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【Shake it off. vol.077】 “何がなんでも”が、私に火をつける

最近“熱さ”ってやつを感じることが増えた。
“何がなんでも”が私に火をつけたってことだと思っている。




コンフォートゾーンが居心地悪くなった時


タイトル通り、“何がなんでも”という思いはコミットメント力を加速させてくれ且つ現実にする力も増すと思っている。ただ年齢を言い訳にしたくはないけれど、どうしても30代に入るとこれまでやってきたことへの責任も増し、20代より経験はあるのに、だからこそ、失敗が怖くなることもあったりするし、安定を求める傾向も強くなる気がする。新しいことへのハードルを勝手に上げてコンフォートゾーンから抜け出せなくなることだって往々にしてある。


私も最近そんな感じをうっすら感じていた。


それがここ数日で“諦めてしまっていたこと”や、“これをやらないと一生後悔するかもしれないあれこれ”が急に頭に浮かんで心がざわついたのと同時に、そのことへの熱ってやつがぐんぐんぐんぐん上がってきて、とうとう私に火をつけた。


コンフォートゾーンにも関わらず居心地が悪くなるなんて、こんな思いをするって私だけだろうか。確か20代でも何度か感じたことがあったっけ。




何が何でも≒どんな手を使ってでも


火がつくと私はさまざまなことを犠牲にする癖がある。それは例えば友人との時間だったり、日々の食事の内容だったり。それより何より“手に入れる”ことへのコミット、じゃ今何する?で頭がいっぱいになるのだ。今までのそれを振り返った時、もう少し友達との時間を持っても良かったんじゃないかとか、もう少し自分の食に気を遣った方が良かったんじゃないかとか思ったこともあったけど、それよりあの時やっておいて良かったと思う気持ちの方が何千倍も強い。
友人との時間は何もその時だけではないのだから。


但し、ここで気をつけなければならないこともあると思っている。


それは何がなんでもと、どんな手を使ってでもは全くの別であるということだ。少なくても私はそう思って取り組んでいた。それをはき違えた時、先ほどの犠牲にしてしまうものに友人との時間ではなく友人が、そして食事の内容に加え身体を壊すということが含まれてしまうような気がするのだ。
要は“人間として”みたいな、その部分が問われるのかななんて思うのだ。




最後に、今回火がついたことに関しては、実は以前にも火がついたことであり、そして若干鎮火してしまっていた感覚だったのだが(しかもそれは完全なる不完全燃焼で、私は存分にやり残していると思っていたことだった)こともあろうか再加熱したのだ。確かに心にはずっと引っかかっていたことで、やっぱりどこかで“このままじゃ後悔する”と思っていたことだったから今回はケツをビシッと叩かれた感覚を覚えた。そして達成すると誓った。




犠牲はほどほどに、それでも、何がなんでもやってやるよ。



それでは11月もガツンと後半戦。楽しむことに一生懸命に^^




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