ツイッターに書いたつぶやきの補完つぶやき的な16

「僕は美術の専門書よりも漫画を読んできたし、筆よりもボールペンで物を書いてきた人なので、陶芸という行為をするときだけ特別に美術的なことを考えて筆を使って…っていうのをしたくないから今のような作風になってる。専門領域は特別な世界ではなくあくまで日常の延長線にしておきたい」

美術の文脈を勉強してそこに自分の作品コンセプトを合わせたり、ある程度の絵付けは筆を使ったりみたいなのは当然しますよという前提がありつつの話です。


「漫画のアイデアを煮詰めていくぞ」

知り合いの同人誌に寄稿するという流れが発生しつつあります。漫画描けるようになりたいなと思いつつ、こういうタイミングとかきっかけがないと漫画描こうみたいな気持ちにならない。基本的には何かやるぞというときは陶芸表現の方に意識が向いてしまうので。


「お好み焼きを作るか。」

粉もの料理の生地作りめんどくさいなーと思ってしまうのでなかなかやらなかったんだけど何故か今回のお好み焼きは体感めちゃくちゃ早く準備ができた。包丁の扱いとか細かいところがちょっとずつうまくなってるってことなのかな。


「2~3月は一部会期が重なる形で東京→愛知とグループ展が連続してわちゃわちゃしてたけど、来年は愛知→東京と展示が連続する。会期は重なってはないけど、どちらも会場は同じで愛知は個展だし東京もグループでなしに二人展なので、より難易度が上がることが確定してしまった。とりまがんばろ~」

とりあえず現段階で小さいの含め6・8・10・11・5・6月に展示の予定が入っています。忙しいね。とりまがんばろ〜


「なんだこれは…」(動画略)

全部ポーズが一緒なので残念ながらゾートロープにはなってない。こういうタイプの作品は自分のなかで「回転する少女はGペンの夢を見るか」というタイトルシリーズになります。


「東村アキコのかくかくしかじかに描かれてる最も重要な描写といえば「インターネットに書かれてる誹謗中傷なんて全部ただのフォント」だろうが」

誰かが誰かをけなしあったりしてるのは、人間いろいろあるからいろいろな感情が発生してしまうのはそりゃそうよねと思うのですが、そういう状況をインターネットで視界に入っただけで当事者ヅラしたり当事者扱いされたりするのはだるいなーと思ったりする。僕らは文字が暴れてる様子を眺めてるだけで、実際の現場なんて一ミリも観測していないのに、わかった風なことを語るのはセコい。


「ディープ・シー・シリーズ」

今作ってる釉薬が深海に潜るときのような雰囲気だなぁと思っているので、そういう名前にしようかなとかなんとなく考えているのだけど、僕は英語をアルファベットで表記するのでなくカタカナで全部書くのが好きなのであった。


「絵付けは器のサイズ感よりもでかい絵を描きましょう、絵が器からはみ出してダイナミックになるし描く量が減るし画面がにぎやかになるし描く量が減ります。」

というか僕自身は絵付けするとき自分のなかではちょうどいいサイズで描いてるとずっと思ってたのが、あるとき友人に「堀江さんの絵付けって作品のサイズに対して大きく描かれてるのが良いですよね」って言われて、そこで初めて自分の絵付けってでかいんだ〜と気づいた次第であります。


「ハァ~うっせぇうっせぇうっせぇわ
あなたが思うよりお金持ってない、税金もちゃんと払えてない、酒を飲む量だけが増えていく、助けて」

あなたが思うより終わってる人間がこの世には多いからよ……

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