを読もうと思います。


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