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FBにて大切なコミュニケーション

⭐話せる友人から大事なコメントを貰った(画像参照)ので投稿で返信

●●ー●へ
その言葉通りではないはず。
笑う人らがどこにどう反応して面白がっているのかを、本当は理解していて(解釈内容に多少の差はあれど)その捉え方や反応への因果となる皆それぞれこれまでに蓄積してきた下地の差分(違い)についても本当は大方理解出来てると思う。

 ----------好みのカレーが違う様なもの

なのでこのコメントはどこにどう面白い要素が含まれているのかを知りたいという希求や質問ではなく『気に入らない』という言葉で表せる様な感情が起きたそのあらわれ。

投稿に反応して一言言いたい欲求が生まれ、コメント内容についても少し悩んだか若しくは勢いを得てか何方にしても

『そこ』をへて指で書き『送信』ボタンも同じように少し迷ってから押したんだと思う。

この1つの投稿に前述した様な捉え/反応を通って様々な違いを持った人がいるというのは、自分だけでは普段なかなか持つことが難しい『多視点』を知る為の良い思考材料になると思う。そうできる人は強く賢い。

自分の感情のどこに触れて反応直(はんのうちょく)コメントが先に出たのかを再考するか、それとも想像思考力の発動していない感情反応レベルで通り過ぎるか… 

どちらもあって普通とは思う、コンディションによっては俺も両方に進む場合があるね。それは『内観』すると俺の方が激しい振れ幅なのではないかとも感じる。

そもそもが運営の愚かさをあげつらう皮肉であり、弔事に触れるリスクを当たり前に理解した上での非礼投稿なので感情が先立つ人らが一定数いるのも当然。

それでもコメントしづらくて水面下でイラッとする人がいるだろうことは万も承知。

道理の通らなさを莫大な人々から指摘されても尚、無視して進む現実をしては愚国民としては多少の非礼をして釘を刺しても良いと俺は考えてます。

何故なら、弔い事を『個』ではなく『公』に無理やりしたのは誰ですか?という問いが成立するから。

こういうフィルター的な投稿を『気に入らないならば去ってください』や『距離を適当にとってね』と組み上げてしてるわけではないけれど、結果そうなる場合も少なくないだろうね。

それで良いと俺は思ってます。

ライヴやイベント等をやる人は普通は『損』なのでこういう投稿しない。。

俺はします。ガンガンします。
そこを越えて話せる
そこを越えて別事で笑い会える
そこを越えて遊べる
そこを越えて一緒に学べる
そこを越えて幸せを分かちあえる
そこを越えて共に創造できる

要するに一緒に生きれる人達を『近縁』として優先し生きるフェーズです。
もう50歳に近いしね(笑)
ちゃんとコメントにしてくれたこと
ありがとう⭐

黙ってる周りにも知ってほしいこと書けたよ。

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