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好きなものなど

タイトルの通り、好きなものや好みの話です。
自分の好みを観照して言語化する機会がほしかったので、新年1発目に自己紹介(?)も兼ねてという魂胆でしたためてます。
そういうわけで今回も自分語り成分が強いです。

書き終わって見返したら妙に詩的だったので、そういうのが苦手な方はここでブラウザバック推奨です。あと言ってることがフツーにキモいです。


まえがき?
物心ついた時から美しいものが好きです。
美=善というのは古代ギリシャの時点で存在する概念ですし、美(及び美的体験)から快感情を得ることは、人間の本能に根ざしていると思います。
つまり、このような嗜好の人間は私以外にもたくさんいるわけで、この記事は誰かの二番煎じにしかならないようなものです。
それでもわざわざ書き記しておくのは、他人に自分の価値観を代弁させる思考停止や、エピゴーネンに陥ることに恐怖を感じるからです。
まっさらな状態で、好きなものや現時点での価値観について記しておこうと思います。


刹那的な美しさや時間的なものを、どうにかして手元に留めおきたい、唯物的な気質があります。
お人形を愛好するのも、上記の性格によるところが大きいです。
成長するものや日々変化するものなど、そういった変則的なものの、たまゆらの美しさを固定して、自分の手中におさめたいと強く感じます。

少年少女の美しさは刹那的だからこそ儚く美しい というのが一般的ですし同意はしますが、だからと言って失われていく美しさを看過できるほど、私は堪え性ではありません。固定できるならしたいです。
そして、少年性/少女性といった、本来刹那的なものが固定された存在こそがお人形だと思います。
劣化こそすれ、成長はしない彼/彼女らを見ていると安心します。
ちなみに、少年性の中でもとりわけ好きなものが痩躯です。骨ばかりが成長して、皮膚や血管がそれに追いつこうと必死に張り付いているような骨ばった身体に、過渡期ゆえの美しさを感じます。

固定された時点で"たまゆらの美しさ"は成立しないのでは?という気もしますが、ここでは一旦無視します。この曖昧で脆い点も、美しさの源のように思います。


固定衝動とでも言うべき物欲は、他の対象にも発揮されます。
例えば月です。
月も昔から好きで、特に繊月が好きです。
しかし我々が見ている月は、翌日には違う形になってしまいます。
翌日どころか、1時間後には色や輝き、大きさが異なります。
このうつろいが月の神秘性を高めていますし、それを美しいと感じますが、それはそれとして、繊月を手元に留めおきたいと思ってしまうわけです。

この衝動は、アクセサリーに繊月の代理を託すことで落ち着かせています。

ARTIDA OUD selene

これを眺めていると、細い月が手元にあるようで安心します。
ちなみに、リュヌ(お人形の名前)の由来は月ですが、これは彼にも月の代理を託しているからです。月と同じぐらい空と海も好きなので、早く代理存在が欲しいです。


人並みに鑑賞する程度ですが、映画も好きです。好きな作品はパンフレットを手元に置くことで、その存在を明確にさせています。記憶力が無いので、物質として存在させていないと落ち着かないです。

所持品の中で、お人形趣味に通じていそうなもの

ハウルはパンフレット以外にも書籍が充実していてありがたいです。
余談ですが、ハウルのことがとにかく好きなので、うちの青年たち(お人形)が白ブラウス黒スラックスを着用しがちなのもアウターを肩に羽織りがちなのもハウルの影響です。オホホ……😉


映画のせいでキモオタ根性が鎌首をもたげてきたのでここで終わらせておきます……。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。

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