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痛みについての自己分析みたいなもの

私にとって初めての習い事はバイオリンだった。3歳になってすぐ習い始めて、本格的に中学受験の勉強を始める11歳くらいまで、生活の中心にはいつもバイオリンがあった。(先生を変わり、結局大学受験前までずっと続けていました)
昭和という時代背景もあってか、先生の指導は子どもながらにとても厳しく、小さなバイオリンには無数の涙の跡がある。弾くときに顎と肩の間に楽器を挟むため、私含めてその頃バイオリンを習っていた子どもたちはみんな顎の下が擦り切れ、うっすらとあざっぽくなっていた。

旅行先でもどんなときも、毎日練習することは私の生活の中では絶対で、週1回のレッスンの前はひどく緊張していた。大人になってジェルネイルをするまで、爪を噛む癖はなくならなかった。先生はとても美人で、いつも華やかな洋服を着て真っ赤な口紅をつけていた。玄関の大きな壺にはいつも花がたくさん飾ってあった。

上手く弾けるととても褒められ、お母さんも嬉しそうで私もすごく嬉しかった。曲を上がるとキティちゃんやキキララのホログラムのシールの中から一枚選んで楽譜に貼れることが嬉しかった。ただ上手く弾けないとヒステリックに詰られ、帰りの車の中でさらにお母さんも不機嫌になり、そうなることがとても怖かった。先生の部屋で泣きながらバイオリンを弾いている自分の姿を40歳になった今でもときどき思い出す。誰も上手く弾けなかった私の味方をしてくれる人はいなかった(という風に私は感じていた)。

私はバイオリンとピアノ以外の楽器は触ったことがないので他の楽器のことはよくわからないけれど、ピアノは鍵盤を押せば一応誰でも音を出すこと自体はできるのに対して、バイオリンはきちんとトレーニングをしないと音すら出ない。さらに音程を取るためにどの弦をどの位置で押さえればその音が出るのか、印が全くないのですべて練習で体に叩き込む必要がある。さらに正しい位置で押さえても正しい押さえ方をしないと音はちゃんと出ない。そして微妙な感覚の差で音程がずれる。(開放弦以外で)ひとつの音を出すこと自体の難易度が結構高い楽器なんじゃないかな。また弓の持ち方にも決まりがあるし弾き方がある。そのすべてに基本的にまず身体の痛みが伴う。慣れると痛みを感じなくなるけれど、バイオリンという楽器はなぜか弾けるようになるまで、指にも手にも顎にもなんらかの痛みが伴う楽器だ。

そういう痛みの先に、美しい音色があり、音楽がある。私は真面目な性格と持って生まれた感受性や身体の柔軟性のおかげもあり、バイオリンを弾くことは得意でよく褒められたし自分に向いている楽器だったんだとは思う。音楽の中に自分が入り込んで弾いているときは真空の世界のよう。褒められることが嬉しかったのか、弾くこと自体が楽しかったのかもはやわからない。
ひとつわかっていることは、子どもの頃の私にとって、バイオリンやその練習は生活の中心にいつもあって、美しさの裏には苦痛が伴うという事実は、私の心と体に深く刻まれた。高校3年生のとき、もうバイオリンのレッスンがないから爪を伸ばしてマニキュアを塗れることがとても嬉しかった。

私の完璧主義的な性格の原点はたぶんここにあると思う。音程を多少外しながら弾く音楽を聴くことは今でも耐え難いし、人には見えない地味で面倒で地道な練習の先に人の琴線に触れる何かがあるという感覚はどうしても拭えない。だけど社会人になって、同時に自分を痛めつけるようなやり方に何度も限界がきていることも確かだし、そんなことで心身の調子を崩すことは本末転倒だと頭では分かっている。

だけど自分の中にある思い込みや美意識を外していくことは、頭で考える以上にとても難しい。


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