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強い思想のつくりかた vol.2 『死について』

「おう、デカやないか。元気か?」

と、アイフォーンごしに、えらくひさかたぶりの声を聞いた。神戸でお世話になっていたカフェのオーナーだった。

そのカフェで大学生のやすきはバイトをさせてもらった。刑事でもないのにデカと呼ばれて、かわいがってもらっていた。

津山で〈hatis 360°〉という店を開店した時も、わざわざ神戸から車で3時間かけてオーナーは祝いに駆けつてくれた。コロナ以降、横須賀に来て〈hatis AO〉に夢中で取り組んでいて、連絡が途絶えていた。

三年ぶりの電話だった。神戸のカフェは三ヶ月後に閉めるということだった。オーナーもご高齢だから、仕方がないことだろう。

衝撃的だったのは、はいり君というカフェスタッフと、常連の岡田さんが亡くなったという報告だった。

はいり君はやすきより若かった。メガネで長身。確か3〜4個下だったから、今年で35歳くらいだったろうか。体が弱く、入退院を繰り返していたので、就職ができなかった。神戸のカフェは体調の良い時にアルバイトとして長く勤めていた。

先月に病状が悪化し、カフェのバイトを早退して、何週間後には亡くなられたという。

悲しみというか、ショックが大きい。はいり君とは働いた時期は異なるが、やすきはカフェによく出入りしていたので、よく話していた阪急六甲駅までのバス道を一緒に話ながら歩いたのを覚えている。

岡田さんも神戸から津山に来てもらって、お世話になった。もう一度会いたかった。電話口のオーナーは店も閉めるし、どこか寂しげだった。

いつまで生きれるか

横須賀に移ってからも、幾度か津山からの訃報を受けました。お世話になった方が自ら命を絶たれたり、親族であったり。飼い猫であったり。その度にショックを受けてきました。

人間も動物も、いつまで生きれるかわかりません。私たちが明日生きてるかどうかは、神のみぞ知る。

年始に起きた能登地震では、2月時点で241人の方がお亡くなりになられました。

世界を見渡すと、イスラエル軍とハマスが衝突し、2万5000人以上の死者が出ています。

数ではなく、ひとつひとつ、悲しみがあったということ。

亡くなられた方はみんな、明日を生きたんじゃなかったろうか。はいり君も真面目だったし、普通に就職して、家庭を持ちたかったんじゃないかなあ。

役割


やすきは、5年前、父の今際の際に立ち会いました。白い病室で、独特の匂いがあって、心電図が徐々に平坦になっていくのを、家族で数時間かけて見守りました。

その10年前ほど、おじいちゃんが亡くなった時。ホームに入っていて、近くにいたやすきと父がいの一番に駆けつけました。口がぽかんと空いていて、ああ人間はこんな風に老衰していくのか、と感じたのを覚えています。

おじいちゃんは最期、ほとんど何もできなくなっていた。物知りだったが、いろんなことを忘れていった。だけど、世話していたおばあちゃんには、ずっと感謝していた。それを見て、24歳のころのやすきは、自分も感謝しながら死のう、ということを決めました。

振り返ると、生き方について考えたのはそこが最初かもしれません。20歳の頃、死を強く意識したことがあって、何も楽しくなくなった時期があった。みんなが石と化す夢を見て、とても恐くなったんですね。

恐さを紛らわそうと、死について、本を読んで調べていきました。最後に行き着いたのは、数多くの死を看取ってきたお医者さんが著した書物でした。その本によると、死を目前にして、怖がる患者さんとそうでない患者さんがいた。

後者の特徴は、生きる上で、やりたいことをやってきた人。

例えばちかごろ亡くなられた俳優の田村正和さんは、仕事をやり切ったから、早く死にたいとご家族に漏らしていたそうです。そんな人もいる。

やりたいことをやりきらないと、どうも感謝して死ねそうにない。やりきれなかったことを後悔することが、死そのものよりも恐いのではないか。そう結論づけました。

そこから自分の意志でやりたいことをやっていくようになりました。死に方を決めると、生き方も定まっていくという、パラドックスのようなことがあった。

やすきは、人一人に必ず役割が与えられていると考えています。一人一人顔が違うように、役割も違う。仕事の人もいれば、映画のような大恋愛をする人。旅をする人。陶器を作る人。漫画を描く人、珈琲を淹れる人。数え切れないほど様々にあるでしょう。

ミソは、それが知らされないということです。自分の心に問うて、見つけ出すしかない。

その役割が見つかれば、生きづらさも解消されます。何しろ、それに従って生きるのしかないのだから。1日1日が、特別なものに変わっていきます。

やすきの場合は、おじいちゃんが興し、おばあちゃんと父母が守ったカマダヤを受け継いで、経営者になることです。どんな経営者になるか、ぼんやりとしていましたが、地域と関わって、みんなで何か変えていく、というのもやすきの役割に含まれているようです。

たのしもう、人生を

はいり君の訃報を受けたとき、自分はやれたいことをやれて、なんて幸せなのだろうと思った。うまくいってことなんて、苦しいことなど、なんでもないことだ。長い目で見ると、成功も失敗をある一点の状態に過ぎないし、日々向かっていくことが大事だ。

だから、みなさん。人生を受け取って、楽しみましょう。時間は限られています。イーロン・マスクが、過去には中国の皇帝たちや、その時代の覇権(現代はお金)を掴んだ者はみな不死を試みようとしてきました。

仮にこの先、先端技術によって不老不死が実現されたとしても、人間が成り立たないのではないでしょうか。死なない、となったら、私たちは朝起き上がらないでしょう。何もする意味がなくなる。精神的にキツい気がします。

お父さんは、死によって生きることに価値があることを、最後に教えてくれました。

お互いの命を尊重しあれば、いま流行っているSNSでの個人攻撃も、なくなってくる。わたしたちが口を慎むことことを覚えれば、自ら命に幕を下ろす有名人もいなくなるでしょう。

ま、ともかく、今日一日生きれたことを感謝して、生を楽しみましょう。ベストは、一つだけです。それに近づいていくこと。違うことをしないこと。

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