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おさらいモネ-おかえりモネ 第78話


78話
神回
この話が9月1日の震災の日に放送されたのは偶然でしょうか?
汐見湯で島の中の若き者たちがあの日からの自分に向き合い

外の若き者たちが被災した人たちのことを考える

モネはその間を巡る立ち位置なのかもしれない
そしてモネがほとんど台詞のないのにその気持ちが伝わってくる
16週は神回続きの神週だな

何で地元で頑張ってるのが偉いみたいになるの?

このドラマは予定調和みたいなものがない
この台詞にも全肯定のスタンスが見えていると思う

勝手に決めつけないで欲しい

みーちゃんの口から言わせているけど
これはスタッフがドラマを造り上げていく過程で常に自問自答していることに思えてきた
人それぞれが抱える心の痛みを否定せず共感していこうと言う姿勢みたいなものを感じた

こういう話ずっと聞きたかった気がする
あの日感じた皆との断絶感からか、この手の話題に触れることに、時には意識的に時には無意識に避けていたのかもしれない
一方で皆の気持ちを分かりたいとずっと思っていた
モネも「分からないけど分かりたい」と思っていたということでしょうか

今回モネが発する台詞はこれのみ
モネは皆の言うことをしっかりと聞いていたんだと思います
心の耳で


WEメンバーからの尋問に防戦一方の先生

さすが莉子さんグイグイくるねw
将来帯番もつキャスターになる人ですからね
取材力 強w

登米にいた頃は全然ですが…

その文脈だと今は違うということですね
この場面では、みーちゃん砲を浴びた先生の心の中は、ちょっとザワついているから、色々突っ込まれるのは、ちょっと辛かったかも

地元気仙沼だって言ってない

被災の記憶と周りの人たちへの気遣い
忘れたいけど忘れられないし、忘れないことが復興につながるものかもしれない。

私もともと神戸だから

野坂さんも幼少の記憶が気象予報士に向かわせ、防災をライフワークにしようとしている
忘れないで語り続けることが、被災された方々・場所に役に立つことと言えるかもしれない
私も95年の1月には神戸にいました
野坂さんと違い、十分に大人でした
それがあってか、心に刺さる場面でありました

そしてマモちゃんの名言

誰にでも痛みはあるということ
そしてその痛みは他人にはわからない
先生はそういったことが確認できた
自分の大事な人にも心に痛みがあることはわかっているけど
その度合は分からない
全ては80話に向かって事が進んでいる

そして三生劇場が始まる

思えば初登場の時から
寺を継ぐことへの思いはちらほら見えていた
寺は誰にも必ず訪れる死というものを受け止め
折り合いをつけさせる場所でもあると思う
三生はそれを引き受ける覚悟を決める時間が欲しかったんだ
この場面の三生は堪らなく愛おしい

俺、見たし…寺に何人も運ばれてくんの

モネはこれを聞いて明らかに動揺し目が泳ぐような表情を見せる

その場面を見ていないのに、目の前に見えたのかもしれない
この受けの演技は、とてもリアルな見逃せない演技だったと思う
ここでも台詞なしの演技で訴えかける清原果耶 さんの非凡さを感じた。

BGMは
「かみあそび」1:30あたり


これからだってUFOは呼べる
UFOだってなんだって呼べる

心に抱えるものがあっても、乗り越えて、良い未来を作れる
そう聞こえました
耕治さんが希望だと言った子供たちが、前に進もうとしてる
そう感じました

泣くな!

またギャン泣きしたのは三生だった

俺ら もう普通に笑おうよ

三生の激白によって皆素直な気持ちをぶつけ合うことができて、少し気が晴れたかもしれない
けど
あの日の記憶は消えたわけではないし
まだ大きなものを抱えているものもいる
だけど今みんなで飯食おう
そう思えただけで少し楽になった
この幼馴染み全員が愛おしくてたまりません
やはり神回でした

【78話劇伴メモ】
①前回レビュー
   (お世話になりました~三生悠人くん登場
     ~わざわざ東京まで来て)
「凍て空」

【78話劇伴メモ】
①決めつけないで~三生「ごめんな」
「浮遊する心」

③仙台出身だって言えない
    ~私もともと神戸だから
「幾億往きし」

④何かしらの痛みはあるでしょ
     ~三生がりょーちんの手を握る
「海心」

⑤UFOは来たよ
     ~やっぱ食えばよかったな オムライス
「かみあそび」

⑥何それ~エンディング
「あふれるやさしさ」


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