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何か突出していないからこそ気がついたこと

※個人の感想です。
再現性がない可能性が高く、これは個人の日々の感想です。
ご不快でしたらブウラザバック。

  趣味なのかライフワークなのかはいつの間にか2023年は葛藤と共に様々な作品を描けました。
  いや…描けた、と決めつけるのは違うかもしれません。
  そこが私の課題だなとキッカケが生まれる。

  でも、出来たことを振り返るとこの期間は本当に充実とも不安定とも違う自分なりの選択肢の構築として実績をつくれたと言える。

  4月か5月か、ある出来事によって自分自身の疑問が生まれた。
(※良いとか悪いとか優劣のことでは全くなく)

  今まで自分が描きたくて苦手だと思い込んでいるジャンルを描くことが出来た。
  あまり読まれてなくても投稿できた事実は今までにない達成感を得ることが出来ました。

  それでも苦い経験でしたが作品として遺すなら本当に伝えたい大切な人生を描くことにある…のかもしれない。

  ものづくりは不老不死でも永遠に課題が付きまとうと聞いたことがあります。

  私は作家になりたかったり、自慢したくて書いていたのか?

自分自身だけの人生を伝えたくて書いていたのか?

  本当はそれまでに出会った良くも悪くもキャラの濃かった方々と敵対者との悩みがあったから今まで生き延びて、それを私小説として遺すことというシンプルな理由があったのに手段が目的になっていた。

  前もこうやって反省したつもりが実は踏ん切りがついてなかったのかもしれない。
  答えはない。
  それゆえに永い課題となる。

  知らず知らずのうちか、意図的いとてきにしろ恣意的しいてきにしろ虚勢を張って、多数派や少数派の言いなりになるのもありだと考えてしまっていたけれど遠回りでしかなく、染まるのは怖いことだなと実感する。

  今ならもう少し手記が書けそうだ。

  これからどうするか考えていた矢先で課題に出会ったのは欲望や本能による誘導でもなく、原点でもなくもうひとつの願い。
  だと信じてみる。

  そうでなかったとしても少しずつ描いていきたい。
また遠回りしたとしても。

  このままでは悔しさばかり浮かぶから。

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