ツイッターに書いたつぶやきの補完つぶやき的な18

「例えばコップの最低価格が50~100円(100均やリサイクルショップ)だったとして、僕が作ったコップが6000円だったら5000円以上は僕というネームバリューからきていることになり、ちょくちょく「自分の名を関しただけでそこまで値段を上げていいのか?」という気分になる。」

陶芸にはクラフトというジャンルがあり、そこでは僕なんかよりもはるかにエキスパートな技術を持った作家さんたちが日常使いのうつわを大量に、そしてその完成度に見合ってない安価で提供しているという世界があります。そこでは飯茶碗とかなら2000〜4000円程度、6000円以上になるならそれは明確に「高い」というラインがある。僕が自分の作ったものに対して「値段をこんなにあげていいのか?」と思うところには、「現代美術の世界ならむしろ安すぎるというのはわかっているから、ネームバリューという要素をつけることで高くするし、高くしたことへの罪悪感を和らげる」のと「しかしクラフトというごくごく近い陶芸の世界ではその値段だと高いと思われてしまう」という気持ちからきています。まぁなのでもっと値段上げてもいいですよ!桁2つくらい!みたいなことを言ってくれるのは、評価してくれてるという点ではもちろん嬉しいのですが、陶芸は工芸であり生活である、という部分をごっそり無くした意見でもあるので、何言ってんだよじゃあ値段上げたあとの責任はとってくれるのか?というイジワルな気持ちも同時に発生してしまう。茶碗という形をしてるけどこれはアート作品なので、日常では使用しないでください!と明確に言うなら50万とかで売っても別にいいかなーとか思うかもしれないけど、陶芸で作られた茶碗は茶碗の形態をしている時点で茶碗なので、日常で使われることを考えると(購入者、使用者にその値段によってプレッシャーが与えられてしまうことを危惧すると)1万以下の値段にしないと難しいよなぁみたいに思ってしまう。ごちゃごちゃ書いたけど、要は値段を上げることへの精神的割り切りが甘いからそんな気持ちになってるってことで。


「ポンポさん書いた」

看板にポンポさん描いてたら映画館に行く時間なくなった。この記事を書いてる同日にポンポさん見にいく予定。

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