ツイッターに書いたつぶやきの補完つぶやき的な7

「鳩羽つぐと目が合ったら、人は……」

鳩羽つぐちゃん、公式の方はすっかり更新がなくなってしまったけど僕はあのキャラクター造形がたいへんに好きです。フィギュアも買ったし週に何回かはツイッターで検索して誰かイラスト描いてないか探したりする。


「新しいコンテンツをどんどん吸収しろとはいいますが僕は好きなったものを何回も味わうのが好きなタイプだし見知らぬコンテンツをいっぱい眺めてても上っ面で見てる自分を見てしまって嫌になっちゃうからどのみち出来ない」

僕自身は流行りのコンテンツにその都度目を向けてハマっていくみたいなのが到底できない人間なので、艦これとかFGOとか今だったらウマ娘とかある程度の巨大な流行りにどんどん乗り換えていく人はふつうにすごいなと思う。絵の上手い人がツイッターでイラストをどんどんあげていくのとか、練習をかねてやってるんだろうけどそれでもちゃんと追えているのがすごい。僕は、上に書いた鳩羽つぐちゃんとか、一度好きになったキャラクターになが〜くハマるタイプなので、新しい技術に眼を向けられなくて自分の信じる技術にいつまでもすがるという点では自分ももうジジイ側にいるんだなと思ったりする。


「ウォシュレット付きの洋式トイレに行きたい」

家のトイレとバイト先のトイレがどちらも和式トイレなので、たまにこういう感情が爆発する。ウォシュレットでケツを洗いてえ〜〜っていう感情が爆発する。そういうときはアピタに行くか、近所の繁華街に別の用事がてら繰り出したりする。


「磁器オブジェ、どういうの作ったら自分にとってベターなのかが全然掴めずにいる。」

今年は今までほとんど手をつけてこなかった磁器土での制作もやっていこうという気持ちがあり、頑張っている。基本は表面に絵付けを施すことで表現するのが作品の前提なので、描かれるための形にすることがあるんだけど、しかしながら磁器土が粘土と全然感触が違うので造形するという基本的な動作の部分ですごく苦戦している。触り心地自体が違うので、それなのに粘土と同じように紐つくりしてるのはなんか変だな?というのがあり、いろいろ試そうとしているのだけど、今の所どれもうまくいってない。こういう新しいことを始めると、たいがいの場合何か手応えをつかむまで2年はかかるのだ。あーまた2年つぶれるのか。気長にやっていきましょう。今はご時世柄、その2年も必死に生きないといけないですね。


「頭がうにょうにょする」

GW少し前くらいからずっとテンションが低い。集中力がすぐ切れるというか、頭がずっとぞわぞわしてるような感覚があるせいでそもそも集中に至れないというか。そんでもってそういう自分にまた腹が立ってきたりして、制作できない悪循環に陥ってる。やだねー。まぁ久々にきた鬱期みたいなもんということで、テンション戻ってくれるまで静かに生きましょう。


「筋肉痛が全身に転移してきた」

やりたくないお手伝いで全身が終わってしまって、やりたい仕事が身体の痛みのせいで全然できないみたいなのまじで最悪で、性に合わない部分で良い人ぶってもなんも良いことなんてないことが改めてよくわかる。本能的にあっこの人ぜったい自分と合わない人だっていう人のところには近づかない自信は昔からけっこうあるし、今回もその部分を大切にして断っといたらよかったなぁという気持ちでいっぱいになってしまった。


「デッドスペースは心のゆとり!と言い聞かせながら部屋を無駄にめちゃくちゃにしていくんだ」

僕の部屋は無駄がすこぶる多い。空間を構成する能力が低いのだなぁとしみじみ思う。デッドスペースだらけ。でもデッドが一切無い区間はそれはそれで、新しい物質が部屋空間に入ってきたときに設置する場所がないので困ってしまいそうというのがある。それだったら今自分がいるこの空間も良さを感じられるようになってくる。しかしそれと部屋がクソ汚いのは別問題なのであった。


「最近作ってたやつたちの素焼きがまとめて終わったのでいよいよ絵付けイヤイヤモードをやっていられなくなってきたのであった」

素焼きが完了したということは、テンションあがんねえとか鬱期だとかそんなことを言ってらんないフェーズに、いよいよ突入してしまったということである。漫勉の動画とか、ジブリの制作ドキュメンタリーとか、「描いてる最中」の動画を見ながら頑張ってやる気を出てくれるのを期待しましょう。「描かれ終わったもの」を見ると、自分の仕事のしてなさと相対化してしまってげんなりしてしまうのだ。


「インスタライブ配信厨により僕の雑談が配信されてしまったわけだ」

先日はツイッターのスペース機能とか、昨日はインスタライブとか、素人でも自分たちの会話を全然関係無い人たちに手軽に届けることができる(聞いてもらえるかどうかは別問題)サービスが本当に増えたのだなぁと身を持って体験している。中学生の頃仲良かった友人たちとカセットテープにオリジナルのラジオみたいなショートコントみたいなよくわからん音声を録音してキャッキャしていたのを思い出した。当時はすごく面白いと思って自分だけで何回も聞き直したりしてたけど、絶対黒歴史なので紛失して本当に良かったと思う。そう考えると今の子供たちは、初めてのそういう録音遊びがユーチューブだったりして、黒歴史が下手したらものすごい長期間残ってしまうわけで、リスキーな時代だなと思ったりもした。自分では楽しくおしゃべり出来てると思っても、他人からしたら他人の会話なんてだいたいはクソつまんねえですからね。ラジオのパーソナリティでも聞いてて面白いと思える(自分の好みの喋りかたをしてくれる)人なんてほとんどいないし。他人なのに面白く聞くことができる噺家とか芸人って本当にすごい。会話ってむずかしい。

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