自分を捨てること

子供の頃から私は自分に自信がありませんでした。誰かが話したことが絶対に正しいと思い込み、逆に自分が話したら話した内容は絶対に否定しかされませんし馬鹿にされ、年上年下関係なく常にハブられていました。「大工さんになりたい」事も「外国に行きたい」事も「これ好きなんや」って事も全部ひたすら馬鹿にされ続けました。途中からみんなと違うことが本当に嫌で「俺自分が嫌い」「なぜ自分として生まれたんだろう」「やりたいことやったら怒られるのは僕だからかな?」等々色々思っていました。その内「相手をトレースして自分じゃない人になる」ことを意識し始めました。でも自分は引っ込み思案なので自らグループの輪に入ることはありません。何が正しいんだろうって思ってました。

分からないから相談しました。親にも先生にも友達のお母さんにも色んな人に話しました。「オトナ」が言うことは一つだけで「正しいことをしなさい」だけでした。「テストで点数取りなさい」「ルールは守りなさい」「人には優しくしなさい」…真面目やったので全部守りました。テストでもいい点数取れるようにひたすら頑張って間違った勉強して、怒られる。人に優しくしたら「奴隷」呼ばわりされる。ルール守ったら「気持ち悪い」。いろんな大人からそう言われて思いました。「そうしたら大人の人数だけの答えがある。」余計にわからなくなって上、静かに座りながら八方美人みたいになりました。

恥ずかしながら親元離れて大学まで出してもらいながらも「誰かのために」と「ただしいこと」が心に根をはり住み着いていました。「誰かの言うことをが正しいから絶対に聞かないといけない」と信じ込みながら生活していました。

昨年、社会人になっても分からないから上司とか先輩、協力会社の方々が話す「ただしいこと」を続けました。正しくすればするほど陰湿な嫌がらせとか叩かれたり蹴られたり、首根っこ掴まれて引きづり回されたり…挙げ句の果てには「お前の全部が悪い」「存在そのものが悪い」「チビだから身長伸ばす努力しろ」そう返ってきて挙句の果てに「人として失格、生まれ直してこい」「人間としておかしい」「一緒に居たくない」等々影で言われ続けました。毎日「おかしい」と反抗しながら毎日泣いてました。

何が悪いのか分からないので、思い返しました。そしたら確かに「否定された」から話してはいけない事も言っていましたし、反抗的な事もしていました。めちゃくちゃ怖かったのですが「否定される」と言うことは何か「間違った方向を向いていた」「誰かに甘えていた」「覚悟ができていなかった」ってダメな部分がいっぱい出てきたんです。パニックになって「恥ずかしい」とか「どうしよう」とか頭の中ではそんな風になりながらも「お前が全部悪いから学校行き直せ」「お前は恩人の俺を立てれない」とだめ押しを食らってました。

そこから記憶にありません。

ちょこちょこと「本買って読んだこと」「自分一人しかいないからどう生きるか考えたこと」「自分の正しさ」「意見を言うこと」「行動すること」…が出てくるだけです。はっきりと覚えているのは「捨てること」です。欲も今までの考えも好きだったものも今まで作ってきた大切な何かも全部捨てました。多分記憶にない間は「捨てている期間」だと思います。もちろん捨て切れなかったものもあります。私はそれを「自分から湧き出た大事なもの」と捉えてそれらを軸に「自分軸」を作り直しています。

この4ヶ月間で私は「ぶれない自分の軸」の地面を作ってきました。まずいと思ったら「徹底的に自分が悪い、知らない自分の勉強不足」と思いながら「もっといい方法はないか?」と思いながら行動しています。まだまだ足りない部分はありますが、30歳までに本と勉強、経験値などで一気に畳み掛けないとダメだと思っています。自分がぶち抜けるために一番必要なのが経験値だと思っています。だからこそまずは「自分に有言実行」を意識して行動していきます。

長々と失礼いたしました。