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怒らない

仲良しの人にはあんまり怒らないよねと言われますが、いや言われるのか?確かにそんなに怒らないんですけど、それは腹の立つことなんかしない素晴らしい人たちと仲良くしてもらっているので怒らないだけで、てめ~~~と思っている人相手には大したことをされてなくても反射的に怒ってしまって、最近そういうのよくないなと思って気にしています。
今日も仕事で送られてきたメールで一方的に取り乱してたんですけど、あとから落ち着いて読み返したらごくふつうのメールだったので反省しました。
そういえば前の部署では毎日ブチ切れていたので仲良しの先輩に「狂犬」と呼ばれていたのだった。アラサー、OL、狂犬…。

今の仕事自体はできれば続けていきたいとは思ってるけど、仕事の内容がけっこう緻密さとか正確さとか整合性を求められるもので、自分にそういう適性がまったくないので基本的にギリギリの状態になっているのもあんまり良くない気がする。

作文の原稿用紙の書き方で「いちばん下のマスに最後の文字が来てしまったときは文字と同じマスに閉じるカギかっこを書く」というルールがあったなと昨日思い出していました。
それで今の仕事は例えばそのカギかっこを文字と同じマスに入れていいのか、例外的に次の行の一番上のマスにカギかっこだけ書いちゃっていいのか、そもそも一番下のマスには文字とカギかっこ一緒に書いていいというルール自体があんまり良くないから見直す、とかを絶えずジャッジしている感じだなと思ったのでした。
整合性を自分で判断しないといけないのは不向きなのもあってものすごく神経を使いますし、疲れてくるとそのジャッジが雑になってあとで大変な目にあいます。ほんとうに…。


あと、原稿用紙のこのルールをめぐって小学生の時に母と大揉めしたのをよく覚えています。
わたしが学校で習ってきたこの正しい原稿用紙の書き方を母が見て「おかしい」と言って納得してくれず、わたしも「でも学校でこう習った」としか言い返せず大変困りました。
母がトンチキ持論を振りかざして干渉してきて、それに対してわたしが社会生活で恥をかいて学んだ一般常識を母に説明する、という時間がよくあるのですが、多分この原稿用紙のカギかっこがその例の最初の記憶な気がします。
(母はいつも仕事やら人付き合いやらで家にいなくて、そもそも中卒、元ヤンでハイティーンの時にバブルを経験していて、それなのにどういうわけかわたしの読書感想文とか作文にだけは小学校低学年のうちから過剰に厳しい基準で干渉してきていたのだった。自分でちゃんと学校の勉強をしたことがなかったから加減が分からなかったのかもしれない。今となっては母の地獄の添削を律儀に聞き分けてよかったこともあったなとは思う)

noteの日記は1時間未満で書く!!と思っていたのに書くことがまとまってなくてずいぶん長い時間をかけてしまった。
次は30分くらいにしたい…