#君と夏が鉄塔の上読書感想文

鉄塔。
普段、何気なく歩いている道にひっそりと立っている。もしかするとそこに存在していることすら認識してもらえていないかもしれない。私達が生活する上で必要不可欠な仕事をしているのに。

「君と夏が、鉄塔の上」は、鉄塔マニアの少年と破天荒な少女そして霊感が強い少年、そんな個性的な三人組が中心となる、夏にぴったりな爽やかな物語である。

鉄塔マニアの伊達はダラダラと夏休みを過ごしていた。しかし、登校日に起こったある出来事をきっかけに、破天荒な帆月と霊感が強い比奈山と三人で帆月が出会った不思議な出来事について調査することとなった。
伊達は調査を進めていくなかで、何故今まで帆月が破天荒な行動をとっていたのか、部活を点々とするのか、何故比奈山は不登校になってしまったのか、二人の気持ちに気付いていく。

物語の序盤、伊達は毎日を「なんとなく」生きていたのではないかと感じた。周りと自分を比較して「どうせ僕は」と悲観するが変わろうとせず、いつも日々を流れるように過ごしていたのではないかと。
それに対するかのように帆月は、毎日を新しく、記憶に残るように、がむしゃらに生きている。しばしば周りの人に迷惑や心配をかけながら。
そんな帆月の生き方が伊達の生き方に少しずつ影響を与えたと思った。
調査に巻き込まれる形になった比奈山もまた、不登校という問題を抱えている。比奈山は「どうせ自分は他人に理解されない」「人とは違う」と殻に籠って、他人を突っぱねているなと感じた。
嫌々調査に参加していた比奈山だが、伊達と帆月のやりとりや帆月の真剣さに影響され、比奈山なりの考えを二人に伝えるなど、他人と関わろうとしていなかった比奈山の気持ちが変わっていくのが読み取れた。
物語の序盤、ネガティブな伊達と比奈山、破天荒だが行動力のある帆月、といったように、この三人は陰と陽な関係だと感じた。
しかし、物語の終盤から帆月の本当の気持ち、ずっと抱いていた気持ちが露になってくる。「忘れられる」ことが怖い。段々と帆月の陰の部分が現れてくるにつれ、伊達と比奈山が帆月を助けようとする姿を読み、三人三様の変化が読んでいる私の感情を揺らした。
最終章で、伊達が落ち込む帆月にかけた言葉が鉄塔マニアの伊達らしく、また、行動力のある帆月を励ますのにぴったりな言葉だと思った。

人が変わるためにはまず、他人と関わることが大切なのかなとこの小説を読んで思った。
「どうせ自分は…」と一人でいたら思ってしまうような人生でも、小さくてもいいから他人と関わるきっかけと出会ったら、悩みながらでも、考えながら自分らしく他人と関わりたいと思えるようになった。
また、大きく変われなかったとしても、他人の気持ちに触れるだけで自分の気持ちに気付けるのかと思った。他人の気持ちに触れ、自分の気持ちに気付くことで、「なら自分はこの人に何ができるのか」と変われるチャンスになるのではないかと思った。

私は沢山の人と関わる仕事をしている。それぞれ違う考え方を持ち、様々な気持ちを抱いているのを感じながら仕事をしていると、ふと自分の気持ちが迷子になってしまうことがある。
「果たして私は何を思って、感じて、考えていたのか」
自信を失い、己を見失い、殻に籠って一人になりたがってしまう。
そんな時は鉄塔を見る。家の窓から見える、遠くの方でそびえ立つ鉄塔。通勤路にある、足元から見上げられるほど近くにある鉄塔。様々な鉄塔を見る。そうすれば伊達と帆月と比奈山を思い出せる。「あぁ。人は他人と関わるから、自分に気付けるんだ。変われるんだ」と思い出せる。

鉄塔を見ると、まるで一本だけで立っているのではないかと思われるかも知れないが、離れた所で鉄塔と鉄塔は電線で繋がっている。
私は人のようだと思う。
人もまるで一人で立って生きているのではないかと思うときがある。しかし、色々なところで人と人は関わり、繋がり、生きている。気持ちという電気を他人に流して生きている。
伊達が言っていたように、鉄塔は家系図のように広がっている。しかも、遠い県にも繋がっている鉄塔もあると伊達は言う。まさしく人のように繋がり、電気を流している。

鉄塔。
普段、気にも留められず、人知れずそこに立っている。力強く。
悩んだとき、迷ったとき、一人になりたくなったとき、私は鉄塔を見上げる。
人と人との繋がりを思い出すため。そして、着物を着た不思議な少年を探すため。