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vol.193/証拠も根拠もないけれど

愛する人の突然の出来事をそんなふうに思うのも不謹慎なのかもしれないと思ったけれど、どうしても“きっと大丈夫!”としか思えなくて。



その“きっと大丈夫!”にはもちろん、証拠になるような出来事も、根拠になるような事実もない。でもその愛する人が戦っている姿を目の当たりにして私は、“この人はきっと大丈夫!”と思えてしまったし、何なら私にパワーまで与えてくれたりして。益々証拠も根拠もない“きっと大丈夫!”の力が増してしまった。
増したもんだから、別の愛する人たちへ私が伝えた言葉だってもう想像通りでもはやつまらない、“きっと大丈夫!”だった。だってつまらなかろうが、もうそれしかないのだから。



起きている出来事はとても悲しいことだったり、胸が締め付けられる程辛いことだったりする。でもどんな時も私たちは起きたことに対してだけでなく、もう全部全部それらをどう捉えるかということでしかないんじゃないか。捉え方で目の前の景色は180°変わってしまうじゃないかと。であれば尚更、目の前で繰り広げられる景色を美しく映し出したいと思うじゃないかと。
根拠も証拠も私にはないけれど、根拠や証拠なんてたかが知れている、なんて思えてしまう数日を過ごした。


“きっと大丈夫!”を同様に解釈してくれる愛する人たちにこれまた囲まれていて、私は本当に幸せだなと思えた数日でもあったから、この数日の色々は人生に欠かせないスペシャルな日々だったと心に刻むことに決めた。ひょっとすると、自分の目の前の景色を今より美しく、より光り輝くものへと映し出すことには証拠や根拠は然程重要ではないのかもしれない。

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