ツイッターに書いたつぶやきの補完つぶやき的な28

「えー丸亀のあんこう天めっちゃうまい」

久しぶりに丸亀製麺行ったらあんこう天なるものがあったので食べたらめっちゃ好みの味だった。次に行くときはスタンダードなざるか釜揚げうどんあたりをやりつつあんこう天2個やっていきたい。


「初めて白日で90点こえたので素直に嬉しい」

ヒトカラの話です。ヒトカラはもっぱらまねきねこで平日の日中に行ったりするんだけど、平日の安い時間帯で会員割使ったら一時間300円以下とかでいけるので、そのへんのカフェで時間使うかヒトカラ行くかくらいの選択肢にできる。僕は「大声を出すことを許された公共空間」で大声を出すのはわりと好きなのでヒトカラによく行く。別に誰かと行くことが嫌というわけではないが、単純にフラストレーションの解消として良い感じなのでよく行く。ほんでまぁ、せっかく行くのだからもっと有効利用したいなと思い、自分が歌ったのをスマホで適当に録音して家で聞き直して一人反省会を開いたりしてるんですが。それでこないだキングヌーの白日が初めて93点でたので素直に嬉しかったというのがありました。それで劇的な何かが、というのは別に一切無いんだけど、頑張った結果個人的にカタルシスを得るというのは、日常趣味のこういうささいなところで起こるのもいいもんですね。


「Vtuberやってる人たち、実際にクラスメイトにいたらたぶん仲良くはなってないだろうから、そういうタイプの人たちの動向を観察するのはまぁそれはそれで良いことなんじゃないかなあとかは思う。感情さえ行きすぎなければ。」

Vの配信、個人的には高校や大学にいるなんか面白い人がやってるところを盗み見してるくらいの感覚でいるので、決定的なところではわりとドライになるというか、めでたいお知らせとかあっても「すごいな〜」くらいの感じでしか見てないことがままある。斜に構えるオタクきめえ〜とか周りが見えないくらいのめり込むくらいの方が潤沢なカルチャー体験だろうがとかそういうのは自分自身も思うけど、頑張ってもやっぱりそう思えないので(そもそもそういうのは頑張るもんではない)そういう感じでしか見れないのでそれはもうしょうがない。


「他のVtuberもどんどん発表していってほしいですね」

ほんで上のつぶやきをした直後にとあるVがリアルでの結婚発表をしてかるいネットニュースになったりしたけど、僕はこういうバーチャルとリアルがぐちゃぐちゃになっていく感じというのはわりと好きなので他の人もどんどんやっていってほしいな〜とか思ってたら、自分が所属してるグループLINEでVの態度の(売り方や設定の守り方みたいなについて)ちょっとした議論が発生して面白かった。たぶんここに関しては正解なんてなくて、むしろ定義が曖昧なまま流行ってるからこそ色んな解釈でVをやってる人がいて、色んな解釈でVを鑑賞する人が生まれてるのだろうなと思った。そのバランスの歪さはどこかで暴走(過激化したオタクくんが本当に犯罪を犯してしまったり)してしまうリスクを伴うけど、現在進行形のカルチャーのあり方としては面白いので、そういったところも含めて、僕はどんどん色々やっていってほしいなと思ったりした。


「実はケもティアも行ったことないのでそろそろまじで一回は行っとかなければという気持ちがある(自身の作風的にも)」

2月のティアに行けたら行きたいなぁ。「その作風で行ったことないのは嘘でしょ」と言われることにそろそろ耐えられなくなってきたので。


「悩んでるか悩んでないかでいうと悩んでるに属しているけど、程度でいえば実はそこまで悩んでるわけでもないみたいな、そういうのがたくさんあるんだと思う。それは鈍感の特権なのか?」

こういうぼんやりした態度は、制作においては割り切りの良さみたいなところでメリットなんだけど、展示のコンセプトを練ったりするときにはわりとデメリットというか、展示空間がぼんやりしてしまう原因の態度だったりする。「考えるのに疲れたから途中でやめて、展示空間っぽい空間をそれっぽくしつらえました!」みたいになりがち。ただやっぱり何かを考え抜くってのも才能に近い能力な感じ(その人の元々の性分)だと思うので、無理して考え続けるのも…(割り切ってすぐ諦めてしまう人)


「帰宅したら料理したりビール飲むぞと意気込んでいたが気が付けば布団キモチイイイしてる」

勤務中や帰宅中のときにはあんなにあった帰宅後へのやる気がなんでいつもいつも帰宅すると一気に爆散してしまうん?

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